屈斜路湖がキャッチ・アンド・リリースを強制される釣り場になる?

自由でダイナミックな釣りが楽しめるとして、ここ10数年ルアー、フライフィッシングの釣り人に人気の北海道・屈斜路湖。その屈斜路湖を行政管轄する弟子屈町が、「屈斜路湖遊漁振興条令」なるものを設定するべく、パブリックコメントを募集している。概要は以下の通り。

(魚釣りによる行為の制限)
屈斜路湖などで対象の魚を釣り上げたときは、持ち帰らずに、その場において速やかに生きたまま水面に戻さなければなりません。もし釣った魚が死んでしまった場合でも水面に戻してください。 【注 キャッチ・アンド・リリースの強制】

(釣り道具の制限)
さおは一人一本。釣りの仕掛けに使用する釣り針は全て針が1本で、 返しのない釣り針としなければなりません。【バーブレスフックの強制】

(ルールの対象とする魚)
①ヤマメ、②ニジマス、③アメマス(イワナ)、④イトウ、⑤オショロコマ。ウグイについては生息数が極めて多いこと、ヒメマスについては地元の宿泊施設や飲食業において若干の流通が見られ、今後においても地域振興に活用が期待されることから、対象外とします。【ヒメマスは対象外】

基本的に釣りそのものと釣り人を規制する条項がずらずらと並んでいる。

屈斜路湖が釣り場として人気があるのは、漁協もなく、釣り人の自主的な釣り場づくりの努力によって、自由度の高い釣りが楽しめるという意味合いが大きかった。

『フライの雑誌』第75号(2006年11月発行)では、「日本釣り場論41」で〈どうなる どうする屈斜路湖〉と題して、8ページの特集を組んだ。弟子屈町の行政担当者と当時の町長、地元の釣り人、屈斜路湖が好きで通っている関東の釣り人、地元の観光業者さんなどにインタビューして記事にまとめた。

当時弟子屈町は、屈斜路湖を釣りの観光資源として活用したいという、強烈な意向を示していた。そのために「キャッチ・アンド・リリースを導入してみたい」という言葉も行政から出ていた。しかし「キャッチ・アンド・リリース」が魅力的な釣り場の代名詞として機能していた時代は、その2006年時点でもとうに終わっていた。だから、ずいぶん時代遅れなことを言うものだなあと、思ったことを覚えている。

もしこの素案に書かれている通りのことが定められたら、間違いなく屈斜路湖は、日本でもっとも釣りと釣り人に対する規制の強い湖になる。しかも条例だから逃げようがない。釣り場に関して漁協や行政といった公の機関が関わるとき、権力を背景に釣り人へ過剰な規制を課すことがある。屈斜路湖が釣り人に人気があったのは、まさにそういった過剰な規制がなかった(かけられなかった)からこそであることを、弟子屈町は理解しているのか。

以前から屈斜路湖では、産卵期に遡上してくる親魚を網で獲ったり、ヤスで突いたりといった違法行為が放置されてきた。本誌の記事中でも、まずそういった違法行為を監督することが行政の役割だと指摘した。弟子屈町はその点、充分に努力してきたのだろうか。税金をとりやすいところからとるのと同じ感覚で、規制しやすい釣り人を規制しようということはないか。

さらには、上記素案の(ルールの対象とする魚)にある、「ヒメマスは観光資源だから対象外」という条項は、どう考えてもご都合主義である。今回の条例の「魚への負荷を最小限に抑え、持続可能な地域資源として屈斜路湖を維持するために」という趣旨とは、まるで正反対のことを、ヒメマスに関して弟子屈町は言っている。そしてそのヒメマスはもちろん屈斜路湖の在来種ではない。

もっといえば、ここ数年屈斜路湖のニジマスとアメマスは、その数を明らかに増やしていることは釣り人にはよく知られている。たとえ資源量が不安定だとしても、あれだけの広大な水域で「尾数制限」も「体長制限」も「禁漁期設定」も飛び越して、いきなり条令で「尾数制限ゼロ=キャッチ・アンド・リリース」をかける根拠が見えない。

キャッチ・アンド・リリースを釣り客誘致のシンボルにしたいのかもしれないが、その発想は先ほども言ったように、時代遅れで、資源維持の方法論としてふさわしくなく、的外れだ。 ※マス類の資源維持のためのさまざまなアプローチへのくわしい考察は『イワナをもっと増やしたい!』(中村智幸著)を参照のこと。

第75号(2006年)の記事の最後にわたしはこう書いた。

自然再生産したマス類が自由に釣れるこれだけの大きな自然湖は、他にない。..規制がないのにイイ魚が釣れるのが屈斜路湖の最大の魅力だと、関係者も口を揃えて言っている。となれば、何も釣り人から「釣りへ規制をかけてください」とお願いする必要があるのかと、原点に立ち返る選択肢もあろう。釣り人は本当に、誰かからルールを強制されなければ、最後に残ったイイ釣り場を守れないのだろうか。(編集部/堀内)

地域の釣り場の未来は、その地域に暮らしている人々が、自ら責任を負って決めていくことだ。

釣り人は、そこへ行きたいと思えば行く。行きたくないと思えば、行かない。

規制だらけでがんじがらめの釣り場を好む釣り人も中にはいるだろう。

「屈斜路湖遊漁振興条令(素案)」へのパブリックコメント募集は8月31日まで。