フライの雑誌-107号(2016)より、「オイカワ日記」(堀内正徳)を公開します。
舞台は、一昨年2015年の秋の終わりから冬の始まりにかけての、多摩川支流浅川中流域です。季節外れのしんみり感をお楽しみください。
さらに侘しくなりたい気分の方は、単行本『葛西善蔵と釣りがしたい』を併せてお読みください。リアリズムの宿です。まんずサンビスしますから。
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オイカワ日記
堀内正徳 東京都日野市/本誌編集部
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10月9日
夏が終わり、短パンでじゃぶじゃぶの陽気ではなくなってきた。面倒だが長靴を履いて川へ行く。
学校下へ入ろうと思ったが、長靴姿でがぼがぼと放課後の小学校前を通りすぎるのは気がひける。目ざとく見つけて、「あ、○○くんのお父さんだ!」と個人情報を叫び、よせばいいのに校庭から手を振ってくる子どもがきっといる。そうしたら長靴姿で手を振りかえさざるを得ない。
だから今日は編集部の目の前の土手を降りて、川の中を釣り下っていくことにした。結果的には大正解でたくさん釣れた。
風が強くてライズはない。でもフライを水面に流せば、きちんとオイカワが顔を出してくれる。ライズが見あたらないからといって、あきらめないことだ。ライズがない時に、「だってライズないんだもん」と言ってロッドを出さないのを美徳とするような中高年のフライマンにはなりたくない。
10月になればポイントも変わる。夏がくるぶしの水深なら、秋はふくらはぎくらいがいい。冬はトロ場で、と言いたいところだが、プールのライズを探すのはわりと大変だ。ぼんやりするより湧水や合流点を探った方が早い。
今年は夏が始まる前に、工房ひわたりさんに頼んでオイカワ・ネットを作ってもらった。玄関へぶら下げておいたら、妻に「新しいアミ買ったの?」と聞かれたが、「なに言ってんの、前から持ってるアミじゃん。」と答えた。あくまで平然としているのが大切だ。
今日は上ばりに20番のソフトハックル、下ばりに22番のドライ。2本の間を60㎝とった枝バリ仕掛けだ。水を吸ったソフトハックルがMB(マイクロバラスト=第62号参照)になって、ドライフライがいい感じでドラグフリーで流れてくれる。
昨日、近所の子どもと顔を合わせたとき、「あしたおれハヤ釣り行くよ。」と言ってあった。だから来るかなと思って、時々後ろを確認しながら釣っていた。でもけっきょく来なかった。友だちと遊んでいるのか、家で宿題でもしているのか。
わたしみたいな世の中の外れ者のおじさんと、いつまでも一緒に釣りして遊んでいるようでは、人として困る。でもそろそろ近所の子どももそういう季節なのかもしれない。フライロッドを握ったまま、ふと背中を振り返ったら夕焼けだ。世界のすべてが愛おしい。
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10月13日
松井真二さんと知り合って間もないころ、イブニングライズ待ちの川原で、松井さんが「ヤマメを釣って放すだけなのに、なんでこんなに楽しいんだろう。」と漏らした。もう10年近く前だが、松井さんのなんともいえない優しい表情をよく覚えている。
昨日は天気がよかったので、妻が作ってくれたお弁当を持って、昼間から川へ行った。お弁当を食べるついでにオイカワ釣りもしました、と後で報告したら、「釣りのついでにお弁当を食べたんでしょう。」と言われた。こんなちっちゃな魚を釣って放すだけなのに、なんで楽しいんだろう。
コロガシ竿をふりまわしているおじさん三人組。酔っぱらったおじさん一人が近づいてきた。「おじさん釣れる?」「ううん、おれは呑みに来たの」。酔っぱらいかと思ったら、地元で70年も釣りしてる本物のヘンタイ釣り師だった。
「フライだってやるよ。」
と聞いてわたしは急に敬語になった。ヘンタイ釣り師はリスペクトする。変わり身は早い。
死んだばかりの生々しいアユを水辺で見つけた。コロガシのハリにかかって流されたんだろう。今年は浅川へ大量に天然アユが遡上してきている。ばんばんジャンプしてる落ちアユをフライフィッシングで釣るメソッドが確立されたら、ノーベル賞どころじゃない。来季はアユ釣りしようかな。
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10月15日
今の季節は一日中オイカワのライズがある。あたたかい日の午後は仕事の手がとまり、川へ行きたくなる。行ってしまう。今日の秋晴れは一度きり。
15ヤードくらい先のライズを狙う。思い通りのキャストと期待通りのフライパターンとイメージ通りの釣り方で何十匹も釣れる。楽しい。わたしは去年よりもその前よりも、オイカワ釣りはもとよりフライフィッシングそのものが上手になっている気がする。まあこれだけやってればねと思う。
オイカワ釣りは断然バーブレスフックがいい。メーカーは極小サイズのバーブレスフックのバリエーションをもっともっと増やしてほしい。極小と言っても20番くらいでいい。
枝バリ仕掛けならドライで2匹いっぺんに釣れる。着水と同時に2匹出て同時にフッキングする。1匹出たのをかけて、すぐ後にもう1匹出るのをまたかけるのも楽しい。15㎝近いオイカワが2匹同時にかかると、2番ロッドに3番ライン、0・4号のハリスで「おっとっとっ」と声が出る。最近一荷釣りしたのはカマスとワカサギとオイカワくらいか。
今日は広くて開けたプールで釣っていた。夢中になって釣っていたら若い女性の声で「釣れますかー」。見ると自転車を押した高校の制服姿の男女が、土手の上でこちらを見ている。娘さんの方が手を振っている。川の中の釣りおじさんに声かけてくるなんて最近の娘さんは社交的だ。
「釣れるよーお。」
「何が釣れますかー。」
何が釣れるかと聞くんですね。標準和名オイカワだよー、と答えようかと思ったが、「ハヤだよー」。「ハヤですかー」。「ハヤですよー」。「釣りがんばってくださーい」。「がんばるよー」。
男の子の方もいっしょになって手を振った。二人で楽しそうに突っつきあいながら、土手を遠ざかっていった。いいね!
