『淡水魚の放射能』を媒介に、釣り人の新しいつながりができた。

先月2月23日、都立第五福竜丸記念館が水口憲哉氏の講演会を催した。会場内で小社刊の『淡水魚の放射能』を頒布したところ、運営スタッフをしていた青年が、一冊購入してくださっていた。

青年は『淡水魚の放射能』を、以前から知り合いの、埼玉の渓流釣り師へ手渡した。渓流釣り師が東北の被災地に通って、原発被害者への支援や放射性物質調査などのボランティア活動をしていたのを知っていたのだ。

渓流釣り師はかねてから、淡水魚に関する放射能汚染の資料を探していたが巡り会えていなかった。そして日本国内の釣り業界と釣り媒体が、釣り場と魚の放射能汚染について見て見ぬふりをしてきていることに、不満を持っていた。

『淡水魚の放射能』を読んだ渓流釣り師は、著者の水口憲哉氏の書籍を以前にも読んだことがあった。水口氏と直接コンタクトをとりたいと思った。そして、面識のないフライの雑誌社編集部へ電話をかけてきてくださった。昨日3月12日のことだ。

もちろん小社編集部もその渓流釣り師と電話口で話すのは初めてだった。話しているうちに、昨年、埼玉の釣り人のグループが、福島県川内村へ渓流釣りで観光客を招致するイベント活動を行っていたことを思い出した。報道する新聞記事に名前が出ていたのが、その渓流釣り師たちのグループだった。

2012年5月に行われたその釣りイベントについて、当時わたしはこう書いている

釣り人はカナリヤではない。釣りはだれかに動員されるものではない。正直なところ、このような事態は『フライの雑誌』第93号特集〈東北へ行こう!〉(2011年6月発行)のときには想像できなかった。しかしもちろん、このような「釣りイベント」に賛同する方の釣りも、また自由であるはずだ。むずかしい。考えれば考えるほど釣り人にはタフだ。

福島原発事故によるヤマメ、イワナの放射能汚染が公に発表されたのは、2011年の5月が最初だ。第93号を企画編集している4月の時点では、正直なところ、まさかここまで放射能汚染被害が大規模に起こっていると考えていなかった。清冽な水に棲む渓流のヤマメ、イワナは神聖で侵されざるものだと勝手に思い込んでいた。しかし放射能は差別しなかった。

埼玉の渓流釣り師と同様にわたしも、国内の釣り業界と釣り媒体が、釣り場と魚の放射能汚染について見て見ぬふりをしてきていることには大いに不満を持っている。本欄と『フライの雑誌』誌上で折りにふれ批判もしてきた。しかしそろそろ、これ以上彼らに期待したり彼らを批判していても、何も情況は変わらないだろうことに気づいている。

『淡水魚の放射能』は川と湖の魚の放射能汚染に関する日本語で読める唯一の専門書だ。淡水魚の放射能汚染の歴史と資料を追いかけ、福島原発事故について独自の分析を行い、今後を予測している。長年反原発運動に関わってきた水口憲哉氏の想いと仕事に共鳴して、フライの雑誌社が版元としての使命感にかられて出版した。

『淡水魚の放射能』を媒介にして、いわばとてもアナログで草の根的な方法で、新しい釣り人同士のつながりができた。世の中を変えていくのは、こうした小さな出会いの積み重ねなのだろう。どこかの大きな力に頼るよりも、その方がはるかに健全だ。

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