『柳美里対談集――沈黙より軽い言葉を発するなかれ』柳美里/創出版
作家初の対談集。3・11以前と以降をまたいだ8つの対談を一冊にまとめた。
「100人の死は悲劇だが、100万人の死は統計だ」というアイヒマンの言葉がありますが、小説や映画って統計から一人を掘り起こす、一人を救い出すことだと思うんです。(205頁 寺島しのぶさんとの対談で)
これは広島・長崎への原爆投下による死者の数を前段に置いた上での発言。常に小さいもの、弱いものの側に身と心を置きつつ、同じ道行きの作家として大きな力へ絶対に負けないきびしさを自らに課した言葉だと思う。原発事故以降に始まった子どもたちの甲状腺検査の結果云々で、がんを発症した子どもが発見されたけれどその患者数だと統計学的に有意じゃないよね、と嗤う人々はこの言葉をどう読むのかなあ♡と思った。
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『元刑務官が明かす死刑のすべて』坂本敏夫/文春文庫
秋葉原の事件で二審も死刑判決だとかで、先日読んだこの本を思い出した。著者は自分の元刑務官の肩書きを何回も振りかざす。どんな職業ジャンルでもこういう〈元なんとか〉さんの言うことはまともに受け入れないことにしているが、第六章〈死刑を執行するということ〉は組織末端に集中する不条理の共有として記憶に残った。ただし所載「劇画 死刑執行」と「ドキュメントノベル 死刑囚監房物語」の表現物としてのレベルには戸惑うばかり。
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死刑関連書籍では『ドキュメント死刑囚』(篠田博之/ちくま新書)が必読。いったんヤッてしまえば後からどうにも取り返しがつかない、という意味で死刑執行と原発事故との不可逆性は重なる。
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対象者に寄り添い距離を測りつつ、ただでさえつかみ難い相手の実像に一歩でも迫るための気遣いと不断の努力。努力と感じさせないのが黒子たる編集者の力量。宮﨑勤死刑囚との12年にもわたるつきあいが宮﨑勤本人の死刑執行によって突然切断されたときの喪失感はどれだけだったことか。
同じ編集者もの本でも、『三流週刊誌編集部-アサヒ芸能と徳間康快の思い出』(佐々木崇夫)や『「噂の真相」25年戦記 』(岡留安則)といったアガったおじさんの回顧ものではなく、 同時代性から逃げない『「編集者」の仕事』(安原顕)に連なる一冊。
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『原発幻魔大戦』 (いましろたかし/ビームコミックス)
同じコミックビームへの連載をまとめた単行本前作が、タイトルそのままの静謐な『引き潮』で、次がこの〈反原発!反TPP!未曾有の危機に瀕する日本の“幻魔”に、怒れる漫画家が真っ正面から挑む、等身大アジテーション日常漫画!!〉(出版社の宣伝コピーより)。テンションの振れ幅180度と言っていい。巻末の田中康夫との対談では、原発が止まらないもどかしさに喘ぐいましろさんが田中康夫に色々と諭され、背中を押されている。
〈等身大アジテーション〉の生々しさにおどろくかもしれないが、過去作を通して読めば分かる通り、この熱さは作家の内実にもともとあった素養。〈脱力系マンガ家〉なんてレッテル貼りの方が間違い。10月には「2」が出る。〈反原発!反TPP!〉への是非はともかく、いましろたかしファンなら必読。大正プロレタリア文学の歴史をたどるかどうかは今後の展開次第。
フライの雑誌社から出ている『朝日のあたる川』(真柄慎一)では、編集者である私が一ファンのわがまま的に頼み込んで、いましろさんにカバー画をお願いした。いましろさんのキャラ「チバちゃん」をどうしてもこの本に出したかった。なぜなら著者の真柄慎一さんが「チバちゃん」にそっくりだから。真柄さんに初めて会った時に直感した。「〝チバちゃん〟じゃん」と。 ※後日談:実際に描かれたカバー画を見て「これ、あんただね」と真柄氏のご家族も大いにご納得とのこと。
『朝日のあたる川』は29歳、家無し、職無し、彼女ありの真柄さんが、この先の自分の人生に疑いをもたず、ただ行く先の人々と交流しながらのんびり釣りをして、日本列島を巡った日々の記録だ。そんな呑気きわまる「赤貧にっぽん釣りの旅二万三千キロ」が成立したのは、この国が震災に遭う前であったからだろうか。真柄さんの人となりを思うとそうでもないような気がする。
いやひょっとしたら、わたしやあなたも真柄さんのように「にっぽんを釣りしてまわりたい」という理由だけで、今からでも旅に出られる。そして釣り竿を手にもってさえいれば、行った先の見知らぬ人々と、釣り竿なしでは考えられないほど素直に、互いの心をひらいてふれあうことができる。
たとえ経験した過去と現状がどれだけきびしくて、先行きの地図が見えなくとも、なんとなく釣り竿を手にすれば、その先はなんとかなるだろう。
そもそも釣りは根拠がないところに自分の未来を預ける遊びである。