ブラックバスを叩きたかった人々、その後

クロマグロの国際取引全面禁止がワシントン条約会議の議題にのせられるというニュースが報道された。ワシントン条約といえば現代における水戸黄門の印籠である。クロマグロが本当にワシントン条約で規制されてしかるべき生物かどうかは水産庁が反論すると言っているので、その推移を見たい。

クロマグロを大量消費する日本人への欧州からの批判はともかく、何ごとかをヒステリックに強弁する人の背中には、必ず自らの思想や利益との相関が隠れているものだ。ワシントン条約と同様、やはり時代の印籠として機能している概念に、生物多様性という考え方がある。かつてそれを振りかざして、ブラックバスとバス釣り師を犯罪者呼ばわりしていた人々がいた。

お気づきの方も多いと思うが、このところテレビでレクリエーションとしてのバス釣りをとりあげているのを目にする機会が多い。先日のNHK教育テレビでは、四国の高校生の釣りクラブがルアーでバスを釣り大切そうにリリースしているシーンを、環境教育の文脈で好意的に紹介していた。バス釣りはべつに法律違反でもなんでもないのだが、一時期はテレビ界がそろってバス釣りシーンの放映を自粛していたのは事実だ。

バス叩きが始まる前にバス釣りブームのトップランナーとして活躍し、バス叩きが始まったらとたんに口をつぐんで姿を消した糸井重里氏も、最近になってまたぞろバス釣りに復帰してきている。先だってはダウンタウンの「芸能人釣り選手権」というバス釣りの番組に嬉々として出演していた。この間のご自身の行動の変化について番組中で何か言うのかなと思ったら何も言わなかった。そのあたりが彼の人品を表していて切ない。

というわけで、一時のブラックバス憎しのブームも去り、そろそろ世の中は冷静さを取り戻しつつあるように見える。では当時、バス叩きを中心的な立場で煽動していた人々は、今どうしているのだろうか。

本多勝一氏の息子で、父子ともに各媒体でブラックバスとバス釣り師を精力的に攻撃していた多田実氏(本名:本多清)は、その甲斐あってか、今は晴れて株式会社アミタ持続可能経済研究所という環境系企業に、就職口を得ている。この会社は生物多様性に配慮した企業活動コンサルティング(?)が得意だそうで、多田氏はそこで開発グループの主任研究員として働いている。7年前の2002年に世田谷で開かれた多摩川のシンポジウム「どうする?放流魚と多摩川らしさ」でお見かけした時は、多田氏は長髪を後ろで束ねてよく分からないカメラマンベストみたいなものを着ていた。そのファッションセンスは衝撃的だったのだが今は洗練されたネクタイ姿である。よく似合っている。

一方、生物多様性研究会では多田氏の仲間で、ゴーストライターが書いたことを当のゴーストライター氏に明らかにされた単行本『ブラックバスがメダカを食う』を1999年に上梓して、バス叩きブームの先鞭をつけた秋月岩魚氏はどうか。

秋月氏はもともとは釣り関係のカメラマンだったのだが、あんなことになる前はしばらく表舞台から遠ざかっていた。「ブラックバスがメダカを食う」で再登場して以降の彼の活躍ぶりを、口さがない人々は「ブラックバスで岩魚が食う」と揶揄した。バス叩きの急先鋒だった生物多様性研究会の代表である秋月氏は、2001年に立教大学で開かれた公開討論会で、『魔魚狩り』著者の水口憲哉氏に生物多様性の定義を問われ、「生物多様性とは、なぜ日本にキリンやライオンがいないかということです。」と、胸を張って断言した。会場は大騒ぎとなった。

秋月氏にもはや釣り関係から仕事の声がかかるはずはないにしても、バス叩きブームが終わってからはとんと姿を見ないので最近はどうされているのかと思ったら、ネット上の個人サイトで営業していた。「オリジナルプリント海外編」の四ツ切写真が送料・税込で定価100,000円だそうだ。

多田氏と秋月氏が今なおブラックバス排除運動を続けているのかどうかは寡聞にして知らない。多田氏と秋月氏とのあいだにどのようなおつきあいがあるのかも分からない。ただ、彼らが依拠していた生物多様性研究会のウェブサイトは、この3年近くまったく更新されていない。そのことと彼らの現在の立場から、彼らが当時それぞれどのような狙いをもってバス叩きに関わったか、今の二人がどんな関係性にあるのかを、推測できるような気がする。