単行本『魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか』(2005)より、「ブラックバス→琵琶湖→義憤むらむら」(水口憲哉)を公開します。
初出は、『フライの雑誌』第55号 2001年11月1日発行の、〈釣り場時評34〈続・外来魚をどう考えるか「ブラックバス→琵琶湖→義憤」という流れで私がむらむらしてしまう理由〉です。
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「ブラックバス→琵琶湖→義憤」という流れで私がむらむらしてしまう理由
水口憲哉
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漁獲量減少は外来魚のせいだと主張するばかりで、琵琶湖総合開発の問題点を明らかにしない研究者たち
面白い人に出会った。一九五六年三重県に生まれ、愛知大学理学部(思想史)、名古屋大学大学院(情報学)を終了後、三重大学水産学部(魚類学)と京都大学理学部(動物生態学)で研究し現在岐阜経済大学で教えている森誠一さんである。森さんの著書『トゲウオのいる川︱淡水の生態系を守る』(中公新書一九九七年)の著者紹介のこの経歴からは想像もつかない、身長一八〇センチ以上、五分刈り、日焼けと漁師そこのけの偉丈夫である。
前回の本欄で紹介した、連続講座「ブラックバス問題のすべて」の第四回における話題提供者として「日本の淡水生物相を維持するためには何をすればいいのか」というテーマで森さんと討論の場をもつことができた。
森さんのこの問題への取り組みにおける考え方の基本は、目標(価値基準)をきちんと設定すること、それは問題の所在を明確にすることすなわち何をどうしたいのか、何がどうなればいいのかを明確にすることである。人間ぬきには問題は存在しないし義憤がないとだめだが義憤だけではだめで評価ができないと目標設定も困難である。ということでこれまでの「自然への記憶」を個体から生態系まで確認し、今後は科学として応用生態工学を確立し、これからの「自然への記憶」をどうつくり上げてゆくかが重要だということらしい。
義憤(直接自分には関係ないが、道にはずれたことに対して、発するいかり=岩波国語辞典)などという懐かしくもうれしい言葉に出会うなど、森さんの考え方や調査研究結果とその解釈について殆ど異論がなく一時間半の報告を楽しく納得して聞いてしまった。森さんは人間の研究から始まって人間はうそをつきだます、猿もだます、しかし魚はだますこともない。自分は神様のように魚の全体像を把握できるということで、湧水池のトゲウオの社会行動を研究している。
筆者は四〇年前金魚の六尾の群れで条件反射の実験を行い、実験結果のもつ意味は実験をする人の何を見たいかという価値基準で決まってしまうという実験の怖さに野外のオイカワの調査に向かい、ついに今となっては人間の問題にすっかり関心が移ってしまった。流れは逆だが関心の振れ幅の大きさは一致していて面白い。だから、日本にブラックバスがいてもいいんじゃないという筆者と、いてはならないという森さんとの話し合いも結構かみ合うのかもしれない。
ただし、森さんが応用生態工学研究会のメンバーであり、「反生態学」にはならない生態学的視点で問題に対応すると言っている点において、筆者とだいぶ考えを異にする。
まず筆者は河川における近自然工法、生態系の復元、ミチゲーション、ビオトープなどといった言葉を環境破壊の免罪符でもあるかのようにもてあそび、さらなる新しい形の環境破壊を進めようとする研究者や開発事業者の集まりである、応用生態工学研究会の入会の案内には対応しなかった。それはまた拙著『反生態学』のなかで生態学者としての宍道湖・中海干拓淡水化問題へのかかわり方を徹底的に批判されている、現滋賀県立琵琶湖博物館館長川那部浩哉さんが京都大学理学部時代の森さんの指導教官であることと、どのように関係しているのだろうか。
このあたりのことを含めて、森さんと筆者の考え方のちがいについては、十五年という歳の差、筆者は両親とも東北山形鶴岡の生まれ、これまでの暮らし方生き方などといろいろを考慮して考えなければわかりづらいのかもしれない。
そんなことはさておき川那部浩哉という名前を聞くと、ブラックバス→琵琶湖→義憤という流れで年がいもなくむらむらしてしまう。なぜそうなるのか。
その一。二月二四日の立教大学におけるブラックバス問題討論会余話。当日進行係の天野礼子さんが、この十一月に滋賀県で開催される世界湖沼会議の企画運営委員会で琵琶湖総合開発の問題も取り上げるべきだと提案したところ、それはつぶされ以後委員から外されたと発言したことが『週刊金曜日』に紹介された。
その委員会委員長である川那部さんから天野さんにファックスが来た。委員会での貴女のその意見は少数意見として排除された。ブラックバス等外来魚問題を取り上げることは多数の同意で採用された。意見があるならNGOとして表明すればよいとの内容。
