フライの雑誌-第116号(2019)から、〈水辺のアルバム13〉〝共同組合〟はかっこいい
(水口憲哉)を公開します。
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〝共同組合〟はかっこいい
水口憲哉
(東京海洋大学名誉教授・資源維持研究所主宰)
フライの雑誌-第116号(2019年発行)掲載
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今回はその共同組合に迫ってみることにする。
これを「ともどう」と読むのは久木浦など三重県に限ったことのようで
大部分が「きょうどう」と読んでいる。
本誌一一三号の〈釣り場時評86 元気な漁村〉で、村張りの定置網として、高知県室戸岬東岸の椎名や三津について考えてみた。
そこでは一戸一株制、リスキーな大型定置網経営団体としての大敷網生産組合という人格なき社団、そしてそのことと深くかかわっている定置網の漁業権免許における優先順位といったことを考えた。その最後に三重県の九木浦に共同組合というものがあったのだが今はなくなってしまったとしている。
今回はその共同組合に迫ってみることにする。これを「ともどう」と読むのは久木浦など三重県に限ったことのようで大部分が「きょうどう」と読んでいる。
大敷網の経営組織としての共同組合の存在は三重県に個有のものだと思っていたら現在は高知県に一番多かった。昨年秋の漁業権一斉更新時における定置網の漁業権者や経営組織について高知県定置漁業協同組合に教えてもらったところ、村張りの定置が九ヶ所あり、そのうち三ヶ所が共同大敷組合を名乗っていた。
他の六ヶ所は地域名の後に大敷組合とつくのだが、中には間に共同ではなく共栄と水主とつくところもあった。そして村張りの現代版ともいえる漁協自営が一ヶ所あった。そして株式会社(二)と有限会社(一)という法人組織免許を受け経営している定置が三ヶ所あった。
これらの他に個人が免許を受け経営している定置が八ヶ所あった。ただし、それらのうち七ヶ所は大敷組合の名義になっている。これは村張りでやってきたのだが経営が維持できず、所有権が個人に移ったのではないかと考えられる。なお冒頭の椎名と三津は、今なお、大敷組合として村張りの定置が健在である。なお、岡林正十郎(一九九三)の「高知県定置網漁業史」で一九九○年前後に共同大敷組合は五ヶ所存在していたが、一ヶ所は漁協自営となり、一ヶ所は一昨々年急潮被害により再起不能となり廃業している。
以上からわかることは、大敷組合の前に共同とつこうがつくまいが村張りという点については本質的に変わらないようである。
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村張りの定置は、近代化という資本主義の流れからの
お目こぼしの結果として共同組合を持続している。
それでは久木浦のある三重県はどうであろう。まず元祖である久木浦共同組合について尾鷲市九鬼町のHPで見てみる。
この共同組合が組合員数六三一名で設立されたのは一八九○年(明治二三)であり、明治四二年に定置漁業権をこの組合で譲り受け久木浦共同定置漁業組合を設立した。また昭和二九年には共同組合の山林、土地を経営すべく九木浦生産森林組合を設立した。そして平成一五年には、久木浦共同定置漁業組合を、新たに九鬼定置漁業株式会社として設立し定置漁業権を取得した。
そして昨年秋の定置網漁業権一斉更新の結果は、三重県では株式会社が一四と漁業権取得者中最多で、有限会社三、個人四で共同大敷組合は長島のみであった。そこで長島共同大敷組合に訊ねたところ、法人化については現在検討中ということである。
三重県定置網漁業誌(一九五五)によれば、七〇年前の漁業法制定時には、定置網漁業権取得者中、共同大敷組合または共同組合が一二で最多であり、次いで漁業協同組合が五、大敷組合などが四であった。
