あなたは「利き鮭」ができますか?

(「葛西善蔵と釣りがしたい」収録)

夏のはじめ、北海道へかぎりなく釣りそのものに近い取材に行った際、友人のオホーツクの男の家に泊めてもらった。「オホーツクの男」というのはわたしが勝手につけたあだ名であって本名ではない。季刊『釣道楽』の道楽編集長、坂田潤一氏もいっしょであった。

いったいに北海道の人々は、東京人の五〇〇倍くらい、うまいものを摂取している。付け加えると東北人も道民と同じくらい、うまいものを次から次へと腹におさめている。東京でもお金さえ出せばうまいものは手に入れられるらしいが、庶民には関係ない。

オホーツクの男が〝漁師が作った本物のアキアジの山漬け〟というものを出してくれた。大きな樽にアキアジと粗塩を交互に重ねてゆき、それを上下ひっくり返して重量で漬け込むのだそうだ。半年間くらい放置することもあるとか。はじめ山漬けという呼び名を聞いてピンと来なかったのだが、それならまさに漬けものである。

〝本物のアキアジの山漬け〟はものすごく塩っからく、身を五ミリくらいに薄く切って皮ごと食べてちょうどよかった。ふくよかで奥深い発酵の味わいがあって、これまで食べたことのない旨さだった。〝本物の〟と言われただけでも弱いのに、〝漁師が作った〟なんてつくともうどうしようもない。高血圧どんと来い。

解禁したばかりのホッカイシマエビと今朝釣ってきた新子ヤマベの天ぷらなどといっしょに、みんなでその美味しい山漬けをつまんでいるとき、道楽編集長の坂田氏が言った。

「おれ、キキザケできるんだあ。」

酒はあまり呑まない坂田氏がキキザケとはなんのことかと思ったが「利き鮭」のことだった。

アキアジ(シロザケ)、ギンザケ、ベニザケ、ニジマス、ブラウントラウト、ヒメマス、サクラマス、マスノスケ、カラフトマス、メヂカ、ケイジ(他にももっとあったかも)といったサケの仲間を切身で焼いた状態で食べ比べて、それがどの魚であるかをすべて言い当てることができるのだという。

「利き鮭」は、坂田氏が自慢するだけあってたいへんに難しい。

カブラー斉藤こと斉藤良文さんと、山形へサクラマスを釣りに行ったことがある。その際、宿の朝食に出てきた〝塩鮭の切身〟がカラフトマスかサクラマスかで、激しい言い争いになった。

アキアジではないことは分ったが、わたしは「サクラマスのように貴重な魚がこんなに気軽に出てくるわけがない。」と言いきり、カブラーは「山形はサクラマスで有名なんだから、あえてカラフトマスなぞを出すはずがない。」と主張して、互いに一歩も譲らなかった。

最後にはカブラーは「オマエはサクラマス至上主義に毒されている!」と軽蔑するように言い放った。「それで何が悪いか!」とわたしも負けなかったため、二人の関係は険悪になり、せっかくの爽やかな旅先の朝の食卓がぶちこわしになった。

それは釣りの最終日だったので帰りの車中にも嫌な雰囲気をそのまま引きずった。もっとも運転免許のないカブラーはすぐに助手席で寝たから、わたし一人がムカムカしながら、東京までの四〇〇キロの道のりを運転した。

その後、わたしはひと月くらいカブラーと連絡をとらなかった。向こうから連絡がくるはずもなく、そうしたら次の『フライの雑誌』でカブラーの連載が落ちた。

要はカブラーもわたしも、サクラマスをきちんと口にした経験がなかった。

サケ類は美味しい魚だが、身質と味は基本的にどれも似ている。市場に流通しないために、自分で釣ったり誰かにもらわなければ食べられないサケも多い。

焼いた切身の状態のサケを食べてどの魚かを当てるのは、ふつうの人にはほぼ無理だろう。そもそも、そんなマニアックなことに挑戦しようとするヒマな人はまずいない。

坂田氏の「おれ、キキザケできるんだあ。」という、のんびりした北海道弁を聞いたわたしは、「やはり道楽編集長だけのことはある。」と率直に納得した。

やつなら「利き鮭」も普通にありえる。だって北海道は日高の山奥へ産湯を浸かり、取材と称して自分の好きな釣りと野遊びと温泉に日々かまけている体重一〇〇キロ超の、エピキュリアンなクマ男である。「利き鮭」くらい軽々とこなすに違いない。

そんな坂田氏は、去年の秋は北海道産のマツタケを東京へ大量に送ってくれた。またくれ。

昨夜、わたしはオホーツクの男が自分で釣って送ってくれた今年のマス(オホーツクではカラフトマスをマスと呼ぶ)とアキアジの切身とを、同時にグリルで焼いて食べ比べてみることを思いついた。

「プチ利き鮭」である。

う~ん。どっちもうまいけど、身質も含めてカラフトマスのほうがひょっとしたらうまいかな。そこでオホーツクの男に電話をかけて、

「アキアジとマスと食べ比べたんだけど、マスのほうがうまいかな。」

と言った。するとオホーツクの男は電話の向こうで

「でしょう! ぜーったいマスの方がうまいですって!」

と、びっくりするような大声で叫んでいた。

なんでこいつはこんなに喜んでいるのかと思ったら、そういえば夏に会ったとき、オホーツクの男と坂田氏とは「アキアジとマスとどちらがうまいか」で、わたしが思わず仲裁に入るほどのたいへんな口げんかをしていたのであった。いい歳こいて。

オホーツクの男は断然マス派、坂田氏は自信満々でアキアジ派だった。カブラーといい坂田氏といいオホーツクの男といい、どうでもいいことに夢中になるのは釣り師の特性かもしれない。

そういえば坂田氏は「本物のケイジはとんでもなくうまいぞ。」とも言っていた。

一尾一〇万円は下らないという「本物のケイジ」を食べたことがないわたしは、ごくりと唾を飲み込んだ。

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(「葛西善蔵と釣りがしたい」収録)

葛西善蔵と釣りがしたい|堀内正徳=著(『フライの雑誌』編集人)
フライの雑誌-第112号 フライの雑誌大特集オイカワ/カワムツのフライフィッシング(2)
身近なビッグゲーム 中村善一×島崎憲司郎 異分野対談 
画家の視線とシマザキワールド 後篇
○ニジマスものがたり 最終回 ─研究者として、釣り人として 加藤憲司
○連載陣も絶好調
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『フライの雑誌』第112号
本体1,700円+税〈2017年7月31日発行〉
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桜鱒の棲む川 ─サクラマスよ、故郷の川をのぼれ! 水口憲哉