私がはじめて触ったMacはCentrisだった。調べてみると1993年頃のことで、はるか大昔である。当時のパソコンは、文字変換能力が情けないくらいに低かった。「とうきょうと」と打つと、「等強と」と出たりする。あほかと。
もちろん、フライフィッシング用語なんて、ATOKだって一個も対応しているはずもない。「どらい」と打つと「どら胃」、「にんふ」と打つと「にん府」と出てきて、しかも何回やっても覚えてくれないのには閉口した。入稿前のいそがしいときに「どら具フリー」なんて何度も出て来た日には、ほとんど殺意を覚えるものだ。
そこで、よく使う単語はひとつひとつユーザ辞書に登録するようになった。さいしょは少し面倒でも、書き出しの二、三文字を打つだけで、フライフィッシング絡みのマニアックな専門用語が、パパッと変換される。自分のMacをフライフィッシング仕様に育てていくようで、こんなMacなかなかないだろうと、フライマン的に妙な満足感があった。Leopardにしてからはいくつかの単語を登録しただけで、デフォルトの記憶機能に頼ってほぼストレスを感じない。
今では、携帯電話の辞書も、たいへん進歩している。直前に変換した単語を勝手に覚えていて、次に一文字打った時にさっきの単語を(時にはセンテンスまで)、バッと表示してくれる機能は、幼児じゃないんだから、そこまで手取り足取りやってくれなくてもいいよ、と思うこともあるが、おおむねとっても便利である。
毎日新聞にときどき載る、鹿島茂氏のコラムを楽しみにしている。今朝は、オーウェルの『1984年』のニュースピークにソシュールをひっかけて、現代の若者の言語コミュニケーションについて語っていた。「KY」だとか「うざい」だとか、簡素化した感情表現が進行すればするほど、シニフィアンとシニフィエが乖離していくパラドックス、のような内容だった。
今朝、私は、携帯電話のアラームのメモ欄に、「ほ」と打った。そうしたら「保育園」と出た。つづいて「お」と打ったら、「お迎え1730」と出た。これもニュースピークの一種であるのか。