釣り場時評81
「オレの釣り場をこわすな。」
長良川河口堰、東京湾埋立て、辺野古の基地建設に思う
水口憲哉(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)
※『フライの雑誌』第108号(2016年4月5日発行)掲載
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採取する砂利の大部分は建設資材として用いられる。
時には埋立に用いられ、土建業者や政治家の利権の餌食ともなる。
砂利採取事業を食いものにして私腹を肥やす。
オイカワ/カワムツ特集の本誌106号で表紙を飾った多摩川支流の釣り場が河川工事で潰されてしまった。102号以来堀内編集人が報告してきた浅川上中流域の河川工事がついに歩いて一分、毎日のように釣りをしている目の前の川原に侵入して来たということである。
詳しいいきさつと結果はウェブサイトあさ川日記で知ることができるが、今回はこの事件を糸口として、河川における砂利採取や海における埋立工事について考えてみたい。
堀内さんが何のための砂利採取かと説明を求めたところ、上流域の護岸堤の基盤が流れで削られたのでそこを埋めるための2000立米を持ってゆくとのこと。そのことに対しては筆者としてとやかく言うことはないが、実は、採取した砂利をどこにどのような目的のために運んでゆくかで、場合によっては、ああそうですかでは済まないこともある。
釣りをしていると、時には釣った魚は食べるんですかと訊ねられることもあるがこれがまた難しい質問で、ホルマリンに漬けて研究用にしたり、ただ釣りを楽しむだけだったり人によっていろいろである。採取する砂利の大部分は建設資材として用いられる。時には埋立てに用いられ、土建業者や政治家の利権の餌食ともなる。
最初に筆者が砂利採取の現実というか、その結果を見たのは1966年であった。50年前の多摩川支流秋川では川底の砂利が大きく掘り取られていて、川原に立つと目の高さに砂利層の上辺が見え場所によってはその上に護岸堤があった。
1965年10月の東京オリンピックに向けて、大量の建設工事が大動員された高度成長第一期(設備投資主導型)が終わり、その夢の跡とも言える場所に立っていた訳である。なお、それからの8年ほどを高度成長第二期とも言うらしいが、今思い返してみると筆者はその8年間多分人生で一番経済的には苦しい時期を過ごしていたように思う。
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先ほど、砂利を餌食にしていると書いたが、何も砂利を食べて腹の足しにしている訳ではなく、砂利採取事業を食いものにして私腹を肥やしているということである。そのことを長良川河口堰建設反対運動の中で見切った。当時NHKが制作した〝徹底討論:長良川河口ぜき〟という長時間番組の中で次のようなことを発言した。
「国は洪水防止と塩水遡上を起こさせないために長良川の川床を掘削して、河口堰を建設するというがそこで採取した砂利はぼう大な量である。それをどこにもってゆくのか明らかにしていない。いっぽう、愛知県常滑沖に建設が計画されている中部国際空港の埋立てに必要とされる土砂等の容積を計算してみると両方の立米数がほぼ等しい値となる。砂利のやり取りで川の漁場と海の漁場共に潰されてしまう。」
この指摘はそのまま放送されたが、その事実確認や、実態の究明は行なわれなかった。土建業者は二つの大型公共土木事業で砂利をたらいまわしして二度もうける訳である。
掘削した砂利の処理費用と埋立資材の調達費用が必要ないので素人にもわかる大もうけとなる。こんなうまい話を政治家がほうって置く訳がない。新聞記者等が調査して報道するのを期待した。しかし、この件に関してはその後何の発展もなかった。
今になってみるとこの問題の闇の根は奥深く長いものであった。1973年3月金丸建設大臣が長良川河口堰建設事業を認可。この時、「土木協」(日本土木工業協会)が間に入り、大成、鹿島建設が談合を行なっていたことが、のちに発覚する。
それか20年後の1992年金丸自民党副総裁が東京佐川急便からの五億円のヤミ献金が発覚し、20万円の罰金で議員辞職したが世論おさまらず、遺産の巨額脱税で東京地検特捜部の押収資料から政界へのゼネコン各社からの贈賄が明らかになり、いわゆるゼネコン汚職事件に発展した。
同時に金丸信の70億円を超える蓄財も明らかとなった。
一方、長良川河口堰建設反対運動最盛期の1990年代初期、朝日新聞記者吉竹さんの調査報道が、朝日新聞、建設省、裁判所等によって葬り去られたことが、2012年、『報道弾圧』として上梓された。
しかし、この二つの動きの中に、NHKで1990年に筆者の指摘した砂利採取をめぐって存在したかもしれないゼネコンと政治家のかかわりは一かけらも見ることができない。権力と報道が一体となって、奥深く長い根の闇にふれない、見ない、聞かないようにしているとしか考えられない。
