『フライの雑誌』に連載中の、樋口明雄氏が上梓した最新単行本『約束の地』を読み終えた。2段組み516頁という大作である。じつは私は書き出しのワンシーンを読んだところで、もったいなくなり、しばらく寝かせておいた。読み手の気分を発酵させておいて今日ふたたび扉をひらき、冬の日の午後に一気に読み終えた。
以前も書いたが、樋口作品の最大の魅力は、誤解をおそれずにいえば、ほとんど信仰とも思えるヒューマニズムであると私は思う。登場人物が次々と繰りだす熱い鉄拳に、読者は頁を繰るごとにほとほと打ちのめされる。影響を受けやすい私などはつい、「こんなぼくでもまっすぐ生きよう。」などと決意させられるのが、心地よい。本作でもこれまでの樋口作品と同様、キャラクターたちの視線はどこまでもまっすぐだ。瑞々しい子どもはもちろんのこと、ヤクザの頭領みたいな頑迷な老猟師も、金壺眼の奥に人としての良心をキラリとのぞかせる。そこがいい。
中盤から終盤にかけての愛情にまみれた人と〝巨大な何か〟との決闘シーンは、物語がそこに至るまでの社会的な背景を、作品前段で描ききってあるが故に、他にはない説得力をもって迫ってくる。生と死という重いテーマが抵抗感なくスッと胸中に落とされる感じだ。まさに小説という表現形態でしかなしえない技であるように思う。物語の終盤、たぶんそう来るかなと分かっていた展開だったのに、やっぱり私はブワーッと泣かされてしまった。といって、最近流行りのお涙ちょうだいものとは次元がまったく違うので念のため。
じつは樋口氏は本作執筆中に作品の軸となる、とある厳しい<訓練>を自らに課している。あとがきで「ミイラ取りがミイラになった」と氏が書いたその<訓練>の背景は、『フライの雑誌』の第79、80、81号にわたって寄稿してくださった樋口氏のエッセイに詳しい。あわせて読んでいただけると、作品世界がさらに深まるはずだ。
名作の誉れ高い『光の山脈』に通じその興奮をさらに重層的に高める、樋口明雄の新境地がここに生まれた。四季をめぐる山の描写は、山棲みの著者ならではの、圧倒的な美しさだ。本作品はこれから大いに読書人の話題となるにちがいない。
Amazon.co.jp 『約束の地』樋口明雄著(光文社刊)