美人の条件についてかんがえる

誰もが「あの人は美人だ」と感嘆する美人が世の中にはまれに存在する。女優さんはふつう美人でないと商売にならないので美人が多い。伊東美咲とか。本人が美人を意識しているのが見えてしまっているので、きれいはきれいだけどそれだけ、という感じ。小西真奈美とか。スラッとしている人には弱いんですがね。定番の夏目雅子の美人っぷりに関してはいまや誰も反論できないところは反則的である。小さい頃は可愛かった双子のまなかなは、成長するに伴いどんどんひどくなっている。ひどくなるのも二人セットなのがちょっと気の毒。だいたい小さい頃にかわいいと後年裏切られるケースが多い。カルキン君とか拝大五郎とか。それはちょっと違うか。

美人と言えば、個人的には断固として、高峰秀子をあげたい。よく間違われるがフルムーン熟女の高峰三枝子ではないので念のため。成瀬作品の高峰秀子は、まったくもってどれも素晴らしい。銀座の並木座で『浮雲』を観たあと地上への階段を上がっていたら、十条の飲み屋のバイトのYちゃんにばったり出会った。映画を観た後の興奮のために、Yちゃんのきっついキツネ目が高峰秀子の切れ長の美しい目線にかぶって、思わず惚れてしまうという失態を犯した苦い思い出は、もう20年近く前になるのだなあ。とそんなことはどうでもいい。

さて、青森の「美人すぎる市議」が自分の後援会の会長にカネがらみで告発されたとかで、昼のニュースに出ていた。彼女は「すぎる」かどうかは別としても、たしかに美人ですと言い張れるレベルにあると思う。正直私は、彼女が先ごろ発売した水着のDVDをタダで見たくてYOUTUBEで探しまくりましたよ。笑顔がいいですね。ただしかし、今日のニュースでの彼女のレポーターへの対応はとても下品だった。ご本人的には言葉遣いなどあえて丁寧に応対したつもりだろうが、あれでは慇懃無礼にもなっていない。貧困な知性と性格の卑しさが、大きなおめめからこぼれ落ちている感じだ。美人には品性とにじみでる知性が必須なのだ。だいたい死んだ父親の跡を継いで二世政治家になろうという時点で(そういう人は多いけれど)、美人の条件としては失格だ。ついでにいえばそういう女を担いで後援会を運営してしまう方もしょせん同じレベルかと思う。

このように、造形的には美人であっても美人らしからぬ美人もいれば、本来は美人じゃないのにふとした瞬間に美しく見えてしまう人もいる。ナイアガラドライバーを決めた瞬間の井上京子とか、オリンピックを終えた感想を聞かれたインタビューで「ご飯を食べたいです」と答えた柔道の塚田真希とか、美人じゃないのに美しい。スポーツ選手は得である。美人の条件には、声質も肝要だ。ヘミングウエイの短編に出てくる娼婦はたしか、太っちょだけど「声がきれい」ということになっていたはずだ。初めて読んだとき「声がきれいで巨大な売笑婦」というイメージに私ははげしく欲情した。なんだか羽毛布団みたいじゃないか。

さて、というわけで、性格がよくて知的で周りをぱっと明るくしてくれる華があって、声もきれいで、だれもが惚れ惚れと憧れてしまう美人というと、本当にむずかしい。いったいそんな高度な条件を満たす美人が、果たしてこの世の中にいるのだろうか。いるんです。たとえば、しょうこお姉さんとかしょうこお姉さんとかしょうこお姉さんとか。「しょうこの着信ボイス」に私はこれまでいったいいくらつぎこんでいると思っているんだ。結局それが言いたかっただけなの。