【奥只見湖の魚の持ち帰りは5匹まで】の知らせに関してもういちど整理しておこうと思う。
日本の内水面は戦後のレジャーブーム以降、釣り人の数が激増した。もともと渓流域は生産性が低く資源量(魚の数)が少ない。生物の生息環境をかえりみない乱開発と釣り人からの釣獲圧力により、魚が激減した。
釣ったマスはすべて持ち帰り、ご近所に配るのがふつうだった時代だ。早い者勝ち、釣った者勝ち。1980年代半ば、都市近郊の渓流釣り場は、マスの数より人間の数の方が多いと言われる悲惨な状況になっていた。
事態を憂慮した一部のマス釣り師は、もっときもちよく魚を釣りたい、次世代にも楽しい釣りの喜びを残したいと願った。末永く釣りを楽しむためにはまず、魚を川に残すことだ。そして将来的に、魚が自然再生産ができる環境を整えることが必要だ。
フライフィッシングを愛好する釣り人のグループが、ゲームフィッシングの先進国(とりわけアメリカ合衆国)における釣り場管理の手法に注目した。そのうちのひとつが〈キャッチ・アンド・リリース〉(持ち帰り尾数ゼロ)だった。釣りはしてもいいが、一匹も殺してはいけない。禁漁の一歩手前の、極端な漁獲制限の一方法だ。さいきん流行りの言葉で言えば不寛容なルールである。
釣り人にとってはもっとも厳しい制限だとしても、〈キャッチ・アンド・リリース〉はそれまでのやらずぶったくり方式へのアンチテーゼとして都合がよかった。〈キャッチ・アンド・リリース〉を日本のマス釣り場にも導入できないだろうか。日本のマス釣り場がアメリカのフライフィッシングで有名な川のようになればどんなに素晴らしいか。釣り人は熱く語りあった。(キャッチ・アンド・リリースの規制はアメリカの釣り場のごく一部にすぎないことが知られるようになったのは後年のことだ)
釣り人有志の働きかけにより、1997年に山形県寒河江川へ〈キャッチ・アンド・リリース〉の釣り場ができた。ちょうどスポーツフィッシング・ブームの到来とも重なり、〈キャッチ・アンド・リリース〉を釣りのルールとするマス釣り場が全国に増えていった。
キャッチ・アンド・リリースへの過度な注目と期待は、「キャッチ・アンド・リリースにしさえすればよい釣り場ができる」という誤解を生んだ。スポーツフィッシングがブームになったことで、釣りを地域振興、地域経済の活性化に利用したいという層も出てきた。イベント名目で地域の釣り人を動員し、自社の経済活動に利用する大手釣り具メーカーも登場して、こちらはたいへんな批判を浴びた。関わる人間が増えれば、ものごとのありようは変質するのが世の常だ。
原点に立ち戻ってみる。
釣り人が持ち帰る尾数をゼロにすれば、たしかに川に魚は残る。しかしリリースしさえすれば魚が増えるわけではない。人工的に養殖した魚を大量に放流すれば、川に魚は泳ぐ。しかし魚が自然再生産できる環境がなければ、川は釣り堀となんら変わらない。かつて「日本にもキャッチ・アンド・リリースの釣り場の一つくらいあってもいいのに。」と言われた。今世界を見回しても、キャッチ・アンド・リリース方式の釣り堀が自然渓流にこれだけ密集している国は日本くらいだ。
2000年代に入ると、いっときの釣りブームは終わりをむかえた。それまでの喧噪がうそのように、川から釣り人の姿が消えていった。釣りは限られたスペースと資源を一人が占有する遊びだ。当たり前のことだが、釣り人の頭数が減れば、持ち帰られる魚も減る。人が減れば魚は残る。釣りなんか世の中に流行らない方が、残った魚は増えるし、釣り人はゆたかな釣りを楽しめる。釣りを地域経済の活性化に利用しようという一見スジのよさそうな目論見が、いざ現場に入るとどうも通用しないのは、残念ながら当然である。
ちょうどその頃、2000年代から、渓流魚の自然再生産を人間が補助する水産的な手法が次々に考案されていった。またそれを後押しする行政の施策も、徐々にではあるが導入されていった。川に残ったマスが自然再生産する事例が少ないながらも各地で報告されるようになった。2016年の現在はその流れの延長線上にある。(川と自然を大事にしたい人々の思いと努力を一瞬にして無駄にするダムや河川工事の跋扈する情況は相変わらずだけれど)
「もっときもちよい釣り場が欲しい。」という釣り人の願いは、いつの時代も変わらない。【奥只見湖の魚の持ち帰りは5匹まで】の知らせに接し、日本のマス釣り場作りの運動は、ここ30年ほど続いてきた流れを昇華させて、今やその次の段階の扉をひらく段階にきていると確信した。
たとえば、これまで持ち帰りゼロにしていた釣り場でも、減った人間の数に対して充分に魚が増えていれば、キャッチ・アンド・リリースをやめる選択がある。ゼロではなく、適正な制限尾数を決める。そうすれば釣りの自由度は増すし、愉しみはより深くなるはずだ。子どもと一緒に釣りをするのに、釣った魚を食べる喜びを捨てるのはあまりにもったいない。命を奪って命の大切さを知る教育もある。
いくら人間が環境を整えてもそもそも再生産が期待できない川では、養殖魚を放流して、釣り堀的に利用するのはもちろんありだ。その場合、リリースという行為には単純に経済的な意味だけがある。リリースが正義なわけじゃない。今の時代、気持ちのいい釣り場を作るにはキャッチ・アンド・リリースより、もっと本質的で、有効な手段がたくさんある。
色々な人が自由に往来できて、色々な釣りが共存できて、人々の色々な関わり方を受けとめられる川がほしい。
勝手に魚が増えるゆたかな川で、川をとりまく自然の一部として魚を釣りたい。
(堀内)
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