がんばってくださいって言われても、しょせん釣りだし。しかもハヤだし。ハヤをどれだけ釣っても、社会にはなんの役にも立たない。自分が楽しいってだけだ。おじさんもう少し釣ってから帰ることにする。
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10月21日
昨日の午後、牧浩之氏の単行本を根詰めて進めていたら、電池のきれた時計みたいに、急に体が動かなくなった。電池よわってるからすぐだめになる。水木しげる先生方式で12時間寝ていたら動いてくれた。
広くて浅いフラットで思いきりラインをのばして、できるだけ遠くで魚をかけるのはフライフィッシングならではの喜びだ。糸の先についているのが、オイカワでもボーンフィッシュでもスティールヘッドでも、喜びの質はあんまり変わらないんじゃないかと、釣り雑誌を作っている人にはあるまじきことを考える。
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10月22日
牧浩之氏の本の台割り(本の設計図)がやっと固まった。ぜったい面白い本になる。この本で世の中変わるかもしれない。いつもそれくらいの勢いで本を作ってる。
編集仕事の佳境にいるとき、(この本ができ上がるまでわたしを殺さないでください神様)と思う。毎号毎冊、いのちの大安売りだが、しつこく生き延びている。今日も川へ行く。
オイカワ釣りのアワセはフライラインを慣性で持ち上げて魚を乗せる。スペイキャストのリフトというか、ヘラ釣りの「煽りアワセ」の前半の動作にも似ている。
波にもまれている15ヤード先の20番のフライは、もちろん見えない。アワセのタイミングは野性のカン。イメージ通りに釣れると全身に万能感が満ちてくる。
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10月24日
風がない方がライズは多い。サクラの名所を、「ひと目千本」と言ったりする。今日のライズは、さしづめ「ひと目百発」のライズの雨。こういう時の風のないプールの釣りはむずかしい。ものすごく極小の虫を食べていたりする。
今の時期、午後4時半から5時までの30分あれば、日ごろの疲れがすべて吹っ飛ぶ。人生のちっぽけな悩みも課題も、問題点も、すべてデリート。ドリルで破壊、すっからかん。明日からまた新しい人生の始まりだ。あれこれ抱えていくには荷物は重すぎるし、わたしの肩は華奢すぎる。
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10月25日
わたしの家の近くにヘンリーズフォークがあれば、ヘンリーズフォークへ通う。ボーンフィッシュフラットがあれば、ボーンフィッシュフラットに立つ。支笏湖の畔に住んでいるなら支笏湖を釣るし、渡良瀬川が流れているなら渡良瀬川へ通うだろう。オイカワのいる川のそばに暮らしているから、オイカワの川に通っている。
オイカワはその辺の川にいる。それでいてフライフィッシングの面白さの要素をすべて備えている。
今日もライズの雨。21番のエルクを水面へパシッとではなく、ポトンと落としてやる方がよかった。細かいところで反応がちがう。しかも毎日変わる。毎日釣っていてもオイカワの気持ちは分からない。
今日は流しバリには反応がなかった。流しバリしかしていなければボウズだったかもしれない。手持ちのコマは色々と持っていた方がいい。
今年は何人かのベテラン釣り師の友人たちが、腕をポキポキ鳴らしながら浅川へオイカワを釣りに来た。一緒に釣るとたいていはわたしの半分も釣れないで、気の毒に背中が煤けていた。釣れなかった人に共通していたのは、「ハヤごとき」という慢心から、自分の釣りをわがままに押し通そうとしたことだ。釣りにはふだん隠しているその人の性格がまともにでる。観ているとおもしろい。
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10月27日
今日は電車釣行にくわしい人と一緒に、近郊の川へオイカワとカワムツを釣りに出かけた。電車釣行にくわしい人と釣るのは初めてだ。「ザ・源流2015」みたいながっちり装備に小さいハヤ用ネットをぶら下げているのがかわいい。予想以上にハードコアなスタイルだった。釣りも上手だ。
釣れたのはなぜかオール・カワムツだった。カワムツは10㎝くらいの魚でも16番フックに余裕でかかる。なにしろ口がデカイし、大ぐらいのバカである(カワムツすまん)。ただし機嫌が悪いときは徹底的に機嫌が悪くなる。猫カフェの女王様ネコみたいなめんどくさい一面をもつ。
