『フライの雑誌』第110号のフライベスト特集は、おかげさまでご好評をいただいています。フライフィッシャーの郷愁込みで、フライベストにはかんたんには脱ぎされない思い入れがあるように感じます。
フライベストの発祥について
1981年夏、秋田県の三平三平くん(11歳)のもとに一着のフライベストが届いた。アメリカでバス釣りのトーナメントに参加している鮎川魚紳さんからの海を越えたプレゼントだ。さっそく着用した三平くんは、「どうでえこのフライベストは…! これも魚紳さんのアメリカみやげさ!」と近所のユリッペ(13歳)に自慢した。(「ニンフの誘惑」第51巻)
同年の6月に『ビーパル』が創刊された。『アングリング』創刊は1983年だ。フライフィッシングはまだメジャーなスポーツではなかった。当時フライフィッシングを始めたい子どもにとって、フライロッドとフライリール、フライラインが三種の神器で、フライベストはフライマンになるための、プラスワンの必需品であった。
ではそのフライベストを考案したのは誰か。
フライベストの発祥で思い出すのは、コロンビア社の広告だ。鼻眼鏡をした白髪のおばさんが「全部作ってます」というようなコピーのついたコロンビアの広告が日本国内でひところよく露出していた。あのために一定世代の人は「フライベストを考案したのはコロンビア社のおばさん」と刷り込まれているはずだ。
現在も、コロンビアスポーツジャパンのウェブサイトには「今では世界中で当たり前のように愛用されているマルチポケットフィッシングベスト。さまざまなツールが収納できるあの便利なベストを世に送り出したのは他でもない彼女なのです。」と記されている。時代は1960年代初頭と思われる。しかし、米国本家のコロンビア社のウェブサイトには、メーカーとしての金字塔であるはずのフィッシングベストの初考案に関する記述がない。
1931年発行の雑誌「フィールド&ストリーム」の表紙には、ベストを着ているらしいフライフィッシャーの姿が鮮やかに描かれている。本号22頁からの記事に協力してくださった鈴木文夫さんに聞いた。
「これはフィッシングジャケットの袖をカットしたスリーブレスジャケットでしょう。当時はジャケットの下に着るジレベストが一般的です。窮屈ですので1サイズ大きなフィッシングジャケットの袖を切ってベストとして着用したのかもしれません。」
アメリカでは、フライベストの考案者はあのリー・ウルフ氏であると一般的に知られている。複数の文献に記述がある。
「70年ほど前、リー・ウルフがデニムのベストの上にブルー・ジーンズでいくつかのポケットを縫いつけるという素晴らしいアイデアを思いつくまでは、世の中にフィッシングベストはなかった。」『Fishing For Dummies』(Peter Kaminsky)
「両サイドにフライボックス用の大ポケットがあり、それぞれの上に…
(堀内正徳『フライの雑誌』第110号特集◎ベストなベスト 35ページより)
フライベストの考案者が、あのリー・ウルフさんだったとご存じでしたか。
今号の特集に「イエローストーン・ガイドのベスト考」を寄稿してくださった、米モンタナ州リヴィングストン在住のアウトフィッター&フィッシングガイドの山本智さんが、先日米国東部ニューヨーク州キャッツキル・フライ・フィッシング・センターを訪れました。
最晩年のリー・ウルフさんが、実際に使っていたフライベストがミュージアムに展示されています。写真を撮ってきてくれたので紹介します。
ストリームデザイン社製で、重量は12ポンド(5.4kg)オーバー。すげえ。リー・ウルフさん曰く、「両肩にのしかかってくるこの重さが、ウエーディングの時に効くんだよね。」(意訳)。Boy, you gotta carry that weight.
フライベストについてもっとくわしく知りたい方は、『フライの雑誌』第110号のフライベスト特集をどうぞ。ここまでフライベストに突っ込んだ雑誌は、古今東西初めてでしょう。