ようやく吐夢へ入店。
カウンターで魚雷さんと並んだ。いろいろ話したと思うが、話題が飛びすぎた。やたら楽しく盛り上がったくらいにしか憶えていない。わたしが誰かとお店へ行ったときは、和子さんはほとんど会話に入って来ない。でもしっかり耳は活動していて、こちらが話を振ったときはすかさず気のきいたことを返してくる。今回はなにか映画のタイミングだったと思うが、「あたしは〈シン・ゴジラ〉と〈君の名は。〉観たら負けだと思ってるから。」という名言をはいた。
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だんだん酔っぱらってきた。魚雷さんはふだんはきわめて声が小さい。これまでの人生において、歳上の人から「もっと大きな声でハキハキと喋らんか。」と何百回も叱られてきたとのことだ。さもあろうと思う。でも酔ってくるとふつうの人の小声くらいにはなる。耳をすませば聞こえるので、カウンターの止まり木に並んでいるわたしが、何回となく魚雷さんの方へ体を寄せて耳を近づける。そこで話が通じて、見つめあってちいさく微笑み合うおっさん二人だ。きもい。
『フライの雑誌』に〈川向こう〉を連載してくれている、詩人で編集者の四釜裕子さんにいっしょに呑みませんかと、今夜あらかじめお声をかけていた。すると仕事後にわざわざ阿佐谷までやって来てくれると言う。四釜さんとは2006年に知り合った。のろまのわたしが数年寝かせた後にお願いしたら、こころよく連載を引き受けてくれた。いまはとても幸せだ。吐夢の重い扉をからだでぐいっと押し開けて四釜さんが入ってきた。関係ないが美人。わたしは最敬礼。
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「季刊 本とコンピュータ」つながりで、魚雷さんはずっと前から四釜さんの名前と仕事を知っていたが、会うのは今日が初めてとのこと。わたしが真ん中に入って、三人が吐夢のカウンターに並んだ。自分が世の中の役に立った気がする。とてもうれしい。わたしはだいぶできあがっていて、そこから何を話したかあまりおぼえていない。四釜さんも魚雷さんも、真柄慎一さんの『朝日のあたる川』が出たときに、すかさず別々の書評でとり上げて褒めてくださった関係にある。だから真柄さんの文章の魅力とか、文体と人物の相関とかを話して、大いに盛り上がった。
『朝日のあたる川』の表紙のイラストは、漫画家のいましろたかしさんに描いていただいた。仕事をお願いするために真柄さんと一緒に中野の飲み屋で、いましろさんと初めて会った日のことは、今でも忘れられない。いましろ作品の大ファンであるわたしは、異様に緊張していた。もちろんいましろさんと面識はなかった。ビビったわたしが何かの弾みでいましろさんへ変なことを言った。いましろさんがぶわっと黒くなって、あ、もうだめかも、と思った。
夜がかたまったそのとき、真柄さんが初めて口を開いた。「あのーお。いましろさんのマンガ、すんんんげえ面白いっすね。」とふつうに、のんびりした山形弁で言った。するとあのいましろたかしさんが、〝真柄に呑まれた〟感じになった。思わずふつうに、「あ、どうも。ありがとう。」と返したのだ。真柄さんの直球ど真ん中なひとことで場の空気がリラックスして、あれよあれよと言う間に仕事の依頼もすんなり通ってしまった。あれから6年たつが、いまも時々いましろさんと話すと、「そういえば真柄さんは元気ですか。」と気にしてくれる。真柄慎一ぢからは本当にすごいですよ、というとっておきの話をわたしがした。二人がウケてくれたのはよかった。
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ガーッと盛り上がって、わたしも魚雷さんもろれつが回らない感じになってきたところで、お開きにした。吐夢に4時間近くいた。阿佐谷の改札でお礼を言って二人と別れた。魚雷さんはガード沿いに高円寺へ歩きで、四釜さんはオレンジ色と黄色の電車を乗り継いで、大川方面へと帰っていく。足元のおぼつかないわたしが西へ行くオレンジ色の電車を待っていると、同じホームに滑り込んできた電車へさっそうと乗り込む、四釜さんの横顔が遠くに見えた。
すっ、としている。
かっちょいい。
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