今スゴく売れている本、本欄でも紹介した『外来種は本当に悪者か?―新しい野生』(フレッド・ピアス/草思社)の、書評二態。
一つ目は、特定非営利活動法人よこはま里山研究所NORAさんのウェブサイトから。
…外来種=悪/在来種=善という図式で
自然保護を考えている人には受け入れがたい事実が多く含まれている。多くの自然好きの人がこの善悪二分法を採用する背景には、
次のような考え方がある。
すなわち、在来種は長い生物進化の道程をたどってきたのであるから、
生息している場所とは切り離せない関係にある。
そこに、外来種が「侵入」すると、在来種が駆逐されたり、
在来種と交雑して遺伝子が汚染されたりするから、悪いという考えだ。…
著者の主張は明快だ。
しかも、優秀な科学ジャーナリストのようで、
主張を裏付けるデータをきちんと取り、その参照先を細かく記しているから、
自分で検証することも可能だ。
保全生態学に関心がある人、自然保護に携わっている人には、
強く勧められる本である。
書評としては、本書に収められている岸由二さんの解説がいい。
しかも、これがネットで公開されているので、すぐにでも読んでおくべきだろう。最後に、冒頭の話に戻るが、外来種問題とは、
科学の問題であるとともに、社会の問題であり、政治の問題でもある。
「日本の自然を残そう」「外来種を駆除せよ」と叫ぶ裏側に何があるのか、
環境保護と排他的な保守政治は親和性が高いことを踏まえ、
こうした動きを注意して見ていく必要があるだろう。(松村正治 2016.8.1 )
二つ目は、「まるはなのみのみ」さんから。筆者は生物系の研究者らしいのだが、プロフィールを書いていない。名無しさんとしておく。
【書評】「外来種は本当に悪者か?」
ここ2週間ほど本書をゆっくり読んでいた。かみしめるようにじっくり読んでいたわけではなく、読むのが苦痛で頁をめくるのが牛歩になっていた。何度途中で投げ出してしまおうとおもったか。
本書はとんでもない悪書で、読んだ後に本棚の奥にしまったり古本屋にすぐに売り払ったりするものではなく、今すぐに路上で破り捨てて足で踏みにじるべきものである。カバーもお洒落だし引用文献もしっかり示されていてその点だけは評価できる。実に残念だ。
この本をまともに信じ込んでしまうような人も居るかもしれない。いや、事実を客観的に書いている部分もあると思うが、この本が示す”new wild”に未来はない。
この本を読んで私は無気力になってしまったが、心底怒り出す人や心から傷つく人も居ると思う。そういう友人の顔が何人も頭に浮かぶ。そんな彼らの眼にとまらないようにと祈るばかり。
(名無しさん 2016-09-13)
書評としてのレベルがぜんぜん違うので、並べることに無理があるのはさておき。自然科学系の研究者二人が、同じ『外来種は本当に悪者か?』を書評して、こうも異なる感想を提示するのは、たいへん興味深い。
松村正治さんのスタンスは、文中で一読をすすめている岸由二さんの解説に近い。
一方、名無しさんの、「とんでもない悪書」だから「足で踏みにじるべき」との主張には、恐れ入る。焚書だ。「善/悪」の二元論そのものだ。自分は「善」だと信じこんで、他人の価値観を否定する。文革か。
名無しさんは、保全生態学のあいろに陥って、タコツボ化してしまったのだろう。本欄でも、2005年に小社が出した単行本『魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか』でも、何度も触れているように、外来種というだけで毛嫌いする思想と、レイシズムは、ひじょうに親和性が高い。「悪書」なんて単語を抵抗なく使うのは、もちろんごく一部の偏ったカルトな人々だけだと思いたい。
『外来種は本当に悪者か?―新しい野生』は、発売以来、大いに話題になっている。毎日新聞、読売新聞の書評にもとりあげられ、ふだん生物多様性について深く考えたことのない読者の目にも、広くとまっている。
本書の内容へ同意するにせよ、批判するにせよ、原理主義的な言説は、ただでさえややこしい生物多様性の本質を見えづらくする。そこに利権や煽動家や政治屋が、もみ手しながら乗っかってくるスキが生まれる。
逃げないで正面から議論すればいい。
(『フライの雑誌』編集部/堀内正徳)
> 『外来種は本当に悪者か?』(草思社)を読みながら思いついたことのメモ その1
> 『外来種は本当に悪者か?』(草思社)を読みながら思いついたことのメモ その2