その二。日本魚類学会は六月三〇日に公開シンポジウム「ブラックバス問題を科学する︱なにをいかに守るのか?」を開催したが、その前段としての水産庁に対するゾーニング案中止要請行動に川那部さんは裏で根回しをした。宍道湖・中海問題では逆の動きをした。
建設省(現国土交通省)、水資源開発公団そして滋賀県による琵琶湖総合開発事業の漁業や琵琶湖の水環境への悪影響が一般の目に見える形で明らかになりだしたのは五、六年前からのことだが魚類学会をはじめ、京都大学、滋賀大学、滋賀県等の研究者がそのことについて調査研究を行い、琵琶湖総合開発事業の見なおしや中止を要望し、琵琶湖を四〇年前の状態にもどすようにと提案したという話は聞かない。
それよりも滋賀県立琵琶湖博物館の中井克樹さん(この人も京都大学理学部での川那部さんの弟子である)を筆頭として、琵琶湖の魚や漁業にかかわる研究者は、こぞって琵琶湖の漁獲量が減少しているのはブラックバスなど外来魚のせいであると声高に主張するばかりで、琵琶湖総合開発事業の問題点を明らかにしようとしない。
その三。一九六六年二月に近畿地方建設局が発行した「びわ湖生物資源調査団・中間報告(一般調査の部)」(一一二一ページ)のX一般調査の要約の冒頭に次のような文章がある。
「この調査の目的は堅田守山間のダム建設のために、南北両湖が遮断され、また北湖が水位変動することによる、水産資源への影響の基礎資料と、その後の水産対策への基礎資料をうることにある。」
これが当初の琵琶湖総合開発計画である。さすがに堅田守山間のダム建設というのは具体化せず、湖全体に人工護岸堤をつくり水ガメ化し水位変動を利水のために調整することになった。その結果として、異常渇水や増水、沿岸水草帯や藻場の消失、エビや魚の産卵場や稚仔魚の成育場の消失、ブルーギルを除くブラックバスを含めたすべての魚種の漁獲量減少、琵琶湖の漁業の衰退ということが五、六年前から顕著になりだした。
この調査団のまとめ委員副主任の川那部さんは、こうなることを三五年前に予想していたはずである。そして漁業者に対しては、だから漁業補償が支払われていると弁解するだろう。しかし、琵琶湖の魚や水に関心をもつ漁業者以外の滋賀県民は、それでは納得しない。そこで、ブラックバスおよびその釣り人に責任をみな押しつけてしまおうとしているとしか、考えざるをえない。
ブラックバス→琵琶湖→義憤むらむらの意味がおわかり頂けただろうか。
さて本題にもどり、右に述べた連続講座で森さんは最後のまとめとして、この問題に関する合意形成の一つの過程として「段階的ゾーニング」という考え方を提案された。その後の討論のなかで筆者は各地におけるブラックバスへのかかわり方の検討における具体的な進め方として次のようなことを考えた。
〈ブラックバスの存在を望まない水体(川、湖、池沼等)ではブラックバスを駆除しブラックバスやブルーギルのいない一種の逆サンクチュアリ(外来魚排除地域)をつくり上げる。いっぽう、ブラックバスとの関係をこれから維持していきたい水体ではそこのブラックバス等外来魚をきちんと管理し問題の発生を抑える。〉
前者の代表例としては琵琶湖が、そして後者の代表例としては芦ノ湖が考えられる。そこで、全国各地において身近なそこの水体に関心をもつ多様なかかわり方の人々が話し合ってこの水体では両者のどちらかを選択するか決め、それを具体的に実現してゆく。結果として何年か後には全国的にゾーニングが実現している可能性がある。
全国一斉に琵琶湖化しろ、いや芦ノ湖化しろという、オールオアナッシングまたはゼロワンゲームではいつまでもらちが明かない。できるところから納得の得られるところからどんどん進めてゆけばよいという考え方である。
というわけで、連続講座第五回は芦ノ湖漁協の橘川宗彦さんに、「芦ノ湖漁協のブラックバスへのかかわり方、過去、現在そしてこれから」という内容で話題提供をお願いする。そして琵琶湖ということになるが、話題提供をお願いする漁業者の方とか準備の関係でたぶんそれは十二月ということになりそうである。
その前に、日本釣振興会は釣り人の代表か、全日本釣り団体協議会こそそうではないのか、関東と関西ではブラックバスフィッシングに対する関心の強さ、ゲームフィッシングとしての成熟度などがちがうのではないか、釣りのメディアということで一括りにされる釣り雑誌も多様であるといった疑問に答えてもらうべく、十一月一〇日の第六回は『週刊釣りサンデー』会長の小西和人さんにお願いしている。
了
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※初出『フライの雑誌』第55号 2001年11月1日発行 釣り場時評34 原題〈続・外来魚をどう考えるか「ブラックバス→琵琶湖→義憤」という流れで私がむらむらしてしまう理由〉