【公開記事】釣り場時評77 〈環境DNAって何だろう 見えない魚が見えてくる?〉 水口憲哉(フライの雑誌-第104号)

釣り場時評77

環境DNAって何だろう 見えない魚が見えてくる?

水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)

フライの雑誌-第104号(2015年発行)掲載

環境DNA(e-DNA)は、環境水中のDNAを調べる。
ある特定の種の魚がいるかいないかが、いるかもしれない場所の水を調べるだけで分かるという。


見えない魚が見えてくる?

昨年の六月、愛知県内水面漁業研究所の冨山実さんに内水面漁業振興法と養鰻業界とのことを知りたくて電話をした。その際、問い合わせた本題についてより、関心をもって調べていたウナギの生態のことで話が盛り上がった。特に川でのウナギの生活や性比のことでいろいろ話しているうちに、冨山さんが環境DNAを使った調査と言ったので、初めて聞く言葉に戸惑うと共にびっくりした。

環境ホルモン騒ぎの始まりの頃、筆者の研究室でのバイガイのインポセックス調査のきっかけの情報を教えてくださったのが当時海の水産試験場にいた冨山さんだったので、環境ホルモンと何か関係あるのかと思ったら全く別のものだという。

そこで、今回はそれを機会に調べた環境DNAについて考えていることを紹介する。ウナギの生態調査と環境DNAとの話は最後にふれるが、これはつかみどころのないややこしい話になる。

環境DNAは英語では環境の頭文字をとってe-DNAという。環境ホルモンという和製ジョークのような言葉の原語はEDC(内分泌撹乱化学物質の頭文字)である。ホルモンをおかしくするという意味はあるが、環境という意味の言葉は本来の言葉の中には全く入っていない。

また逆にDisruption(撹乱)という意味が環境ホルモンの中には全く入っていない。

日本の研究者はDisruptionという、それほど過激ではないのにこの言葉がきらいなようで、環境という何だかわからないあいまいな言葉がお好きなようである。本時評七五(第一〇二号)でも、一九七〇年環境破綻(Environmental Disruption)を嫌って公害(KOGAI)を使いたがったことを紹介した。

e-DNAはまさに環境水中のDNAを調べるようである。それも、ある特定の種の魚がいるかいないが水を調べればわかるというのである。

e-DNAで魚の存在を調べるということは水中に存在するDNAを分析してそれをもつ魚の存在を推定するということである。このように水中の有機物を分析して魚の生態を考えるということはこれまでにもあった。

魚の不思議の一つとして、サケがなぜ自分の生まれた川にもどってこられるのかというのがあるが、これは生まれた川の水に含まれている臭い物質を記憶しているからということで決着がついている。生後海に出るまでの間過ごしていた川の水の臭いが脳に刷り込まれる訳だが、数年後に親になってもどって来たとき、有機物である臭い物質の一分子がサケの鼻腔に入っただけで神経細胞は反応するという。

動物が環境中の有機物質の存在を感知できることと関連して、動物が体内から有機物質を環境中に放出して同じ種類の他の動物に感知させるということがある。それがフェロモンと総称されるものである。

昆虫についてフェロモンはよく知られている生理活性物質であるがこれは有機物質である。淡水魚では群れで泳いでいるアブラハヤの一種で、一尾が襲われて傷つくと、その皮フから出る恐怖物質としての警報フェロモンが拡散し、それを知覚した全群の個体が一瞬のうちに四散してしまうという。

このように、水中に存在する微量の有機物質を魚は敏感に感知して反応する能力をもっていることは釣りをする人々はうすうす感づいていることと思う。e-DNAを魚が感知できるかどうかはさておき、人間が遺伝子工学の進歩とやらで、水中の微量のDNAを検知して狙い目の魚の存在を確認できるということなら、釣れるか釣れないかは別にして釣り人にとっての朗報となるかもしれない。

しかし、DNAが何であるかも知らずに単純に喜ぶわけにはいかない。

DNAという言葉は会社のDNAや、我が家のDNAといったように伝統として伝わるものとといった意味で使われることも多いがやはり犯罪捜査等で用いられるDNA判定というのが今回の内容にも近く判りやすい。

これは、毛髪や体液、皮フの一部であるフケ等を調べてその元の持ち主のDNAに関する個人情報をまず明らかにする。そして被疑者と見なされる人物のDNAを調べて合致すればその人物が毛髪等の所有者であると判定される。このDNA判定がいいかげんだったり、デッチアゲだったりして無実の罪を被せられるというとんでもないことが起こる。

DNAは生物の身体中どの細胞にもある核酸中に見られる塩基配列というもので、その生物個体のどの細胞においても全く同一でありながら、個体毎にはまったく異なっているという特徴をもっている。

