本誌連載中の樋口明雄さんが、新刊紹介こみで、山梨日日新聞に大きく紹介されています。記事中にでているナイフのエピソードは、『目の前にシカの鼻息』でさらにくわしく語られています。
写真では髪の毛が真っ白くてまるで昔話のおじいちゃんのようですが、ご自宅のある南アルプスの山ふところを、2頭の愛犬と1頭の犬似のタヌキといっしょに、毎日走り回っている樋口さんは、心も身体もティーンエイジャーそのものです。ジーンズぱつんぱつんの太ももを、8.19の会場でお確かめください。惚れますよ。
ちなみに、下の『目の前にシカの鼻息』からの引用文にでている、「アンカレッジに在住している日本人のハンティングガイド」というのは、じつは本誌連載陣の一人であるウッディ小林さんのこと。もともと樋口さんのお知り合いで、『フライの雑誌』にも書いていただいたらどうですか、ということで樋口さんから紹介していただきました。
強烈なアラスカの自然と共に生きる人々のハードコアな暮らしを描くウッディさんの連載「現代アラスカ・フライフィッシング事情」は、毎回一度読んだら忘れません。すでに連載9回を数え、読者の皆さまからも人気です。
樋口さんにもウッディ小林さんにも、もちろん次号112号へご寄稿いただいています。ご期待ください。
南アルプス山麓のログハウス発、
大藪賞作家のユーモアと人間味あふれる初エッセイ集!
『フライの雑誌』掲載作品+書き下ろし+インタビューをまとめました。
…ダウンベストをはおり、三和土で靴を履くと、仕事場のドアを開け、外へ出た。すぐ近くにある母屋に向かおうと、暗がりに一歩足を踏み出したところで、硬直した。
玄関先、数メートルと離れていないところに異形の影があった。
牡ジカである。
二メートル近い巨大な体躯。焦げ茶の冬毛が針金みたいに背中にケバ立っていた。太い胴体から凜々しくそそり立った頭部には、それぞれ一メートルぐらいの長さの立派な角が対になって生えていた。
そいつは、ぼくの目の前で躰を横に向けたまま、まるでどこかに展示された剥製か何かのように、 じっと動かずに〝存在〟していた。
一瞬、何の冗談かと思ったほど、そいつには現実感が欠落していた。
右手に握っていたぼくのライトの光を浴びて、ふたつの目が金色にギラリと輝いたかと思うと、牡ジカは真っ黒な鼻の下にある大きな口を開けて、草食動物独特の白い四角い前歯を剥き出した。
口蓋と鼻先から、呼気が真っ白な蒸気となって噴出した。
そして、ビールを飲み過ぎた酔っぱらいが洩らすゲップのような低い声で、ぼくに向かって「ぐふぅ。」と啼いた。
金縛りに遭ったように立ちつくし、なすすべもなく目を釘付けにしているぼくの前で、牡ジカはおもむろに頭を上下させ、巨躯を揺すると、ゆっくりと真横に歩き出した。
茫然自失のまま、ライトの光を向けながら目で追ったぼくは、昏い森の闇に消えていく牡ジカのシルエットと、目にも鮮やかな白い尻毛を、ただ見送るばかりであった。
やがて刺すような冷気がひしと押し寄せてきて、ぼくはぶるっと身震いした。
のちに、アンカレッジに在住している日本人のハンティングガイドが、感慨深げにぼくに向かってこういった。
─ そいつはアラスカよりも、ハードだな。
そんなハードな山暮らしが、その夜の出来事から一〇年以上経った今もなお、続いている。
たかが東京から車で二時間のこの場所で。
(「まえがき」より)
『目の前にシカの鼻息 アウトドアエッセイ』
四六判208頁 税込1,800円
フライの雑誌社刊
ISBN978-4-939003-44-8
『約束の地』(2008)で日本冒険小説協会大賞・第12回大藪春彦賞ダブル受賞
樋口明雄 =著 Akio Higuchi
収録作品:
犬と歩む
ようこそ山小屋へ
あのころ奥多摩で
都会のナイフ
薪を割る
サルを待ちながら(NHK「ラジオ深夜便」で朗読)
クマと生きる
〝イセキ〟を渡れ!
インタビュー〈だんだん、自分には山暮らしが合っていると気づいていったんです。〉
犬が好き、猫が好き/犬の叱り方は子どもと同じ/「私の家族を守らなくちゃ」/犬は忘れやすい/私は風呂に入るべきじゃない/肝硬変と阿佐ケ谷と/来たりもんの心得