リニアで水資源が流出する? 南アルプストンネル工事めぐる静岡県の懸念
JR東海は今年1月、建設するリニアトンネルと大井川を11キロメートルにおよぶ導水管で結び、トンネル内の湧水を大井川に戻す案を提示した。しかし、県によると、導水管を建設した場合でも、回復する流量は1秒当たり1.3トンにとどまり、残り0.7トンは流出してしまう可能性があるという。
下流域ではしばしば節水対策が施されているという。それだけにリニアの建設によって、さらに水量が減るのではないかとの強い懸念があるのだ。
2017.04.27(THE PAGE)
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リニア中央新幹線の建設を巡り、JR東海と静岡県との対立が続いて同県内の南アルプストンネル工事が唯一未着工になっている問題で、JR東海は、県が求める大井川の減水対策の協定を未締結のまま工事に着手する検討に入った。
2018年9月5日(水) 6:00配信(毎日新聞)
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『フライの雑誌』第106号(2015年9月発行・品切れ)より、〈発言!リニアとイワナと釣り人と〉を公開します。
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発言!
リニアとイワナと釣り人と
片山和人(文・写真・イラスト)
いよいよ夢の超特急「リニア中央新幹線」が着工される。私の年代では「リニアモーターカー」だ。幼少期のおとぎ話がついに実現へ向けて動き出した。しかし、その夢の話が自分の最大の趣味、フライフィッシングに関わってくることになるとは…。
現在、山梨県大月市の桂川川茂堰堤の数キロ下流を横断しているリニア実験線は、そのまま営業路線として東は東京へ、西は南アルプスを貫き名古屋へ向かう。
東京・名古屋間は40分。富士川支流早川に架かる高さ170m、長さ400mの橋を約2・5秒で駆け抜けたリニアは、南アルプス隧道へ、時速505㎞で進入する。
隧道の長さは長野県大鹿村に抜けるまで約25㎞。転付峠付近で約1000m、大井川源流部では約600mの地下を通過する。
このトンネル本抗を掘るために7本の斜坑、並行する先進抗、残土運搬用トンネルが2本と、合計10本ものトンネルが掘られる。そのうちの2本が大井川水系源流部に通じる。
平成25年9月、JR東海が静岡県に提出した「中央新幹線(東京・名古屋間)環境影響評価準備書」と、その後の説明会で、以下の衝撃的な予測と調査結果が判明した。
①南アルプス隧道の建設に伴い、大井川源流部の水量が最大20%(2㎥/秒)減少する。
②トンネル建設の残土は360万㎥。残土置き場は源流部の川沿いの7ヵ所となる。
③環境調査の結果、大井川源流部には県指定の絶滅危惧種「ヤマトイワナ」は確認できなかった。
静岡空港と興津川河口堤防
「自然を守れ」「環境を破壊するな」という環境保全の運動は、過去から現在まで全国各地で繰り広げられている。私の身近なところでもその類の運動があった。「静岡空港建設」と「興津川河口堤防建設」だ。
静岡空港建設では、敷地周辺に棲む〝オオタカ〟を守ることが、反対運動のシンボルになった。県を二分する県知事選にまで発展した大騒動の末、「富士山静岡空港」は建設された。現在の静岡空港は中国から観光客が押し寄せ、インバウンド経済の地方空港の旗手としてもてはやされている。「おいおい、オオタカはどこへいったの?」と揶揄したくもなる。
興津川河口堤防の結末は定かでない。とにかく記憶が薄い。ただ、当時私の印象に残っているのが、地元のサーファーたちが反対運動に前向きだったことだ。
興津川河口は川の流れと潮流の関係で〝チューブ〟が発生するポイントだった。要するに彼らはそれを守りたかったらしい…。ただ、その〝遊びたい〟部分を前面に出すと少々あからさまになってしまう。そこで環境問題が登場した。
潮流が変わってしまう…、興津川の生態系が…、といった感じで…。
大井川に「ヤマトイワナはいない」?
