地震発生時、私は山梨県桂川でフライフィッシングをしておりました。季刊『フライの雑誌』最新第92号の入稿が前日に終わって一息ついての、一ヶ月ぶりの休日でした。地震発生後の当日とその後の様子については機会があれば報告します。友人や関係者各位から編集部の安否をたずねる問い合せをいただいていますが、こちらは棚の本が落ちたくらいでまったく問題ありません。幸運に感謝しています。以上、まずはご報告させていただきます。
今回の地震はまさに未曾有の大惨事を引き起こしています。自然の力の猛威に人間はただふるえるばかりです。とくに被害の大きい東北地方には小社の本をつうじて知り合った読者の方も多く暮らしていらっしゃいます。かつて取材で訪れた地域が自分の記憶とはかけ離れた状態でニュースの映像に映し出されています。ことに昨年〈桜鱒の棲む気仙川トーク〉を開催して『桜鱒の棲む川』著者の水口憲哉氏と共に当編集部をも呼んでくださった、陸前高田市の気持ちのよい仲間たち。気仙川の恵みを集める豊かな広田湾を守り、末永く幸せに暮らしていくことを願ってがんばっていた仲間が、その広田湾から大津波で襲われた理不尽さを思うと胸がつぶれます。
小社の出版方針には〝釣りを通じて人と自然のかかわりを考える〟という文言があります。このような人知を超えた災害を目の当たりにして、その言葉の空虚さにうちひしがれる思いです。実際のところ、次々に入ってくる被災地の情報を前にして小社編集部は地震発生からしばらくの間、無力感にとらわれていました。生命の危機を前にした方々へ、釣り雑誌がなんの役に立つのかと。
今朝になって、地震の被害を受けていない何人かの友人、寄稿者さんと連絡をとりあいました。すると皆さんが「今は自分たちでできることをするしかない。」と口を揃えます。ある方はテレビを消して畑に出て、作物の面倒をみていると言います。ある方は家の修繕をし、またある方はいつか釣りに行くための毛鉤を巻いていると言います。都内の釣具店に勤めている方は、お店にはいつもとあまり変わらない人数のお客様が来ていると言いました。多くの方が釣りの話をして、今度の釣りのために釣り具を買っていかれるとのことでした。
そうしたお話を聞いて、自分の小ささと意気地のなさに腹が立ってきました。災害を受けなかった者が縮こまっても、被災地の方にとってまったく何の意味もないどころか失礼です。元気な者は元気な生活を続けて、それぞれができる範囲で被災地を応援するのが使命です。明日世界が終わるとしても、今日私たちはリンゴの木を植えましょう。そしてもちろん、私たちの世界はまだ始まったばかりです。
来週末19日から『フライの雑誌』次号92号の発送を予定しています。今日は定期購読者の方々への発送準備をしました。たくさんの封筒が口を開けて、刷り上がってくる新しい雑誌が入るのを待っています。明日は取り扱いの各ショプさんへの直送分を準備します。現在、東北方面への物流は止まっています。来週の発送日になっても、本をお届けできる状況にはないかもしれません。それでもフライの雑誌社は本を送るための準備をします。元気な心を送ります。
一介の釣り雑誌にできることは何なのかといえば、釣り雑誌を作ることだけです。そうして平和な明日と楽しい釣りを祈ります。(フライの雑誌社発行人/堀内正徳)
上は2011年3月13日にわたしが書いた文章だ。あとで読み返すだろうから、嘘のない文章にしたいと思って書いたのを覚えている。いま読むと胸がジリジリするように切ない。震災から三日目のわたしが知らなかったこと、見えていなかったこと、思い至らなかったことはあまりに多い。4年前の自分のそのままがここに出ている。
2011年3月11日の経験がなければ、第93号の特集〈東北へ行こう!〉はできなかった。『葛西善蔵と釣りがしたい』には、この文章を日付入りでまるごと載せた。自分の書いた文章はできれば読み返したくないが、折りにふれ読み返さなくてはいけない文章もなかにはある。本の形で残したかった。
〈一介の釣り雑誌にできることは何なのかといえば、釣り雑誌を作ることだけです。〉。そんなの当たり前だ。生きている者はそれぞれの持ち場でそれぞれのしごとを続けることだ。ふだんは気づかないが、生きているだけで愛おしい。
今日は家にいよう。明日釣りに行こう。