大型定置網の経営組織を大敷網組合や共同組合といった任意団体ではなく、それらを法人化して優先順位を上げるようにと行政はこれまですすめてきた。漁業協同組合自営をどれだけすすめてきたかは知らないが、しかし、漁業者の側には村張りを維持できれば、という思いもある。しかし、組合自営はむずかしい。結果として共同組合の構成員(すなわち漁協組合員でもある)が株主となる株式会社を組織するということになる。
今回の漁業法改変で国が新自由主義的に沿岸漁業への株式会社の参入を推進しているのとは別に、水産庁や県の水産行政は地域の共同組合の構成員が株式会社の株主になって地域共同体的つながりのもとに定置網が維持されるのを期待しているようにも見える。
しかし、高知の村張りの定置は近代化という資本主義の流れからのお目こぼしの結果として共同組合を持続しているとも言える。上からの統治と下からの共同(自由と平等)のせめぎあいの結果とも見ることができる。
なお、歴史の中での共同組合の登場を文献的に調べてみると一八九○年(明治二三)に岩手県重茂の定置網漁業権をめぐって宮古町外壱町三ケ村住民共同漁業組合が設立されている。同じ年に九木浦共同組合が設立されてもいる。この同じ時期に北と南でどのようなことが起こっていたのだろうか、もう少し調べてみる。
定置網関係の名簿を見ていたら、和歌山県定置漁業協会の構成員として、太地水産共同組合というのがあった。さっそく連絡してみたら、県内では共同組合というのは〝うちだけ〟であり、〝一〇〇年以上前からの歴史がある〟ということだった。なお、太地漁業協同組合内に太地いさな組合という小型鯨類を対象とする追い込み漁業共同体もあるようだ。これらについての詳しい成り立ちを聞くと、〝太地町が水産関係の詳しい本を四月(二〇一九)に出版する。〟とのことだった。その本をもとに、沿岸捕鯨と反原発、そして共同組合を維持する漁村についていずれ本欄で紹介したい。
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「国策や時代の流れに翻弄されながらも、
生活を守り、生き抜いてきた大宜味の先達たちの
たくましさ、したたかさ、大らかさ」
昨年、辺野古の米軍基地拡張工事が埋立用土砂を搬入する場所として沖縄県最北部の奥地区が選ばれ、住民や支援にかけつけた沖縄県民などの反対にもかかわらず強行された。この国頭村奥にある共同店で、筆者は三〇年ほど前に奥緑という日本最南端で栽培された緑茶を購入したことがある。
沖縄の共同店というのは、食料品、日用雑貨などの仕入れ販売の他に、農産物の共同出荷、電話の取次(昔々のこと)、金銭の貸付けなども行なう、地域にとっての本当の意味でのスーパーストアである。奥共同店は一九○六年(明治三九)開業で日本最古と言える。
共同店というのは農協や生協と似ているが法人組織ではなく、村張りの大敷網生産組合や共同組合と同じ任意団体として、住民集団の合意でつくられている。法的には個人商店と同じ扱いを受ける。沖縄本島北部の高江共同組合や竹富島の大富共同組合売店もそうだが、共同組合運営の売店としての共同店は地域の人々手作りのコンビニともいえる。
このようなことを沖縄県大宜味村の眞喜志敦さんが事務局の共同売店ファンクラブブログで知った。その二〇一二年二月二九日の〈協同組合と共同売店その2〉には次のようにある。
『共同売店 → 産業組合 → 農業会 → 配給所 → 共同売店 → 農協 → 共同売店
組織替えすること実に6回、結局は共同売店。
独自路線を貫いた国頭村の各部落もすごいですが、国策や時代の流れに翻弄されながらも、生活を守り、生き抜いてきた大宜味の先達たちのたくましさ、したたかさ、大らかさにも打たれます。
そして忘れてならないのは、今なお農協の地域からの撤退は全国で進み続けており、買い物弱者と呼ばれる人たちも増え続けていること。それを受けて、住民自ら立ち上がり「住民出資の店」の設立が相次いでいることです(詳しくはこちら)。
