壁が騒ぐ。

フライの雑誌社の編集部は、日野の町外れにある古い一軒家にある。

しごとをしているときに、壁のなかでゴソゴソガサガサと音がするのに気づいたのは、ここひと月ほどのことだろうか。そのうちピーとかキュウとか言うようになってきた。

びびりなわたしではあるが、壁がピーとかキュウとか言っても邪悪なふんいきはしないので、とりあえずそのまま放置しておいた。ちょうどいい季節で釣りが忙しかったし。

すると先週あたりから、壁がギャーギャーとか、ギョエーとか大声で叫ぶようになった。これはなにかがおかしいぞ、と思った。それで昨日、家の周囲をぐるりとまわってみた。

すると、二階にある、雨戸を締め切ったままの本の在庫部屋の戸袋のなかから、ムクドリがギョエーとか言いながら出たり入ったりしているのを見つけてしまった。しかも何羽も。

ギョエー、ギョエー言いながら、お向かいのお宅にかかっている電線と、公園のサクラの木、それにうちの戸袋を行ったり来たりしている。

これはと思ってなおも観察した。戸袋周辺を注視する。耳をすますと(すまさなくとも)、うちの戸袋のなかで、はっきりと複数のギュワギュワと叫びたてる声が聞こえてくるではないか。

うわー。『フライの雑誌』の編集部の戸袋のなかに、ムクドリが巣をつくりやがった。しかも絶賛子育て中。

先月ピーとかキュウとか言ってたのはムクドリのひなだった。親鳥の献身的な努力のおかげで、いまは大きくなってギュワギュワなサイズになったのだろう。もうぜったいこの雨戸開けられない。

おそらくはじきに巣立ちの季節だろうから、いまはただひなたちが無事にうちの戸袋から巣立ってくれることを祈るのみだ。まちがっても手の届かないうちの二階の戸袋の中で、ひなにぐったりしないでほしい。ひな狙いのヘビが二階へのぼってくるのも困る。

こうなると今度は、ひながぜんぶ巣立ってくれるまで、気になってしごとにならないなあ。

新刊『葛西善蔵と釣りがしたい』には、こういうような、あたまとこころのねじがゆるむ文章が62篇入っています。

・・・

ゆうべ遅く、カエルの大合唱する浅川沿いを歩いた。そして橋下や慎太郎や安倍や原発を支持する人々とは、もうこの先のわたしの人生で一切付き合わなくていいやと、思った。ハヤやカエルやムクドリと共に生きよう。

これが問題の戸袋。
これが問題の戸袋。
親がこっち見ている。こわいよう。
親がこっち見ている。こわいよう。
『葛西善蔵と釣りがしたい こんがらがったセカイで生きるための62の脇道
『葛西善蔵と釣りがしたい こんがらがったセカイで生きるための62の脇道