水辺のアルバム 4
エビガニ今昔(アメリカザリガニ)
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)
フライの雑誌-第107号(2015年12月発行)掲載
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新宿歌舞伎町育ちの私が最初に知った釣りの面白さはエビガニ釣りである。
去ること、六五年ほど前は、今は無いコマ劇場が建てられる前の博覧会跡と呼ばれた焼け跡でトンボを採っていた。
現在風営街まっただ中の横丁には紙芝居がやってきた。近くで釣りをするとしたら新宿御苑の池まで遠出するしかなかった。もぐり込んでスルメで釣った。餌にしたくてもカエルは簡単に見つからなかった。
新宿御苑は、総理主催の桜を見る会や環境大臣主催の菊を観る会が毎年開催されるが、夜になると新宿鮫と対決する怪盗がひそんでいたりもする。
また、二〇〇八年一月には、パトリオット3(PAC3ともいう、弾道ミサイルを迎撃する地対空ミサイル)の発射地点として適しているかを調査する適地調査も、横須賀の航空自衛隊第一高射群第二高射隊等から約六〇人の隊員が参加して新宿御苑で夜間に行われた。これは、国会でも追及されている。
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アメリカザリガニは特定外来生物に指定されてはおらず、移動も飼育も違法とはならない。環境省は、「指定しても周知に
時間がかかり、子どもに違反者が続出する」と説明している。何だかな。
このエビガニは、アメリカザリガニとして代表的外来生物である。
水田に入り込み、稲の苗を食べ、泥壁に穴をアケルので昔からきらわれものであるが、水草、ゲンゴロウ、ヤゴなどなんでも食べるので〝生態系を破壊する〟と言われている。しかし、同じように〝生態系を破壊する〟と言われるブラックバスを駆除したら天敵がいなくなりアメリカザリガニが大発生して困ったことにもなるということも起こっている。
ところが、アメリカザリガニは特定外来生物に指定されてはおらず、ブラックバス等とは大きく異なり、移動も飼育も違法とはならない。
この点について、環境省は「指定しても周知に時間がかかり、子どもに違反者が続出する」などと説明しているという。何だかなという取ってつけたような理由で、深く考えてゆくと外来生物法そのもののおかしさに行きつく。
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四〇年前、学生達と霞ヶ浦で爆喰いした
日本にいるエビガニのなかまは、北海道の山間の冷水域に昔からすむザリガニと、アメリカから移入されたウチダザリガニ、タンカイザリガニ、アメリカザリガニが、それぞれ、北海道の摩周湖等、滋賀県の淡海池等そして日本全国どこでもという分布をしている。
なお、アメリカザリガニでは長過ぎる、かといってお笑いコンビのアメザリでは一寸頂けないし、日本本来のザリガニという呼び名は問題ありで使いたくないので、子どもの頃から呼び慣れているエビガニという略称を今回は使うことにする。
エビのようなカニというのはその大きなハサミによっての呼称だが、ウミザリガニと呼ばれるロブスターの淡水版と思えばアメリカのミシシッピー州などでこのエビガニがクロウフィッシュとして歌にもなり、賞味されているのもよくわかる。なお、スパイニーロブスターと呼ばれるイセエビのなかまは雄のハサミが大きくならず、完全にエビ型といえる。
エビガニを食べるということであれば、四〇年前、学生達と霞ヶ浦で爆喰いしたことを書かなければならない。
茨城県内水面試験場の先輩から、増えているエビゴロ(テナガエビとハゼ類)の調査をしないかと誘われ卒論の学生達と内水試に泊まり込んでの調査を始めた。
その当時は高浜八干拓反対運動の終盤近く、内水試は塀の上に鉄条網を張り巡らし、夜間は施錠していた。私達は場内の餌料小屋の宿直室に基地をかまえ、湖側では出入り自由なので四時間おきの張網採集調査を続行した。
採集したエビゴロはホルマリン固定し、混獲されたそれ以外の生きものは数と重量を計り放流した。但し食べられるものは食糧とした。大なべでゆでたエビガニを並べて端から好きなだけ食べた。外国で、ゆでたカニ、エビ、シャコなどをテーブルの上に盛り、食べた殻を足元に捨てるのと同じ食べ方で、堪能した。
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帝国ホテルの地下室に、
エビガニを蓄養する水槽があるという
一九四九年に出版された『帰化動物』の中で丘英通が敗戦の年九月に脱稿し、その後二年間書き直した救荒動物としてのアメリカザリガニの項で書いている次の二つのことが印象深い。本書ではエビカニと略記している。
一、本場のルイアジアナではbisqueというすり身のスープにして食べる。手のこんだ料理にすればうまいに相違ない。はじめは安天丼の天婦羅種に使われたが、天婦羅も食べられなくなって、エビカニ肉は食用として一時影を潜めた。
