ストリートスナップで世間の一部様が騒いでいる理由は、あれが富士フィルムという大会社の公式CMでの出来事で、でっかいものははとりあえず叩けというか、えらそうな相手は叩いていいみたいな最近の、言ってみれば反知性主義的なノリの派生だろう。マスゴミ批判云々と同様。本質的な問題意識を持っているわけでもない非当事者さんたちは、ひと月たったら忘れる。匿名や友達限定で騒ぐ人々はただの通りすがりで詮ないことである。
悪口は隠れて言うのが社会人の正しい姿だ。わたしは後楽園ホールの特別リングサイドでブーイングを飛ばしていたら、あのおそろしいシャーク土屋選手にリング上からギロッとにらまれ人差し指で個人を特定され、なおかつ物理的に二、三歩迫られたことがある。心底びびった。
富士フィルムさんは心がよわかった。
あそこで、キャンディドフォトのなんたるかについて、一歩も引かない大真面目な芸術議論を展開するふりでもしておけば状況は違ったが、速攻で逃げた。丸太ネーミングで集英社が光速タップしたのと力学は一緒だ。企業としての覚悟がなかった。
文化創造の一翼を担うことを企業の存在意義の基盤としている自覚があれば、こういうことでは逃げないし負けられないはずだ。カメラマン氏の個別のやり方がどうこうとは別の話だ。非上場の集英社はともかく富士フィルムさんは、これ以上炎上したら株価に影響するとかビビったんだろう。知らないけど。逃げたことによる企業ブランド価値の毀損はいかほどのものか。よほどひどいことになるだろうに。
釣り雑誌の場合を考えてみる。
〈フライの雑誌〉ではじつはあまり問題にならない。なぜなら釣り人が顔バッチリで写ってる写真が載る確率は、天文学的に低い(ないことはないです。)。なにしろ創刊号の表紙からして、じめじめしてそうなどこか湿原の川の丸太の上に座っている、年齢不詳の地味ぃな釣り人の後ろ姿である。第2号はちょっと進化して、おしゃれなおじさんの横顔。ただし少し老眼入ってるっぽい。第3号は釣り場が湖になって、また後ろを向いてしまった。それぞれ個人名を言えるが黙っておきます。
かつての月刊「北海道のつり」の表紙はかならず、魚をぶら下げた一般の釣り師のニコパチ写真だった。当時の編集長で現「釣道楽」発行人の坂田潤一氏に、写真使用の許諾をとってるのかと聞いたら、「んにゃー、とってるわけないっしょー。そんなひまないさー。」とこてこての北海道弁で返された。
じゃあ勝手に載せてるの、問題にならないの、と重ねて聞くと、「だって俺が〈北海道のつり〉の人だって分かってて、『ちょっと撮らせてくださーい。』ってカメラを向けると、みんなポーズとってにっこり笑うんだよー。」とのことだった。カメラを向けて、相手がにっこりすればそれが使用許可だということらしい。果てしない大空と広い大地のおおらかさを学んだ。すごくすてきだ。
そしてみなさんいい顔してる。
いつの日か大物を自分の腕でつかむよう。