このモカの記事で思いだした。
あれは昭和、いや令和、いや大正のおわり頃だったろうか。高校の同級生三人で都内へ繰り出した。都内へ行ったら喫茶店に入りたい、というのはわたしの要望だった。神保町交差点の角の二階に珈琲店の看板を見つけた。ここにしようぜと言って、滑り止めのついた狭い階段をちょっとドキドキしながらのぼった。
渡された立派なメニューには、星の数ほどの豆の名前が連なっていた。かなしいことに、どれを頼んでいいか誰もさっぱり分からない。地元には「ホットコーヒー」しかなかったから。
一人が、メニューの中で一番短くて言いやすかったという理由で、意を決して「僕モカ。」と発声したら、他の二人がほっとしたように「なんだお前もか。」とユニゾンした。
けっきょく全員で頼むことになった初めてのモカは、やたら酸っぱかった。一口すすってカップを覗きこんだあと、三人で顔を見合わせた。「モカって、ココアかチョコの種類かと思ったよ。」とわたしが言った。心の中で。
ちなみに三人の上京の目的は、エッチな映画館でのにっかつ作品の鑑賞だった。神田の映画館の窓口で友人の一人が緊張して、券売りのお姉さんに、学生一枚くださいと言うべきところを、「じゅ、18歳一枚ください。」と口走り、訝しまれていた。
と思っていたのだが、券を買うとき、背後に大人に並ばれて慌てたわたしが、自動券売機に千円札二枚を重ねて詰め込もうとして、何回も吐き出されて焦った。そんな記憶もある。(いまの自販機はお札を重ねて入れても大丈夫ですよね知ってます。)
券の自販機があったなら、「じゅ、18歳一枚ください。」は捏造された記憶になる。でもあいつはいかにも、「じゅ、18歳一枚ください。」と言いそうだ。どっちでもいいにしよう。
映画の内容はそれほどでもなく、看板のほうがすごかった。映画のあと、もう一回神保町に戻って古書センターの芳賀書店に入った。そういう一日だった。
この日、古書センタービル前の歩道に一人で立っていたおじさんが、行きかうひとすべてに大声で、「人妻ごろしの○×です!」と、ユニークな自己紹介をしていた。
肝心な「○×です!」の個人名がいま出てこない。
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