10年前ならいざ知らずいまどきキャッチ・アンド・リリースの

規則があるからいい釣り場だなどと言えば、思慮不足か時代錯誤とそしられる。釣りという遊びは世知辛い浮き世からはなれて、のびのびと羽を伸ばす時間を過ごせるのが、本来のいいところである。釣りに限らず、なんでもルールや規則を決めたがり、そこに絡めとられるのを是とする人は、ドMか、あるいはドSではなかろうか。言葉のわるい私見ですが。

『フライの雑誌』第4号に「キャッチ・アンド・リリースを再考する」という特集が載った。キャッチ・アンド・リリースについて色々な立場からフライマンたちが白黒意見を述べるという牧歌的な企画だったが、とんでもなく多くの反響があった。当時の釣り雑誌がそんな非商業的なテーマをとりあげるはずもなく、ネットの影かたちもなかった時代に『フライの雑誌』の異質さが目立ったのだろう。

それから21年たったいま、キャッチ・アンド・リリースの規則を掲げて集客しようとしている渓流釣り場が、日本国内にはたくさんある。いいわるいは別として隔世の感とはこのことだ。当時から現在まで釣りつづけている釣り人は、ものすごくドラスティックな釣り場の変化を経験してきているのにほかならない。そのあたりの事情は『フライの雑誌』次号85号に載せた〈日本釣り場論〉の中村智幸さんの講演のなかで、くわしく分析されている。

さて、それとは別に、このところ北海道で釣り人を規制する条例が立てつづけに成立している。その情況を受けて『フライの雑誌』の次号第85号のトピックス欄に、私(堀内)は短い文章を書いた。ひと昔前ならこの人カゲキ派なんじゃないかと後ろ指を指される内容、かもしれない。どんな反響をいただけるのか、もしくは無視されるのか。いまの時代性とあわせ考えると今後の展開がまったく読めない。文章の最後にはこう書いた。

「これは挑発です。乞うご意見。」