【公開記事】「フライフィッシングの入門書はタメになるか?」(2000年)

田渕義雄さんの訃報を知りました。自分は、中学生のときに田渕さんの『フライフィッシング教書』に会ったから、いま生きていられてると思っています。ただただ感謝します。

『フライの雑誌』第51号特集◎この本が面白い(2000年)から、小柳健太郎さんのコラムを再掲公開します。小柳さん流の偏屈なコラムですが、『フライフィッシング教書』は絶賛でした。愛がありました。

(2020年1月31日 編集部/堀内)

さあ夏休み! 今年の夏からフライフィッシングを始めようと思っている方は、全国に500万人くらいいらっしゃると思います。

そこで、これからフライフィッシングを始めようとしている皆さんへ、『フライの雑誌』のバックナンバーから参考になるかもしれない(ならないかもしれない)記事を、何回かに分けて紹介します。

今回は、『フライの雑誌』第51号特集◎この本が面白い(2000年)から、こちらのコラムをどうぞ。今から16年も前の、色々と問題のありそうな文章です。当時の編集長はよくそのまま載せたなと思います。今なら即炎上か。

今回、編集部が筆者の小柳さんに再掲載の許可を求めたところ、「まじすか。あの頃は自分も若かったんで、余計なことばかり書いちゃってる気がする。まじすか。」と頭を抱えていました。でも「中身には自信あるす。間違ったことは言ってないす。」とまんざらでもなさそうでした。

そこで表記など一部を修正しただけの、ほぼ原文で公開します。今やおっさんになった本人は、顔から火が出るほど恥ずかしいかもしれませんが、それも青春だ。

タイトルは、〝フライフィッシングの「入門書」はタメになるか。─なんでもハジメテが肝心だ。〟。

さあ元気よく行ってみましょう。

フライフィッシングの「入門書」はタメになるか。
 ─なんでもハジメテが肝心だ。

小柳健太郎(東京都新宿区/自営業)



日本人はみなニンジャである

先頃公開された新作フランス映画には、日仏の国交断絶をもくろむ日本のハイテク・やくざ(アジトはパリ)が登場していた。昔見たアメリカのいいかげんな映画に出てきた日本人の衣装は中国風とベトナム風をブレンドさせたようなキテレツなもので、竹林で禅の修行をしている背景で銅鑼がジャーンと鳴り響いていた。

また話は違うが現代史において、あったことをなかったことにして子供たちに伝え、自分たちがしてきた悪さを人助けだったことに改ざんしようと企む輩は後をたたない。そういえばオオカミに育てられた人間の少女が身も心もオオカミ化してしまう有名な実話もあった。

先入観だとか幼い頃の教育というものは、人間形成に重要な影響を及ぼす。かつてフライフィッシングは英国紳士のたしなみが発祥だから、その釣りをする人はすべからく紳士的でなくてはいけないと言われていた時代があった。

でも今になって思えば、フライフィッシングは紳士のスポーツだという言い方は、日本人はみなニンジャだ、とおなじくらいの真実度だ。

おぎゃあと生まれた瞬間からレトルト食品だけを食べさせられた人は、コメも肉も野菜もぜんぶ袋に入れられていてチンするのが当たり前になる。それが本来の姿と思ってしまえば疑問もわかない。

ロッドはこういうアクションじゃなくちゃ、リーダー・システムはこれこれ、フライを流す方法はこれ以外にダメ、ボクの真似をしなくちゃ釣れないよ、という決めつけを、すでにこの釣りを知っている釣り人は「なにを言ってるんだ」と笑うことができる。

けれどまっさらなバージン・フライフィッシャーにとっては、最初の「ボクの言うことを聞いてごらん」次第で、初速と射出角度が大きく変わる。あんなつまらないコト、もう二度としたくないわ、とか。              

フライフィッシングの入門書はそもそも無謀である

フライフィッシングという異様にすそ野の広い趣味を一冊の本ですべて説明しようとするのは、はなから無謀な試みに近いと思う。しかしそれでも果敢に、広大なすそ野の魅力の一片でも伝えられないかとチャレンジするからこそ、書店の棚にはフライの入門書が何冊も置いてあるし、『フライの雑誌』以外のフライ関係の雑誌は、毎年春になると「はじめてのフライフィッシング」特集を組む、のだろう。

