日本釣り場論31 霞ヶ関発・連続勉強会に潜入する!

霞ヶ関発「川と湖の釣りを考える連続勉強会」ではこんなことが話されている
まとめ 本誌編集部

本誌前号の「フィールド通信」に「霞ヶ関発・『川と湖の釣りを考える連続勉強会』が発足」という記事を掲載した。「釣り場時評」の記事中でも水口憲哉氏がこの「川と湖の釣りを考える連続勉強会」について触れた。

これらの記事にはたくさんの反響をいただいた。「どんなことが話されているのか知りたい」「参加自由ならば、ぜひ自分も行ってみたい」…。その背景には、現在が多くの釣り人が日本の釣り場の現状に対して潜在的に抱えていた不満足が、表面化し発露してくる時合い、そろそろ臨界点だ、というのがひとつある。

もうひとつは、これまで不満足を抱えてはきたけれど、発言するには二の足を踏んでいた人の層が、今回の新しい動きが「霞ヶ関発」であることに安心感や力のようなものを覚えて、それならば自分も前から言いたいことがあると、自ら行動し始めたということではないか。

今年に入ってからの「川と湖の釣りを考える連続勉強会」(以下「勉強会」)で話し合われた内容の、主立ったテーマを大胆にまとめて、以下に掲載する。

※参加者はすべて個人資格で参加している。発言者の個人氏名は組織的な所属を想起させるため、仮名とした。発言者の各アルファベットは統一した。例えば「A氏」の発言ならば、どのテーマでも「A氏」は同一人物である。「勉強会」は参加自由、情報もオープンにされた場であるが、今回の掲載にあたっては事務局からの承諾を得た。

第5回勉強会 3月25日(木)
現状制度の枠内で、釣り人は何ができるか
第6回勉強会 4月22日(木)
理想の遊魚制度についてのブレインストーミング

現行制度を変えることは不可能か

A  ・漁協に関する話題は第1回からずっと出ていますが現行制度の中心となる機構なのでそれは当然です。肯定的な見解もあれば否定的な見解も出てきました。ここに集まっているメンバーからすれば当然の成り行きで、そこが面白いところです。第3回は組織としての漁協について話しましたが、今回は制度としての漁協と釣り人についてもう一度話そうと思います。・前回開催時に奥多摩川解禁日の見学会へのお誘いをしました。予定通り3月7日に行ってみました。庁内から職員は4人とその家族、案内役は地元の釣りクラブの方にお願いしました。それぞれ皆思うところがあったのではと思います。まずはご報告まで。・今回はあらかじめ話題となるべきペーパーを配ってあります。今までの議論では、そもそも誰が川の管理をやるべきなのか、という観点から今の釣り場の管理形態を考えることも必要ではないかという話が出ていました。そこででは、以前皆で話し合った理想の釣り場状況を実現するために、釣り人は漁協とどのように関わっていくのかあるいはいかないのか、ということが今回の大きなテーマです。最初に、Bさんの方から提案というか議題提起があるそうなので、お願いします。

B  地元で実際に活動している漁協の人間として、前回皆さんの意見を聞いたわけですが、皆さんは大きな勘違いをしています。今の漁協は漁業者ではなくて釣り人の集まりなのが実態ですから、釣り場について言いたいことがあれば釣り人は漁協に入るべきなのです。・私の経験も踏まえて考えると、漁業法を変えるのは、これはどう考えても無理です。漁業法を変えるのが目的ではなくて、釣り場の管理状態を改善するのが私たちの目的ですよね。だとすれば、今の枠内のままで漁協を変える努力をした方が現実的です。・漁協の放流方法が悪いという意見がありますが、バケツ放流が悪いというなら、分散放流のための金と人手を出してくれと私は言いたい。文句ばかりで何もしないのは無意味です。・私の地元では5分の4の釣り人が「今のままでいい。釣れればいい」と思っています。いい状態の釣り場でいい魚を釣りたいと言う人は、全体の2割だけです。だったら、そういう意識を持った釣り人が漁協に入ってその漁協を改善する努力をすれば、5年後には全体の20パーセントの釣り場がいまより良くなる。どだい不可能な法律面での改定を議論するよりは、漁協に協力して20パーセントの釣り場をよくした方がいい。