長良川河口堰建設反対運動では天野さんが人寄せパンダとして開高健を担ぎ出した。銀山湖のイワナの維持にも熱心だった開高さんは文句なくミコシに乗ったので、釣り人の共感を呼んだ。
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なぜ、砂利採取と埋立てとの間のこのような関係に気がついたか。実は、大野一敏・敏夫共著『東京湾で魚を追う』の東京湾における埋立ての実況の図にショックを受けると同時に納得していたからである。
これは習志野沖の魚探調査による海底地形の実状を示したもので、埋立造成地の地先にしゅんせつで海底が15~30メートル掘られていることを示す黒い長方形が並んでいる。ここにたまった海水が無酸素状態になって風で吹き上げられて海浜に寄せるとアサリやカニを殺す青潮という死の海水となる。
土建業者は後のことなど考えず、近場の土砂をしゅんせつして埋立てに用いれば安上がりにすむ。要は、子どもの砂遊びとたいして変わらない。
この4月16~17日、名護市において、辺野古埋立土砂積み出し反対全国連絡協議会の第三回総会と交流集会が開かれる。辺野古の米軍新基地は大型岸壁と二本の滑走路をもつ巨大なもので埋立て用土砂も2100万立米必要とする。しかし県民をあげて反対している沖縄県内に埋立て用土砂を求めることは難しい。またサンゴ礁を埋めてつくる米軍基地の前面の海は大型空母の入港が懸念されるほど深いので掘削は無理である。
そこで埋立て用土砂の約四分の三を西日本各地にある岩ズリでまかなおうと考えている。岩ズリというのは、採石の際に出てくる一種の雑物で各地の採石場に山積みされている。このいわゆる廃棄物を購入しようということのようだ。沖縄県外十数カ所の予想される採石場のある八県の17団体が集まって地域ごとに様々な反対の取り組みのやり方を話し合う。
2100万立米というのは、東京ドーム17杯分という、そう言われてもピンと来ないのだが、ゼネコンとしては、東京湾や伊勢湾でのように近場の土砂を使いたいのだがそうもいかない。そこで西日本各地から調達しようということである。しかし、発注主の国は、費用はいくらかかってもよい米国のためだからと我々の納めた税金を好き勝手に使っている。沖縄の人々の苦しみを思い、西日本の関心をもつ人々が動き始めている。
堀内さんから浅川の砂利採取の話を聞いて辺野古の工事とも関係しているのではと考えたこともあったが辺野古の埋立ての実態はもっと規模が大きく、関係する地域も広大で、砂利を通して、沖縄県外の人々にも深いかかわりのある問題であることを気づかされた。
海岸を工場群で占拠され、釣りをしたくても海に近寄れないとして瀬戸内海や東京湾で始まった入浜権運動、アユやサツキマスをいつまでも釣り続けられるようにと釣り人も参加した長良川河口堰建設反対運動。後者では天野さんが人寄せパンダとして開高健を担ぎ出した。銀山湖のイワナの維持にも熱心だった開高さんは文句なくミコシに乗ったので釣り人の共感を呼んだ。
また、2000年には有明16万坪を埋め立てるなと干潟を守る会など環境保護団体、野鳥の会、釣り団体等が東京湾ハゼサミット、銀座パレード、都議会要請など活発に行動した。しかし、石原都知事は、マハゼには何の問題もないとそれらの声を無視した。その無知横暴ぶりはどうしようもない。
ちなみに、葛西の沖に広がる干潟・三枚洲は、都の政策により1960年代に埋立ての計画があった。しかし、その中止を求め、昭和40~41年(1965~66)に全国の釣り人が65万人の署名を集め、都に提出した。それを受けた当時の美濃部都知事の断により埋め立ては中止となった。
これらの動きにおいて釣り人一人一人の中には私の釣り場を守れという思いで参加した人もいたかもしれないが、もう少し大きく広い環境保全の流れに釣り人も同乗したという傾向が強かったのではないだろうか。
東日本大震災の数年前、サーファー達がサーフボードをもって、海に放射能を捨てるなと銀座をデモしたことがある。釣り竿を持った釣り人の姿は無かった。日比谷の野外音楽堂のステージ上で岩手県重茂漁協、全国五カ所の生協の人々と共に決意表明をした後のパレードである。
青森県六ヶ所村の再処理工場から放射能を垂れ流せば、魚が汚染し売れなくなるという漁民、安心して魚が食べられなくなるという消費者に対して、サーフィンが出来なくなるというよりは、大好きなそして大切な海を守れというのが全国のサーファーたちの思いだったろう。
筆者は、40年ほど、漁民と共に原発建設反対に取り組んでいるが、
そこで強く感じることがある。
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以上のように、ある意味で環境正義とでも言える考えで動くことに対して、オレの釣り場をこわすなという主張は、NIMBY(Not in my back yard:私の裏庭にはお断り)として批判する向きもある。
