10代のころは、魚の顔を見られるだけでしあわせだった。フライフィッシングで魚が釣れること自体が、キセキだった。つまり自分は神であった。
20代にはいると、もっといい釣りをするには遠くへ行かなければならないと思った。遠くへ行けばなにかがあると信じて走り回った。
30代になっても走り回っている内に、ふと気づいた。いろんな釣りを知れば知るほど、フライフィッシングがたのしくなると思っていた。でもどうやらそうでもないらしい。すくなくとも自分の場合はちがうみたい。
40代になると、自分のメインの釣りがフライフィッシングでよかったと思った。フライフィッシングなら、パライソはそこいらじゅうにある。掘っても掘っても底がない。それはジゴクの釜のフタの上に暮らしているということと同じだけれど。
そしてさいきんまた、フライフィッシングで魚が釣れること自体、ものすごくキセキ的なことなのだ。やっぱり自分は神だったんだと、あらためて思い直している。