さてそこで、これまで世の中に出版されてきた「フライフィッシングの入門書」が、果たして、勇敢なチャレンジャーの残した輝く金字塔なのか、長屋のご隠居さんの指南ばなし程度の代物なのか、あるいは金もうけだけが目的の資源の無駄づかいなのかを、のぞいていきたい。

もちろん、フライ入門書はここにあげた他にもたくさん出版されている。その中からこれらの本を選んだ理由は、単純に私の本棚に刺さっている入門書の中でこれらがちょこっと目立ったからなだけで、他意はありません。

入門者が苦難の道をたどるのは間違いない一冊 

はじめは、『フライフィッシング入門』(狭沢渓夕/著 土屋書店 1988年)。

いきなり突っ込みどころが満載の一冊だ。「つれた魚はその場でリリース」とキャプションがついた写真のとなりに、ストリンガーにつながれて白目をむいたかわいそうなニジマスがぐったりしている写真がある。挿入されているイラストがすごくヘタ。

ヘタなうえにこのイラストレーター、絶対に釣りもサカナも知らないんだろうなあ、という絵だ。ヤマメはウグイとスズキのF1みたいだし、オショロコマは栄養不良のシシャモみたい。圧巻は、フライパターンをイラストで一二頁にわたって紹介している章。なにもかもぐちょぐちょ。画力がつたなくしかも一色刷りなのに、アダムスとライトケイヒルの違いをイラストで表現しようというのがそもそも間違っている。

文章もあまりにも紋切り型である。例えばイワナの食性を次のように語る。

「…水辺にすむクモやミミズ、水中のハ虫類やカニ、小魚などから、ときには川を泳いでいるトカゲやヘビまでおそいます。ともかくエサが少ないので、動物性のエサになるものならなんでも食べてしまいます」

これよく聞くフレーズだ。まるでワニみたいな言われようだ。ごていねいに「川を泳ぐヘビやトカゲ」を水中から見ているイワナのイラスト付き。釣りキチ三平ならさっそくヤマカガシをエサにして滝壺の主を狙いはじめるだろう。

ロッドアクションの説明の章では「ティップアクション」に対して「パットアクション」という単語を使い続け、ちっとも反省しないので、カブラー斉藤氏ではないが読んでいる方は気になって仕方ない。語尾は伝聞表記が多く、本当にこの著者はフライフィッシングが好きなんだろうかと思わさせるのに充分である。

最初の「入門書」にこの本を手にとってしまった読者は、そうとうに苦難の道をたどるのは間違いないという一冊。

事実は入門書よりも奇なり

でもこんな本を、さらにお手本にしようとする後発者がいるから、世の中はおそろしい。そのおそろしい一冊は、『フライフィッシング・達人への近道』(佐藤盛男・漆原孝治/達人 今西資博/著 法研 1997年初版)。

私は自信をもって言うが、この『フライフィッシング・達人への近道』(以下『達人』)の中の、以下に挙げるページの文章は、間違いなく前出の『フライフィッシング入門』(以下『入門』)のパクリ、といって悪ければリライト(焼き直し)である。

20頁の「フライフィッシングの歴史」の稿。<フライフィッシングの原点は(中略)ローマの詩人によって伝わっている記録には、マケドニア人がハリに毛糸を付けてマスを釣った…>という書き出しから<日本にフライフィッシングが入ってきたのは昭和初期ですが、戦争により中断され、戦後アメリカ人との交流が多くなって再開しました>という締めまで、『入門』の八頁「フライフィッシングとは・歴史とおいたち」とほぼ同じ文章内容で、語尾と言い回しを変えているだけだ。

これを偶然だとか無意識下の刷り込みだとかいうのなら、事実は入門書よりも奇なりといったところだ。反論があるなら受けて立ちます。

55頁からの「ラインの結び方ガイド」の項では、ラインの結び方を説明するイラストに付けたキャプションが、『入門』と瓜ふたご。とりわけ「ティペットとフライの連結」(『入門』では「リーダーとフライの連結」)の部分で、『ブルーダン』『グレーゴースト』『内がけ結び』という耳慣れない結び方の名称が出てくる段に至り、「これ『入門』のパクリじゃん」という思いが確信に変わった。『入門』にもそっくりそのままの耳慣れない名称が出ており、「なんだこりゃ」と記憶に残っていたからである。

<おんだし>ってなに?