それというのが、形は大きくとも甲殻厚く棄却部が多く(七割くらい)肉量少ないから、腹いっぱい食おうとせば多数を揃えねばならない。手数のかかる割に可食部の少ないのが食用として珍重されなかった一因であろう。イセエビまがいの厳しい姿を愛玩することも行われて、一時東京の盛り場などで販売する商人もできた。
二、エビカニの研究をしていた須甲鉄也氏は昭和二〇年八月六日、広島市で原子爆弾の洗礼を受け九死に一生を得て、浦和市に戻ったが、一時十一貫までに減衰した体を、やがて十六貫四百匁にまで(遭難前と同じ)快復することができたのは、食養生に努めたお蔭であるが、別してエビカニを天婦羅その他に調理したのを毎日あるいは隔日に食べ、それが実効したと語られた。
このような食糧難の時代ではなく、現在でも北米の南部地方中心にエビガニ類がよく食べられている。
二〇〇九年のFAOの統計では、北米の内水面漁業の漁獲量で一番多いのは、ホワイトフィッシュ(長野県のシナノユキマスのなかま)で全体の二一パーセントを占め、次いでエビガニ類で八五三六トン(十六パーセント)となっている。日本でも帝国ホテルの地下室に、アメリカザリガニとは異なるエビガニを蓄養する水槽があるという。
なお、北海道阿寒湖ではウチダザリガニが漁業権魚種とされており、同漁協が特産のレイクロブスタースープの缶詰を製造販売している。これは美味しそうだが高そうである。これは手元にあった空き缶を見てのことなので、調べてみたら内容量一六〇グラムで五〇〇円(税抜き)とのこと。
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興味を持った生物や事柄があればそれを
研究テーマとすべしという考えのもと何でもあり
次のエビガニとの深いつき合いはエビガニを長期にわたって飼育した実験である。
東京水産大学増殖研究棟二階にある研究室南面のテラスに木枠とビニールシートで池をつくり、煮干しとゆでたホウレンソウを餌にして何代にもわたって飼い続けた。そのことによって、〝雄の成熟と個体群密度の関係〟を明らかにしようとしたものである。これは大学院時代のオイカワの研究で雄の二次性徴としての臀鰭(しりびれ)の伸長が成熟と〝非成熟〟とでは明確に区別出来、それが雄の密度と関係していることが推察されたことを出発点としている。
その後、そのような現象がイセエビの雄の第二歩脚長、テナガエビやアメリカザリガニの雄の鉗脚長、そしてチチブの背鰭長などでも見られることがわかった。そこでこれらの中で、身近な場所で代々繁殖させることの容易なアメリカザリガニで実験をということになったのである。その初期段階のまとめは、一九七八年の個体群生態学会で報告している。
その後、この研究を追求することはしなかったので飼育実験のことはすっかり忘れていた。ところが、北海道の椿の分布について教えてもらうために、高校で生物を教えているI・S君に電話したところ、〝佐渡で放鳥したトキが本州に渡ったのを知って、先生のエビガニが実験中の池から逃げ出したのを思い出しました。〟と言われた。私が忘れていたことを覚えていた訳である。
同君はトリキチで卒論は〝多摩川河口域の野鳥の飛来調査〟、修論は〝サギの卵殻薄化に見られる農薬の影響〟というもので、エビガニの実験とは全く関係ない、もっとも、エビガニの実験は趣味のようなもので、一人でこつこつやっていたのであるが。そう言えばイボニシやバイガイのインポセックスについて、TBTの分析で共同研究をしていた東京都衛生研究所の方に卵殻や死んでいるヒナの農薬の分析を行って頂いた。I・S君は現在四人の娘さんがいるが、全員北海道にいる野鳥の名前をつけてもらっている。
水産大学で鳥の研究をしているのを不思議に思うかもしれないが、私の研究室では興味を持った生物や事柄があればそれを研究テーマとすべしという考えのもと何でもありであった。水産大学を出て鳥類の研究者となった同期の中村一恵を初め、知っているだけでも四年先輩の安部直哉さん(卒論はオイカワ)や大先輩の橘川次郎さん(クイーンズランド大学でメジロを研究)がおられる。
ところで霞ヶ浦でエビガニを共に爆喰いした学生はその後どうなっただろうか。その影響は当然何もある訳は無い。
Y君は水産高校の先生となりその教え子が東京水産大学に来て、現在はニジマスやヤマメの養殖業を営んでいる。私の孫弟子が養魚をやっているという訳である。他の二人はどういう訳か、六ヶ所村の再処理工場からの放射能たれ流し問題と関係するような出合いや関係があった。
K君は岩手の出身だが、陸前高田市で〝放射能を海にすてるな〟という集会をやった際にやって来た。三十数年ぶりの再会だが、中学の校長先生だった。
I・Y君は水産研究所にいたが、再処理工場が本格運転を始める前に海藻を採集し冷凍保存してあると教えてくれた。しかし、福島第一原発の大事故に遭遇し、海洋汚染のレベルはとんでもないものになってしまった。それより津波被害への対応で大変だったようである。
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漁業者がトゲのある変な魚を漁獲し、出島村役場に持ち込んだ
エビガニとの出会いで一番多く通い深いつながりができた場所は結局霞ヶ浦である。その中で妙に引っかかるのがアメリカという言葉である。
