20番のショートシャンクのフックへごく小さめに薄く巻いたエルクヘアカディスを巻き返しに浮かせたら、水面からじんわりと魚の鼻先が出てついばむようにしてそれを食った。出会いはスローモーション。軽いめまい誘うほどに。それを(んむもわあっ!)と心のなかで変な声で叫びながらゆっくりと、ゆっくりとアワセたのはわたしの熟練の技だ。会心の一匹。けっこう引いた。
かなり離れた下流で釣っていたりょうたさんが後で寄ってきて「相当引いてましたね、取り込むの苦労していましたね」と言ってきた。見ていてほしいな、と思ったらやっぱり見ていてくれていた。遠目でも確実に分かるように大げさにランディングしたのであった。わざと転倒してやろうかと思ったくらいだ。
釣り師なら誰しも自覚があるだろうけど、ある程度以上の釣り師どうしは離れて釣っていても、相手の釣りの状況をなんとなく把握しているものだ。あ、いま釣ったな、とか、あ、バラシたな、とかを背中や横目で無意識に観察している。見えなくたって雰囲気でわかっちゃう。
その超人的能力を社会的な実務に活かしたならば、釣り師にも違う人生があったはずである。だがいかんせん、釣り師は水辺でしか超人になれない。いやこう言おう。水辺の釣り師は超人である。