これは、スーパー等の商品についているバーコードと似た意味と役割をもっている。ある一種類の菓子にはみな同じバーコードが付いているので、レジでそのバーコードを読み取ればその菓子の名前と価格がレシートに記入される。この商品に付いているしま模様のバーコードが生物におけるDNAだと考えればこれからの話が理解しやすい。実際に生態学の野外研究でもDNAを種の判定に使うことをDNAバーコーディングと呼んでいる。

今世紀に入ってからこの手法で種の識別や生物の種組成を明らかにする研究がさかんになり始めたが、その中で自然環境中から試料を採集してDNAバーコーディングを行う研究を大別すると次のようになる。

①微生物の生物多様性や侵入種の確認調査のための採水。
②微生物の組成調査のために現代の土壌採取。
③過去の動物や植物の組成を知るために永久凍土層採取。
④氷河期の開始時における動植物組成を知るために氷層と土層の間の粘土氷の採取。
⑤過去の植物相把握のためにネズミやリス類の生ごみすて場。
⑥食べもの分析のため糞を採取。

このようにマンモスからメタセコイアまでいろいろなものが調べられるが、今回の関心の中心は、①の川の水を調べて侵入種を明らかにするというものである。

淡水魚についてのこの環境DNA(e-DNA)利用の最初の研究は二〇一一年に〝保全維持通信誌〟にアメリカ、ノートルダム大学のジェルドルらが報告したものである。これは、「環境DNAを使っての希少水生種の〝見た─見ない〟検知」というタイトルで、分布を拡げているハクレンとコクレンがミシガン湖に侵入しているかどうかを知るために流入する水路で漁獲記録なども使って詳細に調査している。

IGFAの機関誌の二〇一二年三号では「アジアのコイ:侵入」という特集を組んでいるが、北米では今、この二種が外来魚問題の主役である。前述の研究報告では、e-DNA法による調査が伝統的な漁獲による方法より感度よく分散拡大の最前線を感知しており、ミシガン湖への侵入が差し迫っているとしている。

DNAを使って遺伝的な研究をする時に、Noninvasive genetic(侵害しない遺伝学)という考え方がある。invasionとは辞書に、⦅特に征服・略奪を目的とした軍隊の⦆侵入、侵略、⦅病気・動植物などの⦆侵入、⦅権利などの⦆侵害、とあることからもわかるように、日本で外来生物を問題とする言い方を欧米ではinvader(侵入者)と言っている。

それはそれとして、侵害しない遺伝学というのは、DNAを調べるのに、調べる生物を傷つけないで、すなわち殺しもせず、出来れば捕獲もしないで調べるということである。これは動物保護、自然保護、そして希少生物の保護ということが哺乳類や鳥類で主に言われていることと関係がある。

例えば房総半島でいろいろな生物を調査する大きなグループで、ニホンザルの研究者から魚では腹をさいて何を食べているのかを調べるのかと驚かれかつ少し批判されたのを覚えている。彼等は食べている様子や食いかす、糞から食べものの内容を知るのである。今では魚でもストマックポンプを使う人もいるが。鯨のDNA調査でも糞や皮フの断片を使う欧米の研究者から、鯨を殺す日本の調査捕鯨は厳しく批判されている。

以上のことからわかるように、e-DNAを使って少数の魚の確認を行うことの大きな利点は、その存在を調べようとする魚を捕獲したり、場合によっては殺してしまわないで確認できるということである。いるかもしれない場所の水を調べるだけでよく、一杯の水で自然保護と言われてもいる。

保護の対象となる希少種をさがすために、池をかい掘りしたり、川を瀬替えして魚を獲りまくるということをやったのでは何のための調査かわからなくなってしまう。

五〇年ほど前に筆者は東京都の秋川でそれに関するひとつの経験をしている。漁協経営のます釣り場に泊まって調査をしていたら、支流の堰下の大きなフチで毒流しがあったと知らせがありすぐにかけつけた。多数の浮いた魚の中に一尾のイチモンジタナゴがいた。これは琵琶湖周辺にしかいない希少種である。コアユの放流に混入していたものが生き残っていたのかもしれない。

その存在の可能性が予測される場合にはこのような大量殺戮を行わなくても、現在だったらe-DNAを調べればイチモンジタナゴの存在が明らかになるということである。

しかし、いろいろな希少種が一尾でもいるかもしれないとe-DNA調査をするには多くの準備と経費と手間がかかる。研究のための研究というのならわからなくもないが、社会的にどのような意味があるのかと考えてしまう。

このイチモンジタナゴの場合については、移殖された個体の存在を確認するよりは自然分布している水体でこの魚が減少する原因をなくして絶滅を防ぐことが大切だろう。そのことのためにe-DNAの手法を生かすことのほうが重要だと思う。もちろん、何時の時代でも毒流しは絶対してはいけないが。

