※フライの雑誌-第113号の「シマザキフライズ・プロジェクトの現在 〈Shimazaki Flies〉はどうなっているのか」(編集部まとめ)には大きな反響がありました。
今回は、フライの雑誌-第111号、第112号掲載の、「異分野対談|画家の視線とシマザキワールド 中村善一×島崎憲司郎」を公開します。
「シマザキフライズ Shimazaki Flies」プロジェクトの発表以降、注目度をさらに高めている古典的名作『『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』』誕生の背景と、「シマザキフライズ」の進捗についても語られています。
フライフィッシングとは畑違いの方からも、面白かったという声の多い対談です。(編集部)
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【特別公開】
異分野対談:
画家の視線とシマザキワールド
中村善一×島崎憲司郎
企画・写真 青木修(桐生タイムス)
編集・構成 堀内正徳(フライの雑誌社)
群馬県桐生市の中村アトリエにて2016年12月18日収録
●中村善一さんと島崎憲司郎さんの対談は『水生昆虫アルバム』が結んでくれた縁でした。桐生という小都市のローカル紙で私が長年記者をやってこれたのは、いつでも示唆に富んだ話を提供してくれる人々に巡り会えた幸運に尽きるでしょう。たとえば中村さんです。そして島崎さんです。中村さんはモノゴトの本質を鋭く見抜き、とにかく、対象に迫っていく態度がきっぱりしています。
● 『フライの雑誌』110号の特集の後、「シマザキフライが見てみたい」と中村さんが希望し、島崎さんがその機会をつくってくれて対談は成立しました。老画家の炯眼から発される少年のような質問を受けて、すぐに核心へと案内する博覧強記のフライタイヤー。
●二人は、私がわかったつもりでいただけのフライフィッシングを、また創作の世界の奥深さを、ズバリことばに置き換えていってくれました。私が20年前、『水生昆虫アルバム』に出合い、夢中で島崎さんを訪ねてしまった衝動も、いまならもっと具体的に語れるかもしれません。登り口は違っても山頂では一つになる。そんな高みを感じたアトリエの2時間でした。
(青木 修)
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※本対談は青木修さんが企画・収録し、本誌編集部がまとめた。
※『フライの雑誌』第111号(2017年3月)、第112号(2017年7月)初出
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島崎 先日は素晴らしい絵を賜りましてありがとうございました。第110号で愚著を評価して戴いた上に御作まで頂戴して感激です。あの絵(「オンブバッタ」)は仕事場に掲げてあります。見れば見るほど凄い絵ですね。にらまれているようで、毎日身が引き締まる思いです。
中村 礼状をありがとうございました。気に入っていただいたようでよかった。どういうところが面白かったですか。
島崎 いろんな見方ができる凄い絵ですね。構図も色の配置も完璧で見るたびに発見があります。ゆっくり回転しながら天地左右に膨張するようなイメージも沸いてきたり。よく見ると、実に恐ろしい世界なんですよね。中世ヨーロッパの寓意画めいた趣きも感じとれます。
中村 具象には違いないんだけども、そこに抽象的な要素もかなり入っているんです。
島崎 技術面でもびっくり仰天しました。蜘蛛の巣の糸が恐ろしく細い平行線で全く狂いがないグリッドを構成していて、しかも絶妙なトーンが配されている。素人には描けない絵です。蜘蛛のブルーの濃淡二色の取り合わせも凄まじく鮮やかな発色で驚きました。
中村 グァッシュをカラーインクで溶いているんです。
島崎 なるほどねぇ。それであんなに突き抜けた色になるんですね。青い蜘蛛と濃密な緑のバッタとの、えも言われぬ取り合わせが絶妙です。琳派の紅白梅図とか風神雷神図に通底するような二極対応のイメージ、それは生と死にも関わるわけで、見ようによっては背筋が凍るような恐ろしい絵です。
中村 ええ、うんと怖い絵なんです。
島崎 その根源的に怖いモダンな絵をにこやかな銀髪の紳士が描くところが凄いんです。アホな取り巻きに囲まれて巨匠気取りで偉ぶっているくせに作品はどれも凡庸という俗物がいますよね、そういう下司とは真逆の本物の凄みにガツンと衝撃を受けました。そんなことを青木さんと道々語り合いながら恐る恐るお邪魔した次第なんです。
中村 ハハハ。うーん。
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手を変え品を変え