A  法律を変えるのは無理だというお話ですが、たしかに困難なことではありますが、私はそれほど諦めてはいません。今は地方分権の時代で、費用も含めて中央から地方へ権限をどんどん委譲しています。漁業権についても、基本的には都道府県で管轄していく話になっている。こと運用については各地方ごとの自由度は高まっています。国も、昔みたいに通達一本出して地方を従わせるのではなくて、いかに皆が動きやすい制度にしていくかを考えようとしている。法律を作って制度を変えるのは、これは国の仕事ですから、いくら難しいとは言っても、個人的には希望を持って臨んでいきたいと考えています。・バケツ放流の是非については、奥多摩で見学した結果、たしかにバケツ放流を望んでいる釣り人の層があることが分かりました。バケツそのものを否定することはできないけれど、今はバケツで放流した魚を釣りとる以外の釣りが、できなくなっている、それがもったいないと思います。もっと多様な釣りが成り立つ釣り場であるべきだと思います。

釣り人が納得できる「制度」の条件

C  現行制度だと、漁協に参加したくても仕組みとして入れない人が多いのではないですか。組合員になればいいというけれど、その地区に住んでいなければ組合員にはなれない。漁協組合員に関係あるのは地縁・血縁で、利用頻度は余り関係ない。地区に住んでいなければ組合員になれない現状はその表れです。釣り場利用の機会均等を考えると不公平ではないですか。

B  地区に住所がなくても準組合員にはなれます。組合員にならなくても、地区外の人には選択の自由がある。評価の高い釣り場へは、皆で行って盛り上げればいい。各地に見本を作って、皆で応援する。そうすればいい釣り場がもっと増えていきます。

D  あなたのような方が運営している漁協ばかりだったらいいんです。でも実際は解禁日に打ち上げ花火でイベントを組んで仕事はおしまいという漁協が多い。1年を通して深くその川とつきあいたい時に、もっと釣り人の意見を吸い上げるシステムがあったほうがいいじゃないか、という議論をするべきではないのでしょうか。

E  釣り人は文句ばかりでなにもしないと言うけれど、漁協は漁業権を持っていますよね。でも私たち釣り人には権利がない。漁協に対する発言権も発言機会もない。漁協には釣り人の声を聞く義務はないんです。それなのに金を出して魚を放流するという義務だけを、釣り人が漁協から要求されるのは、これはヘンですよ。

F  制度はどんな立場のどのような人にでも機能してはじめて制度なんです。今日の議論でいくと「川に魚がいなくてはいけない」という観念は、これは根元的なことで、制度とは直結しません。

A  制度上、漁協には増殖義務がある。増殖しなければ漁業権を取り上げられることになっているけれど、いまだ取り上げられた漁協は一つもありませんね。

F  1年に1日しか釣りにならない川では増殖義務を果たしているとは言えないな。

E  増殖は放流だけではありません。ダム下の魚をくみ上げる作業だって増殖です。だけど今の漁業制度では、増殖=放流となってしまっていて、その内実に釣り人は関与できない。そのもどかしさがある。

漁協組合員のモチベーションは何か

E  Bさんに伺いたいのですが、今の制度のままで、漁協が釣り人へのサービス機関として機能する可能性はあると思いますか。釣り人の声を漁協へ届けるための行政的な制度がありますか。

B  釣り人の声を漁協が聞くための制度はないけれど、釣り人がグループを作って、協力させてくれと漁協へお願いすれば、漁協だって動きます。

F  釣り人が声を上げてもそのニーズが漁協へ届かない。そういう現状があるから、今こうして集まっているんだと思います。

E  そういうことは今までさんざんやってきたんですよ。でも現実的には消耗するばかりだった。だからこそ新しい漁協以外の運営管理システムを検討するべきなのではと思います。たとえば、今の漁協には競争原理が働いていないでしょう。そのこと自体がおかしい。

G  制度を変えるだけで現場が変わるとは思えない。ヒトとモノ、カネがないところでは何も出てきませんよ。漁協の現状をもっと知って欲しいですね。

H  いまの日本の川は、漁協だけの責任で釣れないのではありません。でも、8割の釣り人が現状の釣り場に満足しているとは、私はとても思えない。

E  Bさんに伺いたいのですが、漁協にサービス業としての自覚はありますか。例えば奥多摩の放流をみていると、漁協の放流は組合員のためなのか、お客である釣り人のためなのか、分からなくなるんですよ。

B  ほとんどの漁協にはサービス業としての意識はないでしょうね。だからこそ、そこを意識化した釣り人が漁協を運営していけばいい。そうすれば漁協もサービス業として成り立つ。釣りを好きな人間が漁協に関わらないと、釣り場はよくなりません。

E  今は遊魚券の売り上げが上がって漁協に利益が増加しても、それを組合員に分配するシステムはありません。そこが変われば組合員のモチベーションも向上するのではないでしょうか。

