第100号(2013)より、樋渡忠一さんのご寄稿を紹介します。掲載当時、大反響を巻き起こした伝説の原稿です。
〝こういう原稿が載るのはさすがフライの雑誌だ。〟と、なぜか編集部まで褒められました。
うれしかったです。
3回に分けて紹介します。
(編集部)
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フライフィッシング党宣言
頭がフライフィッシング!
樋渡忠一(東京都府中市)
※『フライの雑誌』第100号(2013)掲載
(2)
フライフィッシングなんかやめてやる
フライフィッシングでは、多くの場合そこに魚がいるのを分かった上で釣ることが多い。逆に言うと、魚はたしかにそこにいて、釣りになる状態が最低限必要である。
私にとっては、魚がいて、なおかつライズがある状態が理想的だ。釣れた釣れないの結果だけでなく、どのようにして釣るかが重要な要素になる。
楽しみをどこに見つけたり求めたりするかは人それぞれだと思う。魚がいるのは分かった上でそれを釣ることや、エサではなくてあえて毛鉤を使うところがフライフィッシングの核心部だと、私は感じている。
魚がそこにいて、食べているものもある程度分っている。その魚を「食べているものを真似た毛鉤で釣りたい」と考えることと、「食べているものをハリにつけて釣る」では、後の考えの方がはるかに理にかなっていると思う。前の考えを実行しようとすれば、用意すること、やるべきことが圧倒的に増える。
この自分の思いや願いをかなえようとするために、増えてくる色々なことが、フライフィッシングそのものであると思う。
毛鉤、フライライン、フライロッド、水生昆虫の生態、それをどう真似るかを考えたタイイング、自然を意識する深さ、自分の人生に対する価値観など、テーマがいろいろと増えてくる。そのこと自体が単に魚を釣るだけより面白い。夢中になる。
ライズがなければ、ライズするまで岸辺で待っている時間。タイイングをしながら、釣り場や魚に思いを巡らせている時間。直接魚を釣る以前の時間が多くなるに従い、自分のフライフィッシングが、さらに大きく深く楽しいものになってくる。
夕マズメにライズを待ち続け、結局何も起こらなかった疲れや失望感を、楽しいとは思いはしない。手持ちの考えられるフライを全て使い果たしても無視されたのに、魚はライズし続けている時など、「もうフライフィッシングなんか、やめてやる」と思う。
でも過去の釣りシーンを頭に思い描いている時、思い出すのはこのようなシーンだ。トロフィーサイズを釣ったときのことより、釣れなかった魚、逃がした魚のことの方を鮮明に覚えている。
負け惜しみも少し入ってはいるが、そこに魚がいてくれて釣りになる状態、そしてできればライズがあれば、それだけで十分だ。そこから先の、どんなことに夢中になるかは十人十色である。
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出ろ、食べて、お願いだから
映画を作るには監督、演出家、俳優、スポンサー、大道具さん、カメラマンなど多くの人が関わっている。フライフィッシングはそれらのすべてを、一人で行っているようなものだと思う。
ただ単に魚を釣って楽しいと感じている時は、映画館で映画を見て楽しんでいるだけの観客に似ている。
単に「釣れた」ではなく、自分の考えたストーリーにそって釣りをする。自分はどのようなストーリーなら感動するのか、演出家として組み立てる。
あの美しい魚を釣りたい。あの水生昆虫を食べてライズしている魚を釣りたい。あの自然の中で世代交代をくり返して生きている魚を釣りたいと。
自分が描いたストーリーを完成させるために、タックルを揃え、フライを考え、タイイングしていく。そして経験が増えるごとに、毎年訪れる奥深い自然の四季それぞれに、描きたい自分の物語が増えてくる。
準備を整えていよいよ現場に立ち、監督としてメガホンをとり「よーい、スタート」と声をかける。フィールドに立ち、目の前の状況を判断し、思いのこもったフライをループに乗せてポイントへ届けるのである。
カメラマンの視線でポイントを捉え、主演者としてのドライフライは思ったポイントにフワリと着水する。
スタッフ全員が集中する中、魚が出る。
フライロッドを少しあおり、魚の重さが伝わったこの瞬間の感動を、観客としてあじわう。
すべて私が演出したモノ、すべての感動は私のモノ、すべての敗北感も私のモノ、すべてが私のモノである。
私はすべてのストーリーを自分で演出し、演じ、感じたいのである。どこかに他人のストーリーや演出があると満足感は半減する。
全ての役割を自分がこなすと、落とし穴も増えてくる。周りが見えなくなり、自己中心的になって独走してしまったりする。自分の都合の良いように解釈してしまう。そうならないようにするには、奥深い自然の時間に、自分の尺度を合わせていくことである。
監督としてスタートと声をかける相手は自然であり、カメラマンの視線の先は、ライズしている魚である。主演者のドライフライは魚に対して、出ろ、食べて、お願いだから食べて、と祈る。
じつはすべてのシーンで、本当の相手は自然のなかにある。自然の時間の中にいかに入り込むかが大切だ。こころを素直にしないと何も見えてこないし、感じられない。
フライフィッシングを楽しむ上でいくつかある大切な要素のひとつが、この〝素直さ〟というキーワードだ。相手が自然であり、自分の思いが強くないと深まらない遊びだからこそ、〝素直さ〟が重要になる。
ままならぬ大きな自然があって、その中で自分が何をしたいかを明確にイメージし、自然へ素直に接してゆく。そんなフライフィッシングは、人生のストーリーを変えてしまうほどの魅力に満ちている。
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フライの雑誌社では、ここに来て日々の出荷数が増えています。「フライの雑誌」のバックナンバーが号数指名で売れるのはうれしいです。時間が経っても古びる内容じゃないと認めていただいた気がします。そしてもちろん単行本も。
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