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島崎 先生、これは昨夜巻きたてのフライなんですが、ご参考までにお持ちしました。
中村 (島崎さんがプレゼントしたフライの箱を開けながら)こんなに立派なものをいただいて申しわけないですねぇ。
島崎 いえいえ、ささやかなもので恐縮です。大きなものだと邪魔になるかと思いまして小さな額にしました。最初は、戴いた絵のバッタと蜘蛛をフライにしてお持ちしようと考えたのですが、お気に召してくださいました『水生昆虫アルバム』に対応したフライのほうがいいのではないかと思いまして。あの本の「ヒゲナガカワトビケラ」(94頁~105頁)で解説した生態を、私なりにフライに変換しますと、たとえばこんな感じになりますという現物見本です(写真2)。
中村 (額装フライを手にして眼をみはりながら)これが島崎さんのフライですか、いやぁ驚きました! 初めて実物のフライを見せてもらいましたが、写真で見るのとはえらい違いですね。
島崎 フライの表現というのは一種独特のものでして、たとえば写実にしても他分野とは立場が違うんです。水と関わった状態で、なおかつ先方が見てどう感じるかの世界ですからね。手の上で実物の虫と並べたら普通の人間の眼には嘘っぽく見える部分もあったりするわけです。
中村 なるほどねぇ。魚に見せるものですものね。しかしこれはものすごい存在感だなぁ。びっくりです。すごい迫力だ。
島崎 私の考えでは、フライフィッシングというのは罠猟と似たところがある釣りなんです。それを見た魚がついパクッとやってしまうワナ=フライの中に恐ろしい釣り鉤が仕込んであるわけですが、その鉤で下品に引っ掛けるのではなくて、先様の意志で食いついてもらうという点が真骨頂でしてね、そういう意味では一種の詐欺行為でもあるわけです。
中村 詐欺ねぇ。たしかにフライというのは一種独特の世界ですね。
島崎 しかも罠の仕掛け方にしても手を変え品を変えてやるわけですからね。罠とか詐欺とかいっても相当悪質な部類ですよ。
中村 怖いネ。魚にとってはフライの釣り人が一番恐ろしい相手ですね。そういう奥が深いことを聞いた上で見ると、一層リアリティありますねぇ。
島崎 先生のように見る目のある人には、そう見えるんです。川の近くにお住まいの方も水生昆虫を見慣れているせいかお目が高いですね。子供のころから桐生川の畔で暮してきたおばあさんがこのトビケラのフライを見るやいなや「これ、羽根が絞りみたいな柄のあれだろ、長いヒゲがこう出てる」って身振り手振りで話してくれましたよ。
中村 ほう。桐生ならではの話ですね。昔は桐生川もきれいだったからねぇ。水も今よりずっと多かったし。
島崎 そのおばあさんと友だちになって、昔の桐生川の様子とか随分参考になりました。「あそこに大きな水車があったんだよ」とかね。『水生昆虫アルバム』でもカゲロウの亜成虫や成虫の生態などを記したところに、おばあさんから訊いたことを引用したりしてます。
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ヒゲナガカワトビケラの場合
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島崎 左下は、桐生の川にもたくさんいるヒナナガカワトビケラの幼虫を模した「ヘア・ラーバ」という20年以上前に作ったオリジナルフライです。ラーバは幼虫、ヘアは素材のウサギの毛に由来しています。革ごと黒く染めたものを細く裂いて使っています。
中村 ははぁ、黒く染めたウサギだったんですね。僕は何か黒い動物を想像していました。ほう、ウサギですか。
島崎 ウサギの毛は水の動きに敏感でとてもよく釣れる素材なんです。川によっても色合いは微妙に異なるのですが、通称クロカワムシといわれるように黒っぽいことでは共通しています。こういう場合は真っ黒にしてしまった方が刺激が強い。このような強調や省略もフライの常套手段です。やり過ぎると逆効果になったりして匙加減が難しいところですが、要するに牧場の中に草を一本立てても牛は目もくれないわけです。歌舞伎や能の演出や衣装などと似た要素があるかもしれません。
中村 刺激を強めるわけですね、食いつきたくなる刺激を。右下のこのハネがあるのは成虫ですか?
島崎 そうです。雌の成虫です。雌成虫が川の中にもがき潜って行って川底の石の裏側にこうやって(実演)、卵を産むのですが、そのような状況の中に紛れ込ませて使うダイビング・カディスというタイプのフライです。トビケラの羽根や体は水をよく弾いて水中でも濡れずに空気のベールに包まれた状態なんです。これが角度によって銀ピカに見えたりする。それでフライの方もそういう次第に対応する仕掛けになっています。
中村 空気に包まれて濡れないので銀ピカにねぇ。「水と関わった場合に」というのはこういうことですね。なるほど。右上のこのずんぐりしたのは?
