環境哲学:学者らが次々発信 原発事故後「自然との共生」訴え(毎日)

正鵠を射る良記事。

毎日新聞 2012年05月21日 東京朝刊

 東京電力福島第1原発事故では、放射性物質により、生物の営みを支える大気や水、土壌などの自然環境が広範囲に汚染された。事故後、環境を破壊せず、自然と共生するライフスタイルを考える「環境哲学」の視点から「脱原発」や、92年にブラジルで開かれた地球サミットの原則に立ち返るよう求める声が相次いでいる。【関東晋慈】

 …ドイツ出身のオプヒュルス鹿島ライノルト・上智大教授(ドイツ近代文化論)は「ドイツが脱原発政策を決められたのはチェルノブイリ原発事故(86年)後に大きな反対運動があったからだ。日本では反対運動があっても興味は一瞬で薄れ、学生も環境破壊は、技術で解決できるという意見が多かった。だが、今回の事故で変わってくるはずだ」と期待を寄せる。

 …竹下賢・関西大教授(環境法哲学)は「人間は、原発を作り出す前から、本来のエネルギー循環を持つ生態系の中で生まれ、生きている。今こそ生態系の自然循環を重視する国家に転換すべきだ」と訴える。(ぜひ全文を)

環境問題を掘り起こすと倫理と哲学に行きつく以上、環境系の学者としてこれはきわめてまっとうな議論だ。

記事中で言及されている1992年のリオ・サミットは、いわゆる環境サミットのこと。環境サミットの成果は、日本では〈生物多様性イズム〉→〈国粋生物学〉→〈ブラックバス叩き〉→〈特定外来生物法の制定〉として、もっとも卑近な形で現出した。日本の環境系学者は各自の研究と利益へ埋没してか、そのことをほとんど批判できなかった。

人間が生きのこってこその環境学である。福島はいうに及ばず東日本いや地球全体で、人間の幸福な生存を現実的にもっとも脅しているのは、二酸化炭素でも外来種でもない。

10万年たっても原発の放射能汚染が消えないことを、社会がはじめて知って驚嘆している現在、まさに上記事でも言っているように、環境系の学者は自らの仕事の出発点へ立ち戻ってはどうか。未来の役に立ってこその学術研究であり、学者という存在である。

環境系の学者は、ン十万年先を見越した倫理と哲学にもとづいて、〈「神の火」が招いた汚染をもとに戻す「神の粉」ができるまでは原発再稼動は無理。〉くらいぶち上げたっていい。

コスモクリーナー開発になら、今なら天井知らずで予算をぶんどれます。