伴浩治(一九八〇)は〝アメリカザリガニ─侵略成功の鍵〟の冒頭で、「生物の中ではアメリカという名前がつくと『悪者』だと考えてよい。樹を丸坊主にするアメリカシロヒトリはその典型的な例。だがアメリカザリガニProcambarus clarkiiは専門家には嫌われながら、一般の人々にはむしろなじみの深い可愛い生き物。」
これはもっともなことを言っていると考えるが、〝アメリカという名前がつくと『悪者』だと考えてよい。〟という言葉にここでは少しこだわってみる。
まず、米帝(アメ帝)という言葉に特別な感情を持つ一部の人々との対話は別の機会にゆずるとして、ここではアメリカナマズなる魚にこだわる。
この魚については、一九七一年に食用(養殖)目的でアメリカより導入され、埼玉県内や霞ヶ浦において養殖が開始された。天然水域における本種の生息は、一九八〇年代前半江戸川、利根川、霞ヶ浦等において確認されている。そして、特定外来生物に指定され茨城県ではその駆除を行っているが、霞ヶ浦では少数の業者が採捕した個体を蓄養し、出荷規格に育てたうえで販売している。
一九七〇年代後半、私達が年に数回霞ヶ浦に調査に通っていた頃に、漁業者がトゲのある変な魚を漁獲し、出島村役場に持ち込んだということを聞いた。その時は、日清製粉が養殖用新魚開発ということでチャネルキャットフィッシュの養殖試験に取り組んでいることはよく知られていたので、その一部が逃げ出したのだなと全く気にかけなかった。
しかし、それがゆっくりと分布域を拡げながら数を増やし、霞ヶ浦では二〇〇〇年以降に大繁殖し、最大最悪の外来魚となってしまった。そして通称アメリカナマズとして話題となるようになった。
一九七〇年代には日清製粉といえばチャネルキャットフィッシュと言われる位、養殖雑誌や新聞でよく取り上げられた。しかし、ネット上で外来魚問題が話題になるようになるとアメリカナマズ持ち込みの主役は日清製粉という記事を一つも見つけることが出来ない。ブルーギルでは皇太子の例もあるので一つの作為が働いたものと考えられる。
そんな訳なので、伴浩治(一九八〇)の時点では二〇年早く、折角のアメリカと名の付く悪者としてアメリカナマズは表舞台には登場していない。
この魚は背鰭と胸鰭に鋭く強い棘が発達していることからも、ナマズのなかまではあるがギギやギバチに近い。ギギやギバチは今は数が減ってしまったのでそういうことはないが、琵琶湖などで漁業の対象とされた美味しい魚である。
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琵琶湖の生態系が、霞ヶ浦の生態系と似たものに変わりつつある。
念のために言うと、両湖の生態系を変えたのは外来生物ではなく、
人間の開発、改変という破壊行為である。
その琵琶湖でチャネルキャットフィッシュが激増と産経新聞(二〇一五、二・一七)が報じている。
「滋賀県水産試験場によると、県内では一三年に琵琶湖で初めて一匹が見つかり、琵琶湖とそれに続く瀬田川での捕獲数は二五年が一八匹、二六年四一匹と年々増加している。稚魚も捕獲されたことから、担当者は『琵琶湖に持ち込まれた経緯は分からないが、湖内で繁殖が進んでいる可能性が十分にある』と指摘する。」
琵琶湖では諏訪湖から移殖されたワカサギが増え漁業の足しになっているが、ブラックバスやブルーギルが減少傾向にあるというのは霞ヶ浦と同様である。そして三〇数年おくれで、アメリカナマズにおいて霞ヶ浦の後を追おうという訳である。
しかし、その差はまたたく間に縮まるかもしれない。それは、琵琶湖の生態系が霞ヶ浦の生態系と似たものに変わりつつあることと関係している。念のために言うと両湖の生態系を変えたのはブラックバス等外来生物ではなく人間の開発、改変という破壊行為である。
ところで両湖のエビガニ(アメリカザリガニ)は現在どのような状態なのだろうか。あまりにも日常的過ぎるし利害関係者が少ないので関心ももたれず調査も行われていない。しかしエビガニは節足動物なので殺虫剤(農薬)には弱い。なおかつ、次のような意外な面もある。
伴浩治(一九八〇)が、「アメリカザリガニといえども不死身ではないから、酸素がなければ生きていけない。バケツなどに水だけを三〇センチほど入れて飼っていると、酸素が欠乏しても水面に上がって来れずに死んでしまう。アメリカザリガニが、自然の状態でも水深の浅い所に生活しているのは、こういう理由によるのである。」と述べている。
直立護岸でヨシやアシ等の消失した霞ヶ浦や琵琶湖でのエビガニの爆喰いはもうできないのかもしれない。もちろん釣りも。
(了)
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フライの雑誌社では、ここに来て日々の出荷数が増えています。「フライの雑誌」のバックナンバーが号数指名で売れるのはうれしいです。時間が経っても古びる内容じゃないと認めていただいた気がします。そしてもちろん単行本も。
島崎憲司郎さんの『水生昆虫アルバム A FLY FISHER’S VIEW』は各所で絶賛されてきた超ロングセラーの古典です。このところ突出して出荷数が伸びています。