シラスウナギの量は実態がつかめない。
ウナギ成魚については、穴にもぐったり、底の泥の中に潜んでいて実数の把握が困難である。
ウナギの量を知るために、環境DNAの手法が使えるかもしれない。

それでは絶滅が心配される希少種の調査でまず必要なことは何か。その種がそこにどの位生息しているかを知ることである。

実はこの分かりやすく簡単そうなことが水生生物、特に川の魚では非常に難しいのである。

右に述べた秋川での調査というのはオイカワの増殖を目的とした繁殖生態の調査であるが、各流域にオイカワがどの位いるのか、多いのか少ないのかということに一番悩まされた。
川魚の密度推定についてそれまで行われていたのは潜水調査と、びくののぞきである。潜水して目視で魚を数えるのはオイカワでも水野さん達先達が行っていたので自分でもやってみた。しかし、時刻や日、天気や水量で変化し流路の変更もあり、川魚の計数はとてもではないが無理だとあきらめてしまった。

びくのぞきというのはクリールセンサスとも言い釣り人の釣果を一人一人調べることである。これもわかるように、言うは易く行うは難きで、いやがられはするし、一人でまわり切るのはと
ても無理で、葉書での報告を依頼したが回答が少なく中断した。

現在はどうなっているか知らないが、五〇年前には秋川流域では、漁協の協力もあってか最上流の小宮から戸倉、五日市、伊奈、東秋留の各地域で夏休みに子どもの釣り大会があった。各地区で一〇〇人近くの小学生が一、二時間一斉にあんま釣りで釣果を競うのである。研究室のなかまにも手伝ってもらって釣った魚の数を魚種別に一人一人に聞いてまわった。

その結果、小学生一人一時間当りの漁獲量が小宮でウグイ一・五尾、オイカワ〇・二尾、最下流の東秋留でウグイ〇・三尾、オイカワ二・三尾といった結果が得られた。なお、あんま釣りというのは一メートルほどの細い竹をのべ竿にして、川虫を餌にして流れの下に向かって腰をかがめ竿を前後にくり出すのを反復するだけの釣りである。

水産研究ではC-P-U-E(単位漁獲努力当り漁獲量)を密度推定の一指標として用いるがこれほど適切な適合例は少ない。このような調査を、地区の数は代わるが五年間行い面白く、意味のあることがいろいろわかった。

これと同じような結果をe-DNAを用いて得ることができるかは、研究が世界的にも始まったばかりなので何ともいえない。ただ、密度推定も、e-DNA調査に期待されている成果の一つとして重要視されている。

冒頭で紹介した冨山さんとのウナギの話は、昨年七月二八日の朝日新聞での〝ウナギ「完全養殖」で救え 孵化成功でも高コスト 9割が雄謎解明へ〟という訳のわからない見出しの記事で今のところ終わっている。

その記事の終わりのほうで冨山さんの次のようなコメントが紹介されている。

「養殖だと密度が高く、個体数を調整するために雄が多くなるのではないか」とみる。「雌を増やして放流し、将来の資源回復につなげたい」

このコメントにもいろいろ疑問があるが、現在ウナギについて性比と密度についてわかっていることを整理してみる。

○養殖でも自然の川の調査でも、日、欧、米の三種のウナギとも、密度が高くなると雌が少なくなることははっきりしている。

○イギリスの研究等で、川にウナギは常に収用能力いっぱい入り込んでいると考えられる。海からもどってきたシラスウナギのうち川に入って生活するのは数分の一で、多くが汽水域や海で生活する。産卵に寄与するのは川にのぼらない海ウナギが中心ではないか。

そうなってくると、いつまでもウナギを利用し続けるためには、まず川に上る量や、海ウナギの量を把握して、漁獲や環境悪化の影響の程度を知る必要がある。

しかし、川に上るシラスウナギの量からして密漁その他裏の部分が多過ぎて実態がつかめない。そして成魚については、穴にもぐったり、底の泥の中に潜んでいるのでこれもまた実数の把握が困難である。これまで標識放流調査や電気ショッカー採集等で密度推定が行われているが手間の割には結果の信用性がもう一つである。

そこで、これらの方法にe-DNAの方法を併用してより信頼性を高めるということが考えられる。とはいっても、そう簡単なことではない。そこでもう一つウナギについて繁殖に関係する性的なフェロモンのような有機物をさがしてその濃度の検知法を開発することである。性比と密度の関係でこの両方からせめれば答えを見つけ出せるかもしれない。

その結果、ウナギがe-DNAを感知するか、フェロモン様物質を検知して密度調節を行っているという新発見がなしとげられるかもしれない。

(了)

フライの雑誌-第104号(2015年発行)掲載

環境DNAって何だろう 見えない魚が見えてくる?フライの雑誌-第104号(2015年発行)

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