第112号の水口憲哉氏「水辺のアルバム」のタイトルは、〈カジキを突いて暮らす人〉だった。
ここに、遊びではなく、魚を突いて獲ることを職業としている突棒漁の人々がいる。そんなことが商売として成り立つのかと思われる、とらえにくく、分かりにくい不思議な漁に今回は迫ってみる。
突棒漁で主に狙うのはカジキマグロ類である。しかし、海面にいる大型の魚、例えばクロマグロやサメ類、マンボウそしてイルカやクジラなども出合えば獲る。
漁業権とも、知事や大臣の許可とも関係のない自由で気ままな漁業なので全く規制を受けず、その代わりにどこから面倒も見てもらえず、獲れなくても自己責任という大変な漁業といえる
基本的に大きな群をつくることのないカジキ類が、黒潮流域を季節的に大移動しているものを数隻の仲間同士では連絡し合うが、漁船は基本的に単独で洋上をカジキ類を追い求めるのである。
山にクマを求めて入るマタギのような、海の狩人である、と書かれている。
単独か、あるいは最小限のコミュニティでもって、必要な分だけの糧を得る。大きな権力が恵んでくれる小さな果実を断り、引きかえの抑圧から逃れ続ける。リスクは覚悟するか、もしくは忘れる。仲間を助け、助けられつつ、楽しく暮らせればよしとする。
そんな生き方に憧れるが、ハードな生存環境を生き抜くワイルドで高度なスキルは、実際の自分にはかけらもない。突きん棒を握って海に出たらその日に落水するし、鉄砲を抱えて山に入れば道迷いする。
無能者の自覚はあるから、世間様のすき間とすき間を渡り歩いて、おそるおそる生きていくしかない。えらい政治家さん、選挙が終わりましたね。あなたたちの邪魔はできませんし、するつもりもないので、とにかく放っておいてください。そこんとこよろしくお願いします。
魚が減った、漁業は大変だ、水産業の先行きはないと世間で言われている。しかし、これは間違っている。
(「釣り場時評89」水口憲哉)
次号113号(11月末発行予定)の釣り場時評は、一見センセーショナルな書き出し。
読んで納得、ご期待ください。