島崎 それはヒゲナガカワトビケラのサナギが川底から泳ぎ上がって水面で脱皮しているところです。まさに脱皮中の姿ですね。
中村 グッと踏ん張って前に出るところですか。細かい仕事ですねぇ。
島崎 細かそうに見えて、案外大雑把なんですよ。このフライで大物をずいぶん釣りました。実はこのフライも省略や強調や嘘などが抜け目なく入っているんです。現実をこっちの都合にあわせて調整しているというか、たとえば実際の風景の中にあっても絵として不要なものは省いたり、空の雲もその通りに位置に描くのではなくて、画家の思惑に沿う位置にずらしたり形や大きさなどを調整したりしますよね、そういう編集をフライのほうでもやったりするわけです。
中村 しかし、現場で釣りをする経験がよほど深くないとそういう編集はできませんね。
島崎 大事なのは、どういう視点に立ってやるかなんです。『水生昆虫アルバム』の中でも再三述べているのですが、私は水生昆虫を観察するにしても研究するにしても、この立ち位置の問題が一番重要な鍵だと思っています。いわゆるホンモノソックリに食品サンプルみたいに実験的に作ってみた時期もありますが、それをやりながら「これは違うな」と確信しましたね。人間が見ると全然似てないのに、恐ろしく釣れるフライもあるわけですから。こういう現実も含めた立場でないと本質とは離れてしまいます。
中村 魚が見るのと人間が見るのとで違う。単純に写実的にやっても駄目なんですね。
島崎 全く駄目とまではいいませんが、それでは本質への発射角度が違うんです。先生に評価して戴いたこの本は、その問題を執拗に追求していることも特徴です。大手の出版社だったら途中で横やりが入ったと思いますよ。フライの雑誌社だからああいう奇書が出せたんだと思います。現在進行中の『Shimazaki Flies』という珍企画も、普通の版元ではビビッてしまって「そんなにマニアックにしないでくれ」と待ったが掛かること必定です。
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幼少期の記憶を大人の技術で形にする
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島崎 (第102号のグラビアを見ながら)これ(写真3)はネズミのフライです。
中村 えっ、フライ。ネズミそのものじゃないの(笑)
島崎 川のそばにいるカヤネズミという手のひらに乗るような小さなネズミです。フライといっても昆虫以外にもいろいろありましてね、一昨年ですが両毛漁協の催しで私のカエルのフライ(写真4)を展示しましたら子供さんが喜んだんだそうで、じゃあ今度はネズミのフライも見てもらおうという遊び心です。
中村 カエルもネズミも、ハリが上向きについていますね。
島崎 障害物に引っ掛かりにくくするなどの目的でこういうセット方法もよく行われます。この種のフライを水面で扱う際のいろいろな都合で下側に鉤先が出ていますと使い勝手がよくないわけです。
中村 それでこうなっているわけね、ますます驚いちゃうな。これ(写真5)は魚ですね。
島崎 イワシです。生きているイワシってそういう綺麗な色なんですよね。海で泳いでいる魚はスーパーなんかに並んでいるのとは全然違う色ですね。私は幼少期に四国の高松にいたこともあるので、海辺も遊び場でした。今は無くなりましたが流下式の塩田などもあってね。ちょっとしたクリークなどにもいろいろな魚がたくさんいましたよ。
中村 幼少期の記憶でこれをねェ。ウロコまでちゃんとある。
島崎 あるというより、補強と水噛みを良くするためにメッシュ状のチューブを被せてあるんです。
中村 中身はどうなっているんですか?
島崎 弓みたいに突っ張っています。横から見ると半月形です。1.5グラムしかないんです。
中村 1.5グラム! 一円玉一個半か。軽いねぇ。すごい細工だ。
島崎 これなど模型飛行機に熱中していた中学時代のスキルが役に立ちました。幼年期から少年期の記憶やトキメキなどが私のフライデザインの玉手箱です。
中村 うーん、よく覚えていますね。しかし、よくできていますねぇ。
島崎 小さく作ればメダカぐらいのもできますよ。こういう小魚を作る際も、鳥の羽根や動物の毛などを使うのが本来なのですが、近年はこんなフライもありましてね。人によっては眉をひそめるタイプなんですけど。
中村 このグラデーションはどうやっているんですか。
島崎 油性マーカーで頭から尻尾方向に一息に塗って前の色が乾かないうちに…。
中村 ウォッシュの手法で次の色を塗られるわけね。いいねぇ。色が実にうまく溶け合ってます。面白いなぁ。
島崎 ルアーの場合はエアブラシでボカすことが普通ですが、この作例はマーカーによるハンドワークです。チマチマ塗るのではなくて潔くスーッとやるのがコツです。
中村 質感のリアリティもすごいね。このギラつきの下地は何ですか?
島崎 メタリッククロスという布です。桐生は織物の町ですからね、この手の生地もいろいろ手に入るんです。先生これ、釣り糸で引っ張ると水の抵抗でクネクネと泳ぐんですよ。
中村 ヘ~エ、〈ひん死状態の生きものの弱々しくひきつったような身悶え〉(12頁)か。文章も面白い。こっち(写真6)はザリガニですね。…
〈 02 へ続く 〉
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