根津甚八さんと河口湖のフライフィッシング

NHK日本釣り紀行の収録で、根津甚八さんが河口湖へフライフィッシングにやって来たのは、約20年前のことだ。ニジマスの漁業権を取得したばかりの河口湖漁協が、ニジマス釣りで多くの観光客を集めて、全国的に大注目されていた。

番組には小誌の中沢孝編集長がガイド役で一緒に出演した。根津さんにとっては、湖のフライフィッシングはほとんど初めてということだった。朝早くから大勢の映像スタッフを引き連れて気合いが入っていた。

その日、わたしは撮影隊と離れてひとりで釣りを楽しんでいた。釣りは一人に限る。その頃の河口湖はタイミングさえ合えば、本当によく釣れた。

夕方には、湖畔にあるわたしの家で、スタッフさんといっしょに皆んなで食事をしましょう、ということになっていた。そこで思いついて、釣れたニジマスを10匹ほどキープして早めに戻った。わたしの母親がそれを囲炉裏でこんがりと焼いてくれた。見るからにおいしそうだった。

予定の時間よりだいぶ過ぎてから、根津さんと中沢さん、スタッフさんたちがやってきた。楽しい釣りの後のはずなのになぜか空気がよどんでいた。

聞けばその日は、人気ポイントだった「ハワイ前」で、ユスリカのスーパーハッチと、それに伴うニジマスの極上ライズが発生。ユスリカの釣りが大好きな中沢氏はもちろん入れ食い。しかし根津さんはパニックになってアワセ切れを連発。けっきょく一匹も手にすることができなかった。中沢氏もあれこれアドバイスしたけれど、、、ということだった。

疲労困憊で帰ってきたボウズの根津さんの前に、わたしが釣ったニジマスの塩焼きをずらりと並べてしまった。囲炉裏端に通したとき、根津さんの息が一瞬ぐっと詰まったような感じになったのは、そういう理由だった。雰囲気を察したスタッフさんが、お手伝いにきてくれていた地元のお姉さんに、根津さんは一匹も釣れなかったんです、と耳打ちした。お姉さんは、「あら、困ったよ。」と、甲州弁で小さく言った。

一方、入れ食いの中沢氏は釣りの後も絶好調だった。中沢氏は良型のマスを一匹だけキープして持ってきていた。庭で一斗缶をあっというまに加工してスモーカーをつくり、熱薫を施した。その手際が鮮やかで、スモークされたマスがとても美味しかったことを、わたしは今でもくっきりと憶えている。根津さんも喜んで食べていた。

食事のあと、根津さんにおそるおそる囲炉裏端での記念写真をお願いしたら、気持ちよく受けてくれた。

(パネルにした写真はわたしの母親が大切に保存した。今年の正月に実家で久しぶりに見たら、根津さんを真ん中にして、20数年分若いわたしと母親が並んで、三人ともにっこり笑って写っている。だいぶ写真の色もあせてきたが、いまのわたしよりも歳下だったはずの根津さんはとてもかっこいい。)

さて、当時のテレビ撮影はフィルムだ。職務に忠実な日本釣り紀行の撮影スタッフは、根津さんが釣る瞬間をどうしても撮りたかった。釣っている間、ずっとカメラを回しっぱなし。通常は1日で終わる撮影を延長して、2日目に突入。ついに手持ちのフィルムを使い果たした。それでも釣れない。

30㎞離れたスタジオからフィルムを取り寄せてまでがんばったが、けっきょく根津さんは2日間丸ボウズだった。せっかくかけても、バラしてばかり。長い人生そういうこともある。根津さんは釣りは好きだけどうまくなかった。

あとで中沢氏に聞いたところによると、撮影の翌週の河口湖ロイヤルワンドには、一人で深々とウエーディングしてフライキャスティングを繰り返している、根津甚八の姿があったとのこと。何匹か釣ったらしい。

根津さんは『フライの雑誌』へ何回も寄稿してくださった。ご自身の出身地である山梨県都留市を流れる桂川をきれいにする運動には、多忙の中を熱心に関わられていた。

天国の川でもよい釣りをしてください。

(堀内)

『フライの雑誌』第26号(1994)
『フライの雑誌』第41号(1998)
『フライの雑誌』第26号(1994)
『フライの雑誌』第26号(1994)
『フライの雑誌』第41号(1998)
『フライの雑誌』第110号(2016)