興津川河口堤防に関する私の記憶の欠落には理由があった。興津川漁協の規則である。興津川では当時から現在に至るまでフライ・ルアーの釣りが禁止されている。〝自分の身に直接降りかからないものには興味はなかった〟ということだ。
静岡県は興津川、狩野川、安倍川をはじめとして、フライ・ルアーへの規制が強い土地柄だ。その中で規制のない大井川はフライフィッシャーにとって貴重な存在だ。
以前よりリニア着工の情報は、非公式にアナウンスされていた。しかし静岡県では、地図上のトンガリ部分をトンネルで貫くだけで停車駅もなく、一般住民の関心は薄いだろうと考えられていたようだ。
ところがJR東海のレポートが衝撃を与えた。大井川水系源流部の水量が減ってしまう。大量の残土が源流域に積み上げられる。そして何より地元メディアがことさら取り上げたのが「環境調査でヤマトイワナはいなかった」という部分だ。時期を同じくした〝南アルプスユネスコパーク登録〟と絡めた報道が続いている。
まず地元、井川漁協が反応した。
もともとヤマトイワナが生息していた大井川に、ニッコウイワナが放流されたことで、ヤマトイワナは県から絶滅危惧種に指定される域にまで数を減らしていた。
そのことに気づいた漁協はここ10数年の間、ヤマトイワナの保護に取り組んでいた。それを「いない」と断言されたのであれば、心中は穏やかではないだろう。
尺ヤマトと工事用道路
私自身、大井川のほとりに住むフライフィッシャーとして「いつかは大井川の尺ヤマトを…」と目標を持っていた。ただし、そのためには、支流に深く入っていかなければならない。尺ヤマトイワナは夢のまた夢だった。
ところが昨シーズン、雪代の影響がまだ残る5月上旬の週末。ちょうどリニアトンネル通過予定地の真上付近の本流だった。流れ込み脇の反転流で、私の#14パラシュートが静かに吸い込まれた。
軽くあわせると、…ズン! とした手応え。いきなり流れに乗って下流側に走ったが、私の3番ロッドがかろうじてこらえてくれた。やり取りをしばし堪能したあと、ヤツは私のランディングネットに納まった。
「あれ、斑点がない?」
ネットの中で愛おしく跳ねる魚体にはニッコウイワナの特徴である白い斑点がなかった。目視での希望的観測だったが「尺ヤマトだぁ!」と、目標達成を認定した。あまりのうれしさと達成感で腰の力が抜けた。撮影会の後のリリース…。
その時、思わず見上げた曇天の空と急峻な斜面を走る工事用道路の風景は、今も鮮明に記憶に焼きついている。
ああ、この環境はどうなってしまうのだろう…?
私自身は、大井川の水量の減少や残土積み上げの問題には大反対だ。その中で、今回リニア工事と環境問題に関連する報道を追ううち、ある特徴に気がついた。
斑点のあるヤマトイワナもいる
まず大井川水系にヤマトイワナはいるのか、いないのか? という問題については、ネットで「大井川 ヤマトイワナ」と検索すれば数秒で簡単に結論が出る。源流マニアがネット上に画像をいくつもアップしている。
今回のJR東海の調査は「土地改変区域から概ね600mの範囲」に限定されている。調査時に捕獲できなかった可能性が考えられる。
その後、平成27年5月14日、JR東海社長は会見で「学識経験者個々に写真を見て判断して貰った結果、交雑種はいたが純粋なヤマトイワナはいなかった」「漁協と直接、話もしたい」と釈明している。
私はDNA鑑定ではなく、魚体の目視調査だったことに少し安心した。先頃、釣り雑誌の記事で富士川水系野呂川のイワナをDNA鑑定したところ、斑点のあるイワナにも純血ヤマトの遺伝子が確認されたとの記事があった。
ヤマトとニッコウの判別に斑点の有無が根拠にならない可能性が出てきている。今回、地元のヤマトイワナ愛好団体が大井川のイワナのDNA鑑定に動き出した。
ヤマトイワナは「悲劇の希少生物」か
JR東海のレポートは、ヤマトイワナが「いなかった」と断定したことで、心理的な反発を招いた。「いる」から守らねばならない、「いない」から大丈夫、という論理展開が発生するレポートは、JR東海側にとってたしかにまずかった。
「なぜこのような簡単なミスをしたんだろう?」と率直に思った私は、報道の取り上げ方とリンクして、あることに気がついた。
たぶん報道する側には「ヤマトイワナ」という単語が必要なだけだったのだ。
仮に純血ヤマトではなくとも、大井川にイワナが生息している以上、環境の保全は必要だ。報道は悲しいことにその部分を全くフォローしない。むしろ「ヤマトイワナ」という悲劇的な希少生物の登場を歓迎しているかのようだ。
調査でヤマトイワナは確認されなかったとしても、〝そこにイワナがいた〟という事実そのものが、本当は大事なのである。