巻末の「フライフィッシング用語集」。用語集ならダブっても仕方ない部分もあるかもしれないが、ちょっとこの『達人』のダブり方はひどい。

たとえば<おんだし>という単語。こんな単語ふつうは使わない。もしやと思って『入門』の「用語集」の頁を開くとしっかり187頁に<おんだし>が出ていた。「支流が本流へ流れこむ部分」という『入門』の説明を『達人』は「…流れ込んでいる部分」と変えてある。

<ダブルフォール>について『達人』には、「キャストの前方投げ(フォークドキャスト/原文ママ)と後方投げ(バックキャスト)のときに、ラインを引いてロッドの反発力を強くするテクニック」とある。これは『入門』の<ダブルホール>とほとんど同じ表現だ。でも『達人』の本文中には「前方投げ」「後方投げ」なんて単語はどこにも出ていない。もはやばればれでしょう。

もちろん私は『達人』の出版社にも著者にも恨みはない。ただ少なくともこっちはお金を出して『達人』を買った読者なのだから、一冊1600円分の文句を言う権利はあると思う。『達人』に限らず、現在さまざまな釣り関係の雑誌や書籍を出版している出版社、ライターは、読者を甘く見ない方がいい。

こんな雰囲気でこんな記事を載せれば一丁上がりだろ、という浅い考えはちょっと釣りをしている読者なら、養沢のヤマメとおなじくらい簡単に見破るのである。

この『達人』は全体としてみれば、読み物ものありキレイな写真もありで、そこそこにまとめられているのだが、部分的にでも他の本のパクリがあるのではすべてパー。

著者のいさぎよさが心地よい二冊

気分を直して、次の本に行ってみたい。『ベストフライフィッシング・イラスト教書』(芦沢一洋/著 佐藤盛男/絵 廣済堂出版/刊行 一九八五年/初版)。先年亡くなった芦澤氏の手による一冊だ。先ほどの『達人』の一人が、イラスト担当で参加しているのはご愛敬。

著者は「はじめに」で、いきなり次のように宣言している。「湖や海のフライフィッシング、あるいは海外でのマスやサケの釣り、また他の対象魚、たとえばブラックバスやオイカワの釣りといった部分についてはここでは触れていない。日本国内の渓流でまず渓魚を釣る。これが基本であり、ここにこそ私たちのフライフィッシングの第一の楽しみがあると考えるからだ」。

キラ星のような海外釣行を重ねている著者とは思えない言葉だが、表現がオーバーなのは芸の内だ。

たしかに本文の三分の二を占めるパート1のキャスティング編でも、パート2の実践編でも、本筋はひたすら「日本の渓流でヤマメとイワナをいかに釣るか」に固執している。これくらいに話題を絞り込まないと、たしかにフライフィッシングの入門書を一冊にまとめるのは難しいのだろうと思わせるいさぎよさだ。

ワンテーマで見開き二頁の本文レイアウトは明解で、イラストの図解も必要充分な説得力がある。いまだに売れ続けているのが納得のいく一冊である。

ひとつ難を言うと、いかんせんカタカナ語が多い。ただの左カーブ・キャストをわざわざネガティブ・カーブ・キャストと言いかえなくても良いのではないかと思う(まあ、ライズリングを「浮上波紋」と言うよりは分かりやすいとは思うが)。

カタカナの洪水みたいな文字面だけでイヤになっちゃった人もいるのではないか。それとも最近の若い人にはそんなの関係ないのかな。IT時代だし。

「わたし自身、フライで釣った経験はないので」 ←え?

