1929年(昭和4年)ごろの夏の奥日光中禅寺湖畔の様子。
Scenes in Oku-NIkko, Japan in the year 1929.
※無音映像 No sound所蔵:日光市立日光図書館
明治20年代から昭和初期にかけて、奥日光は、英国、フランス、イタリア、ベルギーなど諸外国の外交官などが、フィッシングやヨットなどを楽しむ避暑地として賑わい、「夏は外務省が日光に移る」と言われるほどでした。
近年、イタリア大使館別荘や英国大使館別荘が一般に公開され、再び注目を集める奥日光のルーツを知ることのできる貴重な記録映像です。
三浦修さんのFacebookで紹介されていたので知った。09:40頃から、おそらく日光湯川の上流部で一人の男がフライフィッシングをしている様子が記録されている。
道具立ては、帽子、ジャケット、胸に下げたランディングネット、長手の竹竿にハーディーのリール(でしょう)。ていねいなストーキングでフォルスキャストなしのアップストリームフィッシングを行なっている。時々魚を釣っている。なかなかの手練れのようだ。
10:50すぎには岩か何かにフライを引っ掛けて外している。11:22に一瞬、従者(?)が映る。11:51でダウンストリームキャスト、11:59でダッピングにまで手を出しているのは、釣果に納得いかなかったのだろうか。
ちなみに彼がフライフィッシングをしていた1928年の前後の世情を、歴史年表から拾うと、以下の感じになる。
1923年 関東大震災
稲垣足穂「一千一秒物語」
1925年 治安維持法制定
1926年 川端康成「伊豆の踊子」
1927年 昭和金融恐慌
1928年 張作霖爆殺事件
葛西善蔵没
1929年 世界恐慌勃発
太宰治さん自殺未遂(1回目)
1930年 堀辰雄「聖家族」
1931年 牧野信一「ゼーロン」
1928年7月23日、葛西善蔵は病床で息を引き取った。「一時頃の汽車に乗つて行く」、「切符を落とさないやうに」などと、うわごとを発していたという。同月、初めての自分の全集第一巻発行を見届けた後だった。(葛西善蔵生誕130年特別展」図録より)