じつは私自身も、「ヤマトイワナ→貴重→釣った→うれしい→いない?→いい加減な調査→怒り」という論点のすり替えに、まんまとハマってしまった。
それにしても「オオタカ」「ジュゴン」「オスプレイ」…。この手のトラップ的固有名詞のなんと多いことか。
大井川源流部は企業の私有地
大井川には特徴的な背景がある。源流部の広大な森林を含む山そのものが、パルプ製造会社の所有地になっている。
森林開発時に使用した山小屋が渓流沿いに2カ所ある。山小屋の宿泊者だけがクルマ止めのゲートから会社の送迎バスに乗って、大井川の核心部にアクセスできる。
小屋泊まりでない人にはゲートから約30キロの徒歩が待っている。アクセスできる人間はごく少数だ。
発表された流量予測では、トンネル掘削により源流部6カ所において最大20%、流量で2㎥/秒の水量が減少する。減少分はトンネル内に流出するということだ。
JR東海は、「これは漏水対策をしない場合の数値」だと弁明、その後、トンネル内の漏水分は「導水管で流れに戻す方針である」と発表した。しかし放水口は核心部よりかなり下流部だ。
バイパスされた区間の生態系への影響は避けられない。
大井川の水は地下水路で
富士川へ流されている
ここからが現状では報道されていない部分である。
パルプ会社が経営する山小屋のうち、より上流部にある二軒小屋の脇には大堰堤がある。堰き止められた水は、田代ダムというダム湖にいったん溜められる。
驚くことに、このダムの管理会社は東京電力なのである。
静岡では富士川以西の電力会社は中部電力のはずである。ところが大正10年に締結された水利権によって大井川源流部の水は田代ダムで取水されている。
その水は大井川に戻されることなく、導水管によって転付峠を潜り、富士川水系の支流早川へ流され、発電に使用されている。
大井川水系の市町では過去、この水利権の更新時に「水返せ運動」という住民運動が起こった。そもそも大井川には数々のダムがある。各所で取水されている中流域の広大な河原には、細々とした流れがあるに過ぎなかった。
その後「大井川水利流量調整協議会」が開催され、協定によって田代ダムでの取水量は減った。現在では中下流域で全流量が伏流する事態は回避されている。
重要なのは〝釣りが出来る環境〟
懸命なフライフィッシャーならすでに気づいているだろう。まず問題にするべきは、トンネル掘削による流量の減少ではない。大きな二つの水系を横断する地下水路が大正の時代から、90年以上ものあいだ運用されていることにある。
この地下水路がある限り、大井川源流域と富士川水系の生態系云々を語る意味そのものがなくなる。2014年に南アルプスユネスコパークが認定される際に、地下水路の存在はどう咀嚼されたのだろう。
サーファー達が〝チューブ〟を前面に出せなかったのは、日本人特有の奥ゆかしさだったかもしれない。釣り人がリニア問題を論じるとき、〝ヤマトイワナ〟ではなく、〝釣りが出来る環境〟こそが重要なテーマになると思う。
「お前たち、釣りがしたいだけだろ?」という問いには「その通り!」と胸を張って答えるしかない。悲劇の希少生物が必要なのは報道機関だけだ。
JR東海のヤマトイワナ調査結果は明らかにミスだった。逆にこれだけ明瞭なミスだとミステリー好きの私としては裏読みすらしてしまう。「いる」「いない」論争を巻き起こして、その裏で隠したい重大なものがあるのでは…と何とも不思議な感覚だ。
なぜ今源流部に「管理釣り場」を作るのか
源流部でもうひとつ不思議なことが起きている。昨年、パルプ会社が源流部の7㎞にわたる長大な区間を管理釣り場としてオープンした。
前述の通り、この管理釣り場へ行くには、山小屋に宿泊して、送迎バスに乗るのが唯一のアクセス法だ。そしてそこは数年後に残土が積み上げられ、トンネル漏水分がバイパスされる区間だ。そこで管理釣り場を開業することに、どんな意図があったのか。
悲しい現実がある。リニアの本格的な工事が開始されると、日に何百台ものダンプが往来し、源流部へのアクセスはほぼ不可能となる。53歳の私にとって12年の工事期間は絶望的に長い。
2027年、開通したリニア中央新幹線に乗車して、数秒で南アルプスを潜り抜けるぐらいが私に残された楽しみかもしれない。実は…少しだけ「鉄オタ」です。
(了)
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『フライの雑誌』第106号(2015年9月発行・品切れ)掲載
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