『フライフィッシング全科』(鈴木魚心/著 産報/刊行 一九七四年/初版)。この本には実はネタ本があるのだが、ここではその是非は問題にしない。『達人』とはずいぶん待遇が違うような気もするが、いいのだ。

だって巻頭でいきなり「(60年前:引用者注/一九一四年ころ)、目黒川でただ一尾のハヤを釣らしてもらったのが、六歳の時」と、遠い目をしたおじいちゃんに語り出されてしまっては、だまって話を聞く以外に何ができるというのだ。

本文155頁「イトウの毛バリ釣り」に次のような記述がある。

「(イトウを)釣るにはエサ釣りか、スプーン・スピナーの釣りが近年流行しているが、純粋の毛バリ釣りはあまり行われていない。わたし自身、フライで釣った経験はないので、なんとも説明のしようはないがこの魚が毛バリ釣りの対象となり得る根拠は示唆することができる」

常々疑問だったのだが、フライの入門書によく対象魚として「ヒメマス」や「ライギョ」「イトウ」が挙げられている。ヒメマスやライギョをフライで狙えるのは限られた状況下でのことだろうから、初心者に対象魚として勧めるのはどうかと思う。

イトウに至ってはいったいどれだけのセンセイが、フライで釣ったことがあるのだろうか。少なくとも他人に大きな顔をして教授するのだから、100や200は釣っていて欲しい。

ところが、鈴木さんは平気な顔をして言い切ってしまう。「(イトウの)純粋なフライフィッシングは、やったことがない」と。

さらには、章の末尾で次のようにさらりと言ってのける。

「(イトウは)ドライ・フライ釣法では、効果を期待できないが(中略)、せめて、ストリーマー・フィッシングのよき相手になってくれることだろう。フライ・キャスターよ、試みたまえ」

うーん、格好よすぎる。

と言って締めたいところだが、この際バラしてしまうと、ところが、このイトウの箇所も、じつは本書のネタ本であるところの、『毛鉤釣教壇』(金子正勝著|1941年刊)のパクリであったにすぎないという、おそろしい事実がある。

鈴木魚心さんは、なんでこんなに雑というか、お名前を汚す、恥ずかしい仕事をされたのだろう。

おかげで40年以上たってからもほじくり返されてしまっている。

独りよがりだから生き残った

今から21年前に初版が発行されて以降、20数刷を重ねている人気の本に『フライフィッシング教書』(シェリダン・アンダーソン・田渕義雄/共著 晶文社出版/刊行 一九七九年/初版)がある。

「初心者から上級者までの戦略と詐術のために」という副題がこそばゆく、イラストと台詞がくどいほどに散りばめられた表紙デザインも当時としては斬新だった。

この本がたしかに他の「入門書」と違っている点は、一冊まるごと、はじめから終わりまでシェリダン・アンダーソン氏と田渕義雄氏という、ただの釣り人二人の「独りよがり」で構成されているところだと思う。

二人とも自分たちの言いたいことだけを自由に言いつらねて、実践するかどうかはあなた次第だよと突きはなす(声高に押しつけられると反発したくなるのが人情だ。指示通りに動くのが好きなんだよ、という人もいるだろうけど)。

それは、このころの「フライフィッシング業界」の主流だった「フライフィッシングかくあるべき」みたいな宗教チックなお仕着せへのアンチ・テーゼである。

「外国の街ですれちがった日本人どうしのように、フライロッドを持った釣り人どうしはどうしてあんなにもよそよそしいのだろう。喜びに満ちた輝かしい川のほとりで、どうして相手をみくだすようなあんなよそよそしい態度をとらなければならないのだろう。
 (中略) 一本10万円以上もするスプリット・ケーンは、ぼくやきみのようなまだ若い貧乏な釣り人にはふさわしくない。道具ばかりがギラギラ光っているセコイ顔をした釣り人ではなく、いつも楽しそうにキラキラと瞳が輝いている釣り人になろう。」(226頁)

「ぼくやきみ」という人称をなにげなく使っている。この本を手にとった「きみ」は、もう「ぼく」たちと同じフライマンなんだよ。こういうノリに、フライフィッシングへの入門者は基本的にヨワい気がする。

私も、「ぼくやきみのようなまだ若い貧乏な釣り人」、このフレーズにくすぐられた。くすぐられまくった。まだ若かったし。

初版当時とはフライフィッシングのイメージが相当に変化している2000年の現在でも、この趣味の入り口に立っている若者が、泥沼へひょいと一歩足を踏みだすきっかけになりうる一文だと思う。

「ボビンホルダーは洗濯バサミで十分だ」 ←うそですから

多少偏狭で偏屈でも自分の言葉で熱っぽく語られた文章は、偉そうなセンセイの説教や、よそよそしいインストラクターの指導より印象に残る。日本の釣りライターの草分けである西山徹氏の一連の仕事が、どれも読みやすくて親しみやすいのも、著者独自の色合いと体温が感じられるためだろう。

