仙川のシャノアールでモーニングセットを食べつつ新聞を読んでいたら、石井輝男監督の訃報が掲載されていました。今はなき大井武蔵野館の石井輝男監督特集へは二三回行きました。「また石井輝男やってるよ」とか言いながら。
これも今はなき情報誌「シティロード」(〜1992)は、石井輝男リスペクトを明確に打ち出していました。バブルな浮き世へのカウンターシンボルとして、石井輝男作品を位置づけていたのだと解釈しています。たとえば、「恐怖奇形人間」の土方巽は相当キテるよな、ラストの首ポンポンのおかしさが君に分かるかい、というノリです。情念は経済を席巻する、「ぴあ」にはいずれ負けるだろうけど負けるまでは負けないぞ、うまくやってる奴らを笑い飛ばしてやろうぜ。そんな矜持が「シティロード」にはありました。そこにシンパシーを感じたものです(といっても私は首ポンポンでは笑えませんでした。あそこは泣くべきところです)。
石井輝男74歳の作品である「ねじ式」が公開された時(1998)、またまた今はなき「BOX東中野」へ見に行き、「ねじ式」トコトコフィギュアを二体購入しました。まだ持ってます。一体は未開封のままです。映画自体は面白くなかった。「シティロード」がまだあったら「ねじ式」をどんなふうに評価したのかなと思います。都内の名画座が、潮が引くように無くなっていき、映画館からどんどん足が遠ざかっていったのもそのころでした。
関係ないですが、1995年から98年にかけて個人的にもっとも熱かった釣りは、モンカゲによる北海道のニジマス釣りでした。50オーバーが釣れるまでは死んでも死にきれないとまじめに思いこんでました。98年に54センチを釣れたのでおかげさまで死なずにすみました。よかったよかった。