Tさんのこと。

むかし高円寺に住んでいたころ、近くのアパートに一人暮らししている男と知り合いになった。私より5歳ほど年上だった。どこで最初に会ったのか覚えていない。ヒマだった私は時々その男──、Tさんの部屋へ遊びに行った。

携帯電話なんかなかった時代だ。私の部屋には電話はひいていたが、アルバイトのTさんは電話が嫌いだということだった。だからTさんの部屋に遊びに行くときは、幹線道路の向こう側のTさんのアパートの部屋の下まで行って、明かりのついている窓に向かって大きな声で呼ぶのだった。「Tさーん」と。

部屋にTさんがいれば窓がひらいて顔をのぞかせ、「やあ、いらっしゃい。」と言ってくれた。私もTさんも、いつだれが部屋にやって来てもまったく問題ない私生活を過ごしていた。二人で会って何を話すかというと、最近見た映画のはなし(まだ名画座がたくさんあった)、読んだ小説のはなし、音楽(Tさんは現代音楽に詳しかった)、そういうどうでもいいことばかりだ。

会話といっても、たいていはTさんが私にレクチャーしてくれる感じだった。たまに私がTさんの琴線に触れる話題を仕入れてくると、Tさんは身を乗り出して聞いてくれた。それがうれしくて、私は休みのたびに都内をうろついては、自分が〈文化的〉だと思えるあれこれを摂取していた。〈高等遊民〉ならぬ〈下等遊民〉だとうそぶいていた。

学生時代に私は翻訳ものの官能文学を探して読んでいたことがある。初期のフランス書院文庫や早川、角川の官能系の絶版本を古本屋で探し、安く買うのが喜びだった。〈ファニー・ヒル〉だとか〈キャンディ〉、あるいは〈パピの体験〉だとかの類いだ。

そんな話をなにかの弾みにTさんにしたところ、Tさんが「じつは、」と身を乗り出し、「おれ最近、小説を書きはじめたんだ」と少し恥ずかしそうに言った。私は即座に「それはすごいです。ぜひ読ませてください。」と言った。二人ともまだ20代の若さだった。感情も会話も素直だったのだ。その日の帰り際に、Tさんは手あかで汚れた大学ノートを渡してくれた。

夜も更けていたが、Tさんの部屋から戻ってさっそくノートを開くと、Tさんの手書きの小さな文字が、横書きの狭い罫線の間にびっしりと埋まっていた。しかし文字が埋まっているのは最初の数ページだけだった。

よくよく見ると、Tさんのきちょうめんな文字で書かれているのは、いわゆる官能小説のイメージスケッチのようなものだった。行為そのものではなくてその前振りというか前貼りというか、男と女が出会ってベッドへ至るまでのあれやこれやが微に入り細にわたり、ごくごく綿密に描かれていた。そしてベッドに入る手前で、ブチッと文章が終わっていた。デコレーションする前の裸のスポンジケーキがたくさん放置されているようなものだった。

翌日、私はTさんの部屋に行って「これは何の習作ですか。」と聞いた。それは明らかに習作以外の何ものでもなかったから。するとTさんは昨夜よりもいっそう顔を赤らめて、「いやあ、ポルノを書こうと思ってるんだけど、そこに行く前に自分で気持ちよくなっちゃうんだよ。」と言った。

どうやら表現する前に自分が満足してしまうらしい。つまり、文章としてアウトプットする前に、書き手(Tさん)が勝手に精神的に亢進して、図らずもアウトプットしてしまうらしかった。いったんアウトになったらもちろんポルノ小説なんか書けるはずもない。

それからもTさんはしばらくポルノに挑戦していた。そのうち遊びに行くと、明らかに顔がげっそりしているようになった。私は心配になって「Tさん、人には向き不向きがあると言いますよ。」とさとすと、Tさんは「うん、わかってる…。」と消え入りそうな声で言った。

その頃のTさんは、身体のどこかに小さな穴があいて、四六時中シュウシュウと空気が漏れ、かつ水分がどんどん蒸発していっているようだった。私はそんなTさんを見て〈即身仏〉という言葉を思い出していた。Tさんには才能がありすぎたのだ。

Tさんとそんな風にひんぱんに会っていたのは、一年足らずの時間だった。そのうち私は私生活がいそがしくなった。私はTさんに会うよりも、夜は別の人といっしょにいたくなり、Tさんの部屋に行くこともなくなった。

しばらくして、高円寺駅南口のパル商店街の入り口で、偶然Tさんに会った。先に私を見つけたTさんは、「よ、げんき。」とうれしそうに話しかけてくれた。そのとなりにはTさんよりもけっこう年上の女性が寄り添っていて、私に会釈してくれていた。私もあわててお辞儀した。お辞儀しながらそっと見ると、Tさんの血色はすっかりよくなっていたようだ。

いま私は釣りがらみの本や雑誌を作るのを仕事にしている。私は子どものころから釣りをやっていて、いつのまにか人生に釣りがにじみついてしまった。そして釣りのことばかり考えている毎日を送りながらも、やっぱり釣りが好きなんだろうという自覚がある。

締め切りが目前に迫った修羅場になると、カーッと頭が熱くなる。なんで自分は釣りもしないで机の前に座ってこんなことやってるんだと、全てを放り出して釣りに行きたくなる。

そんなとき、ふと、あのころのTさんのことを思い出すのである。