多摩川でよれよれの大ウナギを捕ったこと

『ウナギと日本人』、興味津々で読みすすめ中。

中学生の夏休み、多摩川日野橋下の穴ぼこで小ブナ釣りをしているとき、1メートル近くありそうなウナギが橋脚の脇から姿を現した。すでによれよれだったので、一緒に釣りをしていた友だちと竿を放り出して追いかけ回した末に、手で捕ってバケツへ放り込んだ。

本書によると、産卵を経験しないとウナギは10数年はかるく生きるらしい。するとあのときのウナギは、当時のわたしよりも多摩川で長く暮らしていたのかもしれない。

中学生たちは、大ウナギを捕ったはいいが、持ち帰ってもどうしようと悩んだ末に川へ戻した。バケツから放り出されたウナギは、ゆるくのたうちながら、深みへ沈んでいった。腹が白くてまるで瀬戸物のようだ、エロい、と思ったのは、わたしが中学生だったからだ。

その日、家に帰り、ウナギを捕って放したと父親へ自慢げに報告したところ、「ばかだなー! お前は。ウナギうまいのに! ばかだなー!!」と、必要以上に大騒ぎされた。「だからお前はダメなんだ。」とまで言われた気がする。

父親は河口湖で育った。父親の父親(祖父)といっしょに、夜に河口湖へ流し針をしかけてウナギを釣るのは日常だった。ウナギは父親の母親(祖母)が料理して、家族で食べた。腕くらいの太いのが釣れたが、あまり太いのはおいしくなかったという。

ほめてくれると思っていた父親にはげしく残念がられて、中学生のわたしは(多摩川の死にかけたウナギを食べるの?)と、下くちびるを軽くかんだ。

1980年代初頭の日野橋の大ウナギは、だれかが放流したものなのか、それとも、海から何千キロの旅を経て遡ってきたものだったのだろうか。

さらにその昔、1950年代に河口湖でよく釣れたというウナギは、いったいどこからやってきたウナギなのでしょうねと、祖父も父親もとっくに死んだが、聞いてみたい。「前からいたんだよ。」ですまされるだろうと思うが。

日本人が食いつくしたせいで、ウナギが地球上からいなくなるかもしれないと、人々が騒いでいる。川をあんなにしてしまえば、今までウナギが命をつないできたことのほうが奇跡的じゃないかと、わたしは分かった風な口をきく。

『ウナギと日本人』によれば、日本でウナギが最も多く食べられていたのは平成10年代前半(1998年から2003年)のころで、一人当たり年間5匹くらい食べていたという。もちろんそれらは獲ってきた稚魚を育てた養殖もののウナギだ。

この先、わたしがわたしの子どもといっしょに天然のウナギを釣り、それを妻が料理して、みんなで食べるという経験はなさそうだ。たとえ釣ったとしても、ウナギを丸ごと一本渡されても妻は困るだろう。わたしだって困る。

たかだか40数年しか生きていなくても、世の中はけっこうかわる。

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「葛西善蔵と釣りがしたい」|自分の書いた本を手にとってもらうのは、尺ヤマメを釣るのと同じくらい難しいことがよく分かりました。
本を手にとってもらうのは、大ウナギを釣るのと同じくらい難しい。