古今東西のフライフィッシング関連の大名著のなかで、シャルル・リッツ著『ア・フライフィッシャーズ・ライフ』は欠かせない。1953年初版オリジナルのフランス語版以降、ドイツ語版、英語版、日本語版と各言語に翻訳され、改訂を重ねて長く読まれつづけている。
原題は「Pris sur le Vif」、英文タイトルは「A Fly Fisher’s Life」。日本語版の『ア・フライフィッシャーズ・ライフ』は、柴野邦彦さんの名訳で1984年に株式会社ティムコから出版された。(ティムコさんがかつてはこういう素晴らしい出版仕事を連発していたことを知る人が少なくなってきたのは残念だ。) ベテラン・フライフィッシャーマンの本棚には必ず大判の『ア・フライフィッシャーズ・ライフ』が刺さっているはずだ。
画家としてのご活躍でも知られる柴野邦彦さんが、このたび32年ぶりの新訳で『ア・フライフィッシャーズ・ライフ ある釣師の覚え書き』を出版された。今回の版には「ある釣師の覚え書き」という副題がついた。その理由は本書巻末の「改訂版のための訳者あとがき」に記されている。
今回新しく、ローラン・サンソ氏による「改訂版へのまえがき」、東知憲氏による「改訂版に寄せて」の各エッセイが加えられた。東知憲さんは日本と海外をつなぐ釣り文化のファシリテーターの立ち位置にある。東さんにはちょうど『フライの雑誌』最新第109号のCDC特集巻頭へ、本誌初寄稿をいただいたばかりである。
1983年日本語初版時の「訳者のあとがき」には、故・中沢孝氏(後の『フライの雑誌』創刊編集人)への謝辞が記されていた。1943年生まれの訳者にとって1951年生まれの中沢氏は、年若い釣り友達だった。今回の改訂版でも謝辞がそのまま引き継がれているのはうれしい。
そしてよく知られているように、島崎憲司郎氏の名著『水生昆虫アルバム』の副題「A Fly Fisher’s View」は、本書『A Fly Fisher’s Life』へのリスペクトの意を踏まえて、島崎憲司郎さんがつけたものだ。1983年の柴野さんの「訳者のあとがき」を読むと、島崎憲司郎氏の意図が見えてくる。
…リッツの魚に対する観察は実に鋭く、釣れない魚は釣らないで無視するのではなく、どうして釣れないのか、解決法はあるのかということを学者のような目で見ている。実際の釣場で行きづまった時、ひょっとしてあれをやってみたら、と考えることが解決法に結びつくかもしれない。リッツの書いていることはすべて彼の長い釣りの体験にもとづいている。常に実例を引合いにだして説明してくれるので、これはまさにベテラン釣師の覚え書きを盗み見するようなものだ。この本のせいで、ただでさえ少ない日本の魚がさらに少なくならないことを祈りたい。
(「訳者のあとがき」より)
「改訂版のための訳者のあとがき」から一部を紹介する。
フライフィッシングの流行が去り、本当に好きな人が静かにこの釣りを楽しむいい時代になった
フライフィッシングが日本の一般社会で流行したといえる時期は、おそらく1990年代の前半から後半ぎりぎりだろう。体感的に、現在のフライフィッシングの市場規模はよく見積もって当時の10分の1以下であろうと思う。釣りは資源とスペースを消費する遊びであるから、競争相手は少ないほうがいい。好きものがコソコソと楽しむくらいでちょうどいいのはたしかだ。
とはいえ、フライフィッシングという遊びはべらぼうに奥が深くて、ただの釣りのひとつのカテゴライズでおさまるはずもないほどにすばらしい魅力がある。もっとたくさんの人にその喜びを知ってもらいたいなあと、個人的には思う。
『ア・フライフィッシャーズ・ライフ ある釣師の覚え書き』と、『水生昆虫アルバム A Fly Fisher’s View』は、フライフィッシングの深淵をのぞくのに最適の両巨頭である。
新訳『ア・フライフィッシャーズ・ライフ ある釣師の覚え書き』(シャルル・リッツ著/柴野邦彦訳)は、未知谷さんから発刊されている。こんな時代に大著を送り出す版元の心意気にも拍手を。
(堀内)