この欧米での言い方は、日本での地域エゴと同じような使い方をされている。ごみ処理施設や火葬場など、多くの人々に必要であってどこかに造る必要のあることは認める、しかし、自分の住んでいる近くに造るのは断るというのがわかり易い例である。
しかし、この問題となる迷惑施設は原子力発電所や軍事基地をも含み考え出すと難しくなる。例えば原発はなくてもよい造らなくてもよいではないかという考え方もあるし、現に成り立っている。
筆者は、40年ほど、漁民と共に原発建設反対に取り組んでいるが、そこで強く感じることがある。
自分の漁場の近くに原発建設計画が持ち上ると漁に熱心で真剣に取り組んでいる人ほど漁場を守れと立ち上がる。そして考えを同じにする仲間と身体を張って反対する。
苦労の続く年月を経てどうにか計画を中止に追い込み漁村として原発を拒否することができた。するともとの普通の今まで通りの暮らしにもどり、原発をつくらせない他所のまたは全国の漁村で起こっている反対運動に参加することはしない。これでいいのだと思う。
しかし、これをNIMBYであるとしてよくは思わない人もいる。自分のところに出来なければそれでよいのか、原発反対運動を続けるべきだと考えるらしい。
福島第一原発の大事故の後、実は全国30カ所近くの漁村でそのようにして原発をつくらせなかったにもかかわらずそのことが殆ど知られていないことと、都市の反対運動や、研究者、文化人と呼ばれる人々の取り組みが全国の原発がある地域の人々に伝わらないことと深くかかわっているのではないかと考えるようになった。
その関係のゆがんだ表現が、漁民が海を売ったので原発ができた、埋め立てが進んだという都市伝説である。その結果として、漁村の戦いをNIMBYと見なし、正当に評価しない。
近年世界的にNIMBYについての検討が進み、昨年は遂に、〝NIMBY is beautiful〟という本も出版された。
私達はどうすればよいのか。「オレの釣り場をこわすな」と
言いつづけるしかない。住民参加、環境正義、情報公開といった
大義名分は必要ない。NIMBYと言われようが関係ない。
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沖縄の人々の米軍基地を県外に移設してほしい切実な声がなかなか拡がらず、冷たく視ている人が多いのにも、このNIMBY的見方があるように思う。
沖縄の困難を少しでも減らそうと2010年の鳩山政権時に米軍普天間飛行場を徳之島に移設しようと計画したが、外務省から65カイリ以内でないと無理だと米軍が言っているといわれ断念したという。(朝日新聞2016年2月23日)
沖縄の人々には知ることの出来ない日本国と米国との密約や関係の深い闇があるようである。
しかし、沖縄の人々にとって、米軍基地問題はNIMBYなどとして言われることではなく、生存すること、生き続けることと深くつながっている。
『フライの雑誌』第7号(1988年)の本欄でも述べたように、新石垣空港建設によるサンゴ礁のある白保の海の埋立てに反対した、阻止委員長の迎里清さんは、生態系の破壊とかアオサンゴを問題とするのではなく、軍事空港化を一番心配していた。沖縄の人々は、この70数年戦争と命の問題を心配し続けているのである。その思いを、何度も踏みにじっているのが石原慎太郎氏である。
最近、週刊誌でしゃあしゃあとゴマかしているが、新石垣空港建設がらみで、白保案が変更されることを先読みして次の候補地に、別荘地を買い求めてあったのである。これには4人の自民党代議士も名を連ねている。当時運輸大臣、その前は環境庁長官の石原氏ほどインサイダー情報を入手できる人はいない。
息子が環境大臣でいみじくも言ったように、まさに金目で動いたのである。
本人がいくら否定しようとも、1989年白保埋め立て案中止のいきさつについて、県議会で西銘知事が他の候補地になったのは、東からの声によって決まったと発言しているのでどうしようもない。
1%の金持や政治家はあらゆるキタナイ手を使って金もうけや環境破壊を好き勝手にやっている。99%の私達はどうすればよいのか。「オレの釣り場をこわすな」と言いつづけるしかない。住民参加、環境正義、情報公開といった大義名分は必要ない。NIMBYと言われようが関係ない。
そのようにして世の中を見てゆくと、長良川河口堰建設のバカらしさアホらしさも見えてくるし、原発は無い方がよいと自然にわかってくる。
よく、グローバルに考えて、ローカルに行動するというが、ローカルな行動を徹底すればグローバルな世界が見えてくる。
ダム建設反対運動に晩年の13年を投じた室原知幸を舞台「砦」で演じる村井國夫が「大義もあったけど、日常を壊されたくないっていう小さな個人的な抵抗もあったんでしょうね」と話している。
ごまめの歯ぎしりと言われようが、そのようにして生きてきたものにとっては、ずしんとくる。
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