フライフィッシングへの「入門書」として見た場合、『フライフィッシング教書』はまったく不適切である。とくに前半のシェリダン・アンダーソンの項は、金のない子供には影響力が大きすぎる。

私も、こうすれば誰でもかんたんにノッテッド・リーダーが作れるよ、というシェリダンおじさんにだまされた。

手元にあった沖釣り用の編みイトと、バス用のルアー・ラインと、へら鮒用のミチイトとハリスを無理やりつないで、赤白だんだらのダーデブルみたいな妙なオリジナル・リーダーをでっち上げ、長いこと使っていた。

またやはり、おじさんのイラスト通りに、タイイングを始めてから約2年間ずっと、ボビンホルダーの代わりに物干し場にあった洗濯バサミを愛用していた。その使い勝手については、こんなものなんだろうと思いこんでいた。

はじめてボビンホルダーを使ったときの衝撃と言ったら…。うらむ。

入門書にふさわしい時代

最近になって出版された入門書は、どれも似たような内容ばかりで個性がない。たまに、オッと思わせる本は、膨大なデータと資料を小器用にまとめている部分が目を引いた理由だったり、単にデザインや写真がキレイなだけだったりする。

入門書が何となく「似てしまう」理由は、世の中にすでに情報が氾濫しきった状態の中であらためて、入門書を「書こうとして」書いているからだろうと思う。既刊本をいっぱい下敷きに踏まえたうえで、じゃあこんどはこんな方向性でどうですか、とやっているわけだ。まるで広告屋の企画書だ。

予定調和的にまとめられたモノが面白いはずはない。だからというわけではないが、本稿でこれまで挙げてきた「面白い」本は、たまたますべてが15年以上前に出版された本ばかりになった。

逆に言えばこの頃(1970年代から1980年代中旬)は、フライフィッシングに関する情報の質と量が、書き手にとっても受け手にとっても、ちょうど「入門書」に適していた時代だったと言えるのかもしれない。

今はインターネットで<フライフィッシング>を検索すると、何10コ以上ものサイトがモニタ上に並び、それぞれ見てくれ見てくれとうるさい。無修正ハードコアと同じで、あまり鮮明に見ろ見ろ見ろと迫られると興ざめである。

あたしこんなトコ見せたことないわ、チョットだけならいいじゃん。えーでも。こういうやりとりがあるからこそ、ドキドキするのである。だってそういうものでしょう! 釣りの話です。

ページが擦り切れるほど、隅から隅まで

もう一冊、個人的に忘れられない入門書がある。1980年代はじめに出版された『ルアー・フライフィッシング入門』(岩井渓一郎/高橋書店1981)。著者は今は有名な「釣りのプロ」だが、この頃はまだ雑誌記者をやめたばかりの、駆け出しで無名のフリーライターだった。

駅前の書店で祖母にこの本を買ってもらうと、道具もないのにフライフィッシングに憧れて夜も眠れなかった子供の私は、文字通りページが擦り切れるほどに隅から隅まで読みこんだ。そんな風に読まれる本は幸せだと思う。

著者は言うまでもなく、後年にロング・ティペット・リーダーの開祖として知られることになる人物だ。だが、本書の中では「日本の渓流におけるヒットへの近道」を、口を酸っぱくして繰り返している。それは〝ラインは出すな。リーダーの基本は7.5フィート。できるだけポイントに近づいてショート・キャストしろ。〟というものだ。

とてもロング・ティペットの人とは思えない。

ようやくフライロッドとフライリールとフライラインをそろえた私は、ほどなくフライで最初の一匹(ウグイだったけど)を釣ることができた。岩井さんの教えを子供心にまじめに実行したおかげだ。三つ子の魂は百までって言うから、なかなか忘れられない。しつこい。

三十路をこえた今でも、私はフライフィッシングを心から楽しんでいる。今年の六月は三回も東北に遠征した。まだまだ行ってみたい釣り場と釣りたい魚がたくさんあるので、フライフィッシングは一生やめないと思う。

岩井さんありがとう。

(了)

〈『フライの雑誌』第51号特集◎この本が面白い(2000年)掲載〉

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目の前にシカの鼻息(樋口明雄著)
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