A  商業的にペイする河川の漁協はあり得るかを探る意味で、放流尾数と遊魚者の数をシミュレーションして、いったいどれだけの人数が釣り場に来て、どれだけの遊魚料を払えば、漁協の釣り場管理専従者が雇用できるかを計算してみました【図】。それによると、現在の管理釣り場並みかまたはそれ以上の遊魚料を設定しなければ運営が成り立たない。質の高い釣り場管理を実現するためには遊魚者数の制限も必要になります。そういった制限は資源の維持のための最小限の規制であるべきなのは当然です。今回の試算に限って言えば、実現性に乏しいと評価する方が妥当ですね。

夢みたいな話、現実性のある話

A  ・内水面の遊魚制度について、これまでの勉強会で色々議論してきたわけですが、私なりに将来像としてどのような制度形態が考えられるのかを考えてみました。まず夢みたいな話であれば、「遊漁新法」の制定。私たちが考えている理想の釣り場のための要素を網羅して、情報公開などの透明性を確保し、さらに関係者の主体的で多様な選択を許容する新しいシステムを構築すること。もう少し現実性のある話なら、第1に、釣り場の管理主体を変更すること。漁業権以外の枠組みでの釣り場管理を可能とする制度ができたらどうだろうか。第2に、内水面漁協の組織を変更し、漁協以外の外的評価や営利要素をとりいれることで漁協の内容を実質的に改変する。第3には、遊魚者の遊魚制度への関与を確保することを念頭においた、漁業権の設定・管理運営などにおいて遊魚者と地区住民の参加を積極的に確保する仕組みを作ること。この3つめのアイデアは現実的には「特区法」の世界になるかも知れません。

I  私の周りでは、現行の遊魚制度から外れたところにある釣り場環境が、結果として良質な釣りや釣り場を実現している事例があるので、紹介したいと思います。一つは長野県S市の会員制管理釣り場です。わずか数人の運営役員と150名ほどの会員の協力によるマンパワーとお金で、すばらしい釣り場環境が30 年以上保たれています。もうひとつは、O市のY川です。上流に保安林があり、O市の上水道源になっています。管轄漁協はあるものの、漁協の放流は一切ありません。地元の有志による少量の放流が行われているだけですが、河川環境も魚もすばらしい状態に保たれています。お金も手間もかけていないのに、私の地元にはこれだけの釣り場がある。今後のヒントになればと思います。

C  サポーター制度というのを考えてみました。漁協活動への参加、寄付金など、漁協への貢献度に比例して議決権を付与します。そうすれば遊魚者の声を漁協運営へ反映することができる。もっとも資金力で運営方針を左右できることにもなりますが。あとは、管理釣り場が成立するならばより自然度の高い湖沼河川でも成立するのではという意味で、「株式会社○○川」という発想です。特定組織による公共水面の占有と考えるとイメージが悪いですが、一種のPFI(民間委託)と考えたらどうでしょうか。…
(この後、第5種共同漁業権によらずに釣り場が運営されている各地の釣り場についての、法律的背景、運営状況などについて意見が交わされた。)

自分の自由の縛り方は自分で決める

内水面漁協が依拠する「協同組合精神」は、本来はひじょうに気持ちの良いはずの概念だ。なのにその協同組合精神にもとづく、内水面漁協による川や湖の運営は、釣り人が積極的に関わろうとすればするほど、釣り人にとって気持ちの良いものではないことがほとんどだ。その理由の根っこは、漁協の根拠法である漁業法の枠組みが、21世紀の現在でもいまだに、川や湖を「釣り場」ではなく、「漁業」の場としてとらえていることにある。「勉強会」での話題が、釣り場の制度論をどうしても中心にならざるをえないのには、こんな背景がある。

釣り人にとって釣りの自由さを制限するルールは、できれば無いのがいちばんだ。自分の自由を自分で制限するなんて、考えるだにアホらしい。しかし、もっと自由な釣りを愉しむには現状の改革が必要なのだとすれば、ジレンマを抱えつつでも、自分たちの手で釣り場の制度環境を整えた方がいい。誰かに押しつけられるのよりははるかにましだ。だからこそ「勉強会」は交通費自己負担手弁当無報酬で、平日の夕方という参加しづらい時間帯であるにも関わらず、全国の幅広いエリアから、毎回30人以上の参加者を集めているのだろう。

「勉強会」は霞ヶ関・水産庁の職員有志が発起しての自主グループであり、水産庁は現在の漁業法、漁業権の運用を統括する役所である。現行制度を運用する省庁に身をおく者たちが省を離れ、現行制度の改善点について釣り人からの意見を募っている形だ。放っておけば揺るがないだろう自分の足許をわざわざ掘り起こしてまで、内水面の釣り場のよりよい未来への方向性を、釣り人と共に探ろうとしている。

