自分を全肯定してくれる女なんていない

菜穂子はいらんだろ。

宮崎駿氏が本当に描きたかった堀辰雄は「麦藁帽子」。

一行目を読めば誰にでも分かる。

「風立ちぬ」や「菜穂子」のイメージを持ってきたのは、明らかに偽装。

菜穂子が一人で山の病院へ戻るところで「ゾウの墓場」を想起して吹いた。

ご都合主義のお化けみたいな126分。

「サバの骨」に「きて(はあと)」。

観て一晩たって、むかむか度がどんどん濃くなってくるのは、それだけよくできていたということ。

上記は2013年7月29日のメモ

宮崎駿は映画『風立ちぬ』で、病身の菜穂子に「来て(はあと)」と言わせ、主人公のオタク青年を強姦させた。

宮崎駿は若い頃からナウシカとやりたいとずっと思っていて、しかし自分からは手を出せない。そこで最後の作品で女の方から無理やりやってもらって、ついに思いを遂げた。

『風立ちぬ』は、この「来て(はあと)」を描きたかっただけの作品だ。監督が人生をかけて何十年がかりで仕込んできた、入念で壮大な自慰行為の最終的な射出点だ。

あの映画をみて「感動しました」とか泣いている人はつまりそういうことなんですよ、とわたしは認識していた。

雑誌『KAMINOGE』vol.25のインタビューで鈴木プロデューサーがこのシーンをとりあげ、「宮崎駿は汚い。そんなに都合よくいくわけないでしょう!」(自分を全肯定してくれる女なんていない)と喝破していたのを読んで、膝を打った。

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