わし的に稚内に行きたい具体的な理由は昔からずっとあるのではある。
カブラー斉藤氏が次号119号で新境地をひらいた。
やりおった。みんなに読んでほしい。
ところで15年前にやるって約束した単行本どうした、おい。
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カブラーさんとは、もとはといえば、遠い昔に北海道で編集長の中沢さんと一緒にたまたま会ったのが、最初だった。斉藤さんはあんな感じのくせして、創刊当時からの「フライの雑誌」の読者だった。中沢さんは喜んじゃった。
東京へ帰ってから、中沢さんが「斉藤さんになんか書いてもらってみてよ。」と言った。だからわたしは電話をして、「斉藤さんなんか書いてみてよ、って中沢さんが言ってるんですけど。」と原稿を頼んだ。
「んん、ああ、」と言われた気がする。
連載第一回の原稿を読んだ中沢さんが「いいね。」と言った。二、三回めには、「斉藤さんは拾いものだったね。」と言った。それで連載がずっと続く羽目になった。
約束は守らないのがあたりまえの斉藤さんだ。本人的には守りたくなくて守らないのではないのだという。そういう人っている。理解はできるけどつきあうのはたいへんだ。
中沢さんが亡くなったときは斉藤さんにも案内した。すると東池袋の外れにあるじゅぶじゅぶな自分の巣を出て、お葬式に来てくれた。ものすごく遅刻した。神妙な顔をしていた。
とても暑い日だった。斉藤さんは季節外れの厚手のウールのジャケットを着てきた。両方の袖がボロボロにほつれていた。それいつ買ったのかと聞きたくなるくらいだった。上はジャケットなのに、下はジーンズとスニーカーだった。
式がぜんぶ終わった後、斉藤さんを交えた釣り仲間たちと、葬儀場の二階で冷たい麦茶を飲んだ。