「釣りを考える」という広大なテーマのために、議論は行きつ戻りつもするが、回を重ねるごとに「勉強会」の話題の軸は、「問題点は共有できた。ではこれから具体的にどうするか」という方向に移ってきている。幅広い参加者は互いに対等の立場で、毎回熱い討論を繰り広げている。日本の釣り場を取り巻く状況は、きわめてドラスティックに変わろうとしている。

今後の「勉強会」でのテーマは、○内水面の遊魚と生物多様性 ○釣り文化の伝承・釣りに関する普及・教育 ○外来魚問題への対応方策 ○外国(制度)の研究 ○釣りに関する施策と費用負担 ○水産基本大綱による対応の顛末 ○釣り人には何ができるか、何をすべきか ○水産庁には何ができるか、何をすべきか ○現地へ出かけての見学・調査や勉強会の開催 などが予定されている。(編集部堀内)

※この記事について興味のある方は小誌編集部までご連絡を。「勉強会」の基本理念は第64号をご参照ください。

【コラム】
素朴な疑問を整理する
内水面の「漁協」って、なんなのか。

内水面(川・湖沼)で釣り人が釣りをするときには、大まかに2つ、守らなければならない規則がある。1つは、各都道府県ごとに制定されている「内水面漁業調整規則」だ。漁業調整規則は強い権限を持っており、違反者には罰金・懲役などの罰則規定がある。2つめは、各釣り場を管轄する内水面漁業協同組合が組合ごとに制定する遊魚規則だ。遊魚規則には罰則規定はつけられない(最近キャッチ・アンド・リリース絡みなどで「違反者には罰則のある遊魚規則化」という表現を散見するが、間違いだ)。

今の日本の釣り場のほとんどには、内水面漁協の「漁業権」が設定されている。一方、釣り人には漁業権に相当する「レクリエーション権」のようなものは一切ない。つまり、法律的には釣り人は、漁協の庭先を借りて釣りをさせてもらっているに等しい。

「勉強会」の開始当初、日本の釣り場がおかれている法律環境に対して、参加者間での認識が共有されていなかった。そこで「勉強会」事務局は、参加者に漁協に対するコンセンサスを持ってもらうためとして、以下のペーパーを今年になってから配布した。スタート地点が合致していないと、いくら話しても議論が成立しない。まず自分たちの立脚点を理解しましょう、ということだろう。

「勉強会」参加者へ配布された資料から
内水面漁業協同組合に関する検討のための基礎知識

  • 根拠法 水産業協同組合法(昭和23年法律第242号)
    漁業法の制定は昭和24年。すなわち、現行の漁業権制度よりも先に漁業協同組合(漁協)という組織が制度化されている。漁業権制度の検討過程を見ても、漁協と漁業権は必ずしもセットのものとして議論されていない。
  • 協同組合精神
    一般に、協同組合の活動理念は、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉で語られる(相互扶助)。これは、仲間がお互いに助け合い、力を合わせ、幸せになろうという「協同組合精神」に基づくものとされている。漁業協同組合に関する以下の規定も、こうした協同組合精神を踏まえて規定されているものと考えられる。

    • 組合設立の自由=知事の認可を受けなくても設立が認められる場合がある。また、一定地域における組合の数に制限はない。
    • 加入制限の禁止=組合員たる資格を有する者の加入は、正当な理由がなければ拒んではならない。
    • 脱退の自由
  • 漁協の組織としての性質
    漁協は、「漁業」という業種に従事している者の同業者組織であるが、歴史的な経緯や組織運営の実態を考えると地域(地縁)集団という意味合いも強く、この点が遊漁者という外的要素との関係を複雑にしている。
  • 漁協の事業
    漁協が実施可能とされている主要事業は、以下のとおり。1/漁業権の管理、資源の管理・増殖、2/指導事業 3/信用事業 4/購買事業 5/漁業の自営 6/共販事業 7/福利厚生事業
  • ※なお、漁業法との関係では、漁業権の免許主体であるという機能がきわめて重要(漁協の機能に関する肯定的、否定的評価の多くが漁業権と関係するもの)

  • 内水面漁協の特殊性
    • 実質的に限定されている事業内容(上記の1/主体)
    • 組合員資格(「漁業を営む」ではなく「水産動植物を採捕する」日数が30日以上)
    • 増殖義務(増殖をする場合でなければ第5種共同漁業権の免許を受けられない)
    • 遊漁収入(漁協サイドからは、経営してペイしないとの声が多い。一方で、大幅に増益しても組合員へ直接還元することはできない。)
  • 漁協の指導監督
    都道府県の自治業務となっており、常例検査と呼ばれる監査が定期的に行われる他、各種事業などについて、指導監督を受けることとされている。