あなたは「利き鮭」ができますか?

●今年の夏のはじめ、北海道へ取材(かぎりなく釣りそのもの)に行った際、オホーツクの友人の家に泊めてもらった。友人の旧知である季刊『釣道楽』の道楽編集長もいっしょであった。

いったいに北海道の人々は、東京人の500倍くらい、うまいものを摂取しているのではないかと思う。付け加えると山形県人も人によっては道民と同じくらい、うまいものを次から次へと腹におさめているようである。東京でもお金さえ出せばうまいものは手に入れられるらしいが、庶民にはまったく関係ないことだ。手の届かないケーキはあるだけ目の邪魔である。

●さて、オホーツクの友人が「漁師が作った本物のアキアジの山漬け」というものを出してくれた。なんでも大きな樽にアキアジと粗塩を交互に重ねてゆき、それを上下ひっくり返して重量で漬け込むのだそうだ。半年間くらい放置することもあるとか。はじめ「山漬け」という呼び名を聞いてピンと来なかったのだが、それならまさに「漬けもの」である。

「本物のアキアジの山漬け」はものすごく塩っからく、サケの身を5ミリくらいに薄く切って皮ごと食べてちょうどよかった。しかしふくよかで奥深い発酵の味わいがあって、これまで食べたことのない旨さだった。高血圧来るなら来い、成人病上等だと言いたくなるほどである。

解禁したばかりのホッカイシマエビと今朝釣ってきた新子ヤマベの天ぷらとかといっしょに、みんなで山漬けをつまんでいるとき、道楽編集長のS氏が言った。

「おれ、キキザケできるんだあ。」

酒はあまり飲まないS氏がキキザケとはなんのことかと思ったが、「利き鮭」のことだった。アキアジ(シロザケ)、ギンザケ、ベニザケ、ニジマス、ブラウン、ヒメマス、サクラマス、マスノスケ、カラフトマス、メヂカ、ケイジ(他にももっとあったかも)といったサルモニダエ類を、切身で焼いた状態で食べ比べて、それがどの魚であるかをすべて言当てることができるという。

●この「利き鮭」は、S氏が自慢するだけあってたいへんに難しいことである。

3年前、私はカブラー斉藤と山形へサクラマスを釣りに行った。その際、宿の朝食に出てきた「塩鮭の切身」がカラフトマスかサクラマスかで、激しく言い争いになった。アキアジではないことは分ったが、私は「サクラマスなんて貴重な魚がこんなに気軽に出てくるわけがない」と言い、カブラーは「山形はサクラマスで有名なんだから、あえてカラフトマスなぞを出すはずがない」と言い張って、互いに一歩も譲らなかった。

最後にはカブラーは「オマエはサクラマス至上主義に毒されている!」と軽蔑するように言い放った。「それで何が悪いんだ!」と私も負けなかったため、二人の関係は険悪になり、せっかくの旅先の爽やかな朝の食卓がぶちこわしになった。それは旅の最終日だったので帰りの車中にも嫌な雰囲気をそのまま引きずった。もっとも免許のないカブラーはすぐに助手席で寝たから、私一人がむかむかしながら東京までの400キロの道のりを運転した。ちなみにその後、私はひと月くらいカブラー氏と連絡をとらなかった。向こうから連絡をとってくるはずもなく、そうしたら次の『フライの雑誌』でカブラーの連載原稿が落ちた。苦い思い出だ。

要はカブラーも私もサクラマスをきちんと口にした経験がなかった。サクラマスは東京で買ったらとても高価だ。サケ類は美味しい魚だが、身質と味は基本的にどれも似ている。市場に流通せずに、自分で釣ったり誰かにもらわなければ食べられないサケも多い。焼いた切身の状態のサケを食べてどの魚かを当てるのは、ふつうの人にはほぼ無理だろう。そもそも、そんなマニアックなことに挑戦しようとするヒマな人はまずいない。

●S氏の「おれ、キキザケできるんだあ。」という、のんびりした北海道弁を聞いた私は、「やはり道楽編集長だけのことはある」と率直に納得した。

やつなら「利鮭」も普通にありえる。だって「やるやるやります」と言いながら、創刊から3年近くたってもいまだに自社のウェブサイトを放置しっぱなしで、取材と称して自分の好きな釣りと野遊びと温泉に日々かまけている体重百キロ超の、エピキュリアンなクマ男である。「利き鮭」くらい軽々とこなすに違いない。

そんなS氏は、今年は北海道産のマツタケを東京へ大量に送ってくれた。またくれ。

●で、昨夜、私はふとこのS氏のキキザケのことを思い出した。そこで、今はちょうどシーズンであるから、これまたオホーツクの友人から送ってもらった今年のマス(北海道ではカラフトマスをマスと呼ぶ)とアキアジの切身とを、同時にグリルで焼いて食べ比べてみた。「プチ利き鮭」である。

う〜ん。どっちもうまいけど、身質も含めてカラフトマスのほうがひょっとしたらうまいかな。そこでオホーツクの友人に電話をかけて、「アキアジとマスと食べ比べたんだけど、マスのほうがうまいかな」と言った。すると友人は電話の向こうで「でしょう! ぜーったいマスの方がうまいですって!」と、びっくりするような大声で叫んでいた。

なんでこいつはこんなに喜んでいるのかと思ったら、そういえば今年の夏、オホーツクの友人はS氏と「アキアジとマスとどちらがうまいか。」で、私が思わず仲裁に入るほどの大げんかをしていたのであった。オホーツクの友人は断乎としてマス派、S氏は自信満々でアキアジ派だった。カブラーといいS氏といいオホーツクの友人といい、へんな人々だ。私もか。

そういえばS氏は「本物のケイジはとんでもなくうまいぞ」とも言っていた。一尾10万円は下らないという「本物のケイジ」を食べたことがない私は、ごくりと唾を飲み込んだ。

「利き鮭」マスターへの道ははるか遠い。

葛西善蔵と釣りがしたい|堀内正徳=著(『フライの雑誌』編集人)