『フライの雑誌』の常連執筆者である作家・樋口明雄さんの新刊『竜虎』(ロンフー)を読了。
長編小説は書くのもたいへんだろうけど読むのにも体力がいる。これだけ娯楽がたくさんある時代にあえて大長編娯楽小説を手にする読者は、ページを繰っているあいだ作家の構築した小説世界に引きずり込まれ、もみくちゃにされ頭をわしづかみにされてブンブン振り回され、もうどうにでもしてちょうだいという被虐的気分に浸りたい、それもできるだけ長くお願いしますという二重のどMであると断言できる。
『竜虎』は四六判2段組み360ページのまごうかたなき大長編だ。侵略者である日本軍と抗日義勇軍、そして独立愚連で勇猛果敢な馬賊が中国大陸を駆け巡っていた時代を舞台とする。『頭弾』『狼叫』につづく中国ウエスタン小説(個人的には〈満州ウエスタン〉と呼びたい)三部作の完結編である。
もともと半端ない西部劇マニアな樋口明雄が手がけた渾身の「馬賊もの」。このテーマを長編シリーズで手がけている作家はほかにいないと思う。まったくこの作家は、歌舞伎町の裏通りで泥を吸い、中央線阿佐ヶ谷の飲屋街を酩酊して這いずったかと思うと、北アルプスは氷雪の標高3000メートル地帯をさまよい、かとおもえばヤマメ・イワナが泳ぐ清冽な渓流を遡行してシカの鼻息に吹かれ、父と娘の甘酢っぱい相克でほろりとさせては、返す刀で荒涼とした満州事変後の大陸砂漠を馬で駆け巡る。選ぶ舞台の幅があるというにもほどがある。読者は追いかけるのがたいへん。
さて『竜虎』の物語はというと、まず主人公は、天駆ける銀馬を操る抗日女馬賊の柴火(さいかと読む。あらゆる武道に天賦の才を持つ)。この超絶美少女が、日本軍のはみだし者である宿敵伊達順之助と運命に手繰り寄せられるように決戦遭いまみえるを軸とする。
そこへ、民を守り信義に生きる馬賊たちの血と涙、侵略者たる関東軍司令の卑怯な罠、その手先の悪辣な軍閥将軍の狂気、情報将校、敵か味方かわからない(マカロニウエスタンそのものの)孤高の元賞金稼ぎどもが、縦糸と横糸を複雑に織りなして出たり入ったりと渦を巻く。しかして主軸はあくまで直情径行一直線、この上なく分かりやすい冒険活劇スペクタクルである。抱きしめたくなるくらい不器用でカッコいい馬賊を応援して思わず「押(ヤー)ッ!」と叫びたくなる。
よくある言い方だが、いったんページを開いたら止まらない。最初から最後まで360ページ二段組みがちっとも長く感じなかったのは、作家の力技としか言いようがない。残りページが少なくなってきた頃には「もっと続けて」と心の中で懇願した。いい小説はやはり読者をどMにするのだなあ。
むかし新宿駅東口に新宿昭和館があったころ、学生だった自分はほかの観客の皆さんと同じく、スクリーンで暴れる健さんや文太や緋牡丹お竜にハートをわしづかみにされ、映画館を出たあと肩を怒らせて風を切って人ごみの中を行き、しばしば怖いお兄さんにぶつかりそうになって、ごめんなさいごめんなさいと平謝りした。
『竜虎』を読了したいま、44歳無職のわたしの頭のなかには馬賊の汗と乾燥した空気を切り裂く弾丸、きらめく白刃と血煙が交錯している。大陸の砂塵がびょうびょうと舞いおどる向こうに、卑怯な裏切り者どもの狡猾な後ろ姿をみつけて、愛馬の横腹に拍車を噛ませるのである。「押(ヤー)ッ!」と大地から噴きだすような野太いかけ声をあげながら。
『竜虎』は『頭弾』『狼叫』から続いている三部作の完結編だが、『竜虎』から読んでもまったく問題ない。ただ『竜虎』を読んでしまうと柴火ちゃんに惚れちゃってもっと活躍してる姿を読みたくなるから、『頭弾』『狼叫』も手にとりたくなるだろうと思います。