「これ言いづらいんですけど、フライの人はルアーの人をばかにしてませんか。」と、ブラックバスのルアーの方に言われた。もちろん個人としては全否定したけど、そういう風に受け取られてしまう背景は理解できる。つらい。なんとかしたい。
週刊新潮の文庫双六で、川本三郎さんが葛西善蔵「湖畔手記」を紹介していた。葛西善蔵はあの時代に、仕事をするために籠った湯ノ湖の宿へわざわざ自前の釣り竿を持ち込んでいる。温泉入って釣りなんかしてたら、そりゃ作はできないですよ善蔵さん。
「生産性高めろ」とか大きなお世話。生産性やスピード感を求めるならフライフィッシングなんかやってない。こっちはきれいな川と元気な魚がいればそれでいいんだ。葛西善蔵なんかひどいぞ。
〈連載してるカブラー何とかという人が「○○の××なんか絶対買わない」と原稿に書いてきたのを、当時の編集長がふつうに載せちゃったんです。そしたらすぐに○○さんからわたしの携帯に電話かかってきて、「あんたのとこは何考えてるんだ」と。
当時○○さんはメーカーを経営されていて、うちに広告を出してくれていました。わたしは営業担当だったんです。次号から出広も、本の取り扱いも無くなりました。そりゃそうです。それから10数年たった今は、○○さんはお会いすればちゃんと挨拶を返してくださいます。大人です。ありがたいことです。〉
という伏せ字の鉄板ネタを、昨日も提供してウケた。
すでに業界を引退した、なにかと偉そうに上から目線でふるまい、皆から避けられている(本人は分ってないようだ)業界の重鎮某氏。彼の若僧時代の面倒を見たもっと先輩に当時の様子を伺ったところ、某氏50年前から上から目線だったことが判明。大笑。フライの人はエラそうという印象は、フライフィッシングに関わってきたごく一部の人が長年積み重ねてきたこういう態度に理由の一端がある。
僕らの手で50年分を取りもどしたい。
釣りは旦那さんに支えられる文化だと、改めてよく分かるミツカン旦那さんの素晴らしい仕事。うちは昔からお酢はミツカン。味ぽんは食卓の必需品。
○機関誌『水の文化』59号 釣りの美学│ミツカン 水の文化センター