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11月5日
一昨日、鹿児島の中馬達雄さんに次号の原稿依頼の電話をした際、「あなたは最近ハヤばかり釣っている。そのわりに使っているロッドに変化がないようだ。」というご指摘を受けた。たしかにこのところ玄関へ出しっ放しの竿を使っていて、ロッドに変化がなかった。でもなんかちょっと不本意だ。
中馬さんは、「シーズロッドでハヤを釣ったら、改めて楽しいなあって思った。ハヤ釣りにぴったり。あなたも色んな竿を使いなさい。」と。そんなこと言われたら使いたくなる。
玄関のロッド置き場から2番のシーズロッド6フィート8インチを持ち出して、そのまま川へ。手のひらサイズでもこの竹竿なら、掛けてからがウハウハと楽しい。
オイカワ釣り用のウエストポーチからリーダーグリースが2個出てきた。予備を買ってあったのを忘れてダブって買った。最近そういう買い物が多い。一度読んだ本でも読んだのを忘れてダブって買って読みはじめ、しかも途中まで気づかない。要介護度高い。
今日のフライはオポッサムのボディ各色に適当なヘンハックルを一巻き。リーダーグリースでべしょべしょにして水面に貼り付かせ、ドライとして使う。
わたしが君のことをどれだけ好きか、君には分からないだろう。どうでもいいから早く放せと、手の上のオイカワが濡れている。
(了)
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![『フライの雑誌』第106号|〈2015年9月12日発行〉| 大特集:身近で深いオイカワ/カワムツのフライフィッシング─フライロッドを持って、その辺の川へ。|オイカワとカワムツは日本のほとんどどこにでもいる魚だ。最近になって、オイカワとカワムツがとても美しく、その釣りは楽しく奥深いことを、熱く語るフライフィッシャーが増えている。今号ではオイカワとカワムツのフライフィッシングを、大まじめに真っ正面から取り上げる。この特集を読んだあなたは、フライロッドを持ってその辺の川へ、今すぐ釣りに行きたくなるでしょう。 新連載 本流の[パワー・ドライ] Power Dry Flyfishing ビッグドライ、ビッグフィッシュ|ニジマスものがたり](https://furainozasshi.com/wp-content/uploads/2015/09/106-cover-m-1.png)
大特集:身近で深いオイカワ/カワムツのフライフィッシング|オイカワとカワムツのフライフィッシングを、大まじめに真っ正面から取り上げました。この特集を読んだあなたは、フライロッドを持ってその辺の川へ、今すぐ釣りに行きたくなるでしょう。
新連載 本流の[パワー・ドライ] Power Dry Flyfishing ビッグドライ、ビッグフィッシュ|ニジマスものがたり(品切)

特集◎1 再発見・芦ノ湖の鱒釣り ブラウントラウト、サクラマス、ニジマス、イワナ… 箱根・芦ノ湖の今と可能性を考える ●箱根山塊の雄大な景観の中でフライフィッシングを楽しめる神奈川県の芦ノ湖は、国内では貴重なマスの釣れる自然湖だ。芦ノ湖を愛して関わってきた多くの人々の想いを縦軸に、魚たちの暮らしを横軸に、’80年代以降現在までの芦ノ湖の姿を振りかえり、今後の望ましいありようを考えます。
特集2◎
シマザキフライズ × I.F.F.F. in 桐生 tyer 島崎憲司郎



身近なビッグゲーム 中村善一×島崎憲司郎 異分野対談
画家の視線とシマザキワールド 後篇
○ニジマスものがたり 最終回 ─研究者として、釣り人として 加藤憲司
○連載陣も絶好調
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『フライの雑誌』第112号
本体1,700円+税〈2017年7月31日発行〉
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○天国の羽舟さんに|島崎憲司郎
○〈SHIMAZAKI FLIES〉シマザキフライズ・プロジェクトの現在
○連載陣も絶好調
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『フライの雑誌』第113号
本体1,700円+税〈2017年11月30日発行〉
ISBN 978-4-939003-72-1 AMAZON

トで受け付けます。第114号は6月15日発行



