※全文を公開しました。(2019.10.16)
↓↓↓ 2011.08.03 記 ↓↓↓
twitter上で昨今の「釣りガール」ブーム(?)について、すこしやりとりがあった。釣りをやらない若者から「釣りガールで釣れるのはおっさんだけ」という指摘を、ズバリいただいたりして面白かった。
業界仕込みの釣りガールに、片っ端から食いつく釣りおっさんてのも哀しい。わたしは選んで食いつくが。(いばることじゃない)
フライでもなんでも釣りなんて、誰でも気軽に適当に自由に始められて、それぞれ勝手に寄り添って楽しむものだ。なのに、ちょっと注目されるとすぐ業界で乗り出してきて、旧くさい昭和な手法でおカネをいただいて、商売的にあおる。で、せっかくこれから釣りを始めるかもしれない、聡明な若い人たちを、逆に幻滅させる一部の媒体が残念すぎるというか、しゃらくさい。
どっかのタレントの卵を「釣りガール」に仕立てて、きれいなおベベ着せてバーターで売り出そうなんて浅薄な企画を立てる人は、釣りを商売の小道具としてしか見られないんだろう。
というわけで、古い記事を思い出した。『フライの雑誌』第7号(1988年)から、元・つるや釣具店店主、五十嵐忠造氏のインタビュー記事を全文紹介する。タイトルは「このままいくと日本の釣り業界は滅亡します」。
「釣り雑誌は売れてないんじゃないですか。アレ買って読もうって気になりませんよ」、「釣りは誰にも縛られないでのんびりできるようでなくっちゃいけません。妙に一般化しちゃあ…それじゃ逆行なんですよ」、「釣りっていうのは個人プレーでしょ。誰にも縛られないでのんびりできるようでなくっちゃいけません」・・・
コレ、1988年の記事である。
以下に抄録を紹介する。
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日本釣り場論 2
このままいくと日本の釣り業界は滅亡します
五十嵐忠造さん(元・つるや釣具店店主)
・・・・・・
今、日本の釣り場の中で、年々状態がよくなる可能性をもつ釣り場が果たしてあるだろうか。もちろん、単純に魚が釣れればいいということなら、多大な放流によってかとうじてその点を満たす釣り場はあるだろう。しかし、それはどこかが違う。
釣り場は、公共の豊かな自然のなかにあってこそ、その意義も価値も高まる。日本の釣り場が今日のような状況になってきた原因はいろいろ考えられ、思い浮かぶ。その点において、日本の釣具業界を考えるとどうなのか? 釣具業界は釣り場や釣りそのものを向上させる働きをしているのか? あるいは釣具業界から今日の釣り場や釣りそのもののあり方を見ると、いったいどう見えるのか? 五十嵐忠造さんに聴いてみた。(編集部/中沢)
・・・・・・
五十嵐 …だからね、何度もいうようですが、数をたくさん釣る人が名人だとか、とにかく釣れればいいという考え方をなんとかしないとダメですね。メーカーにしても、この道具を使えば簡単にたくさん釣れますという考え方をこのまま続けていくのは問題があるでしょうね。
で、これは私が釣道具屋をやめたからいえるのかもしれませんが、これ以上むやみに釣り人が増えない方がいいと思うんです。このへんで釣り人を少し減らすことを考えて、そこから再出発しないとどうにもならないんじゃないですかね。
その点ね、フライをする人は多くないですが、もともと数多く釣ろうなんて人が少ないわけでしょ、だからフライは今でも残ってるんだと思いますね。
─ 釣具業界だけでなく、釣り雑誌や新聞なども含めて、何か気になられることはありますか? 本誌も釣り雑誌ですから、エリを正してお聴きします。
五十嵐 いやあ、釣り雑誌はもう売れてないんじゃないですかね。アレ買って読もうって気になりませんよ。こないだも久しぶりにアユ釣りに誘われまして、そのときのことがある雑誌に載りまして、どなたかが教えてくれたので久しぶりに買ってみたんです。でもそれ見たら、こんな雑誌買う人いるのかな?と思っちゃいましたね。
少なくとも多獲主義をなんとかして、数多く釣る人を名人みたいに扱わないようにしていかないとダメですね。そしてこれから釣りをどうもっていったらいいのか?とか、ほんとうの釣りの味わいを楽しめるようなものにしないとね。でもね、雑誌にしても商売ですからね、そうはいっても無理でしょうね。
釣り業界は前から小さな業界だったんです。それをね、いつのまにかゴルフだとか何だとかの業界と同じようにやりはじめた。それじゃダメなんですよ。妙に一般化してスポーツだとかゲームだとかいって…。それじゃ逆行なんですよ。スポーツとかゲームだという意味をとり違えると、つまんないことになっちゃいますね。
これからの時代は、ますます人の暮らしの中で、本来の釣りの楽しさみたいなものが最良のストレス解消になり、より一層求められてくると思うんです。…今、世の中は財テクとかは盛んでしょ。日本はああいう感じでどんどんいっちゃってる。釣りもああいう感じで同じ波に乗ってたら、たまったもんじゃないですよ。
釣りっていうのは個人プレーでしょ。誰にも縛られないでのんびりできるようでなくっちゃいけません。何か妙に一生懸命やって、一生懸命釣り場や魚をくいつぶしちゃいけませんよ。釣道具屋もメーカーも、妙に近代的になって、企業意識みたいなものをもっちゃいけませんよ。少なくとも釣道具屋は家業ですよ。
でね、いずれにしましてもね、人と自然と魚がうまく調和して、その中で釣り人も調和を考えていかないと、将来的には釣りはダメになる一方でしょうね。釣具業界関係者もこのあたりで考え方をかえないと、業界そのものが滅亡しちゃうんじゃないですかね。そう思いますね。
(1988年10月29日 東京・大崎にて収録 ききて:中沢孝)
多獲主義をやめるとは、実入りは少しでいいから、個々人のたのしみを大切にして、持続させるということ。目先の経済活動は小さくなっていいから、自然に寄り添う社会へ転換させていく。その方が長い目で見れば、たくさんのひとが、長く幸せに生きられる世の中になる。原発事故後に読みかえして、考えさせられるところの多いインタビューだと思う。(編集部/堀内)
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