沖縄の共同売店と奄美の地域商店、そして上記の住民出資の店は、法律上の位置づけでは、株式会社、有限会社、合同会社、NPO法人、任意団体(任意の組合)と様々ですが、実際の運営形態で言えば間違いなく協同組合です。(協同組合としての優遇を受けていいはずです)
産業組合法から112年。大宜味の人たちが共同売店に戻したように、各地の人たちが「協同組合の原点」に帰ってきているように見えるのは、私だけでしょうか?』
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島民(村民)が共同で行なう事業に必要な
人の集まりとして自発的につくったのが
共同組合ではなかったか
このような農協が撤退というか廃業せざるを得ない流れの中で、元気な東京都利島の東京島しょ農業協同組合利島店の話をする。
同組合の八店(支所)中四店(島)が一昨年度廃店したが、利島店は八丈島、父島、母島と共に健在である。現在の正組合員五九、準組合員一四で、同店の主事業である椿油の生産出荷にかかわる椿畑や敷地内に椿林をもっている島内の家の殆どが、漁協組合員も含めて農協に加入しているようである。
農協に行くと、奥共同店のようなムードにつつまれる。利島村の人々の共同組合売店といっても間違いない。なお、岡(二〇一三)によれば利島は、日本の市区町村の中で一番自殺の少ない村である。人々の関係が居心地よく暮らしやすい。
このような農協売店が無くなった地域にできた住民出資の店が前記ブログの(詳しくはこちら)に〝全国に広がる住民出資の店 その5〟として詳しく紹介されている。二〇一一年一〇月現在の沖縄・奄美を除く地域の全国一一例についてのもので、宮城県から大分県まで多様で、大分県中津市のものはノーソンと名前からしてユニークである。
このような動きはその後も盛んで、本年一月九日の朝日新聞は、〝住民の手で地域守る動き〟として、島根県雲南市波多地区(人口三〇〇人あまり)における地域自主組織が運営するマーケットを紹介している。これはシリーズ〝問う 二〇一九 論点の現場から2〟の内容で、その初回では、〝法改正 漁業者の知らぬ間に〟ということで今号の〈釣り場時評89〉で取り上げたテーマを論じている。
東京都の御蔵島では、やまぐるまの樹皮をはぎ取り、それから鳥もち(黐)を製造し東京市場へ出荷することを一九〇五年(明治三八)頃から行なっていたと、二〇〇六年発行の御蔵島島史に書かれている。そしてさらに、いったん中止したが、一九三七年(昭和一二)に御蔵島共同組合の事業として再開されたとある。この黐製造を主事業としてこの年に設立された共同組合は他に椿植林や椎茸栽培を行なった。
以前から漁業組合はあり、それが昭和一九年に戦局が悪化するなか政府の指示により新しく漁業会に改組したり、昭和一八年に設立された森林組合や木材生産組合などとは別に組合員七六名という島ぐるみの共同組合である。なお、漁業組合は組合員五七名であった。
要は、国や法の規制のもと生産販売するためには漁業組合や森林組合をつくらなければならなかったが、島民(村民)が共同で行なう事業に必要な人の集まりとして自発的につくったのが共同組合ではなかったのではないかと考えられる。
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羽田空港沖合展開や
その跡地利用などにからむ
交渉団体として結成されてもいる。
この場合共同組合といっても
何だかなという感じである
以上、漁業とは直接関係のない地域の人々の助け合いのつながり方としての共同組合を二例見たが、再び漁業者がつくった助け合いのつながりとしての共同組合の例をみてみる。
東京内湾の大規模埋立てと漁業権全面放棄の経過は「東京内湾漁業興亡史」に詳しいが、その後の漁業者の生活についてや共同組合のことなどを知人に話したら、大田区のHPから産業団体の名簿というのを探して教えてくれた。
まず東京都内湾域の漁業組合(団体)は明治時代から、漁業組合、保証責任漁業協同組合、漁業会、漁業共同組合と離合集散しながら変化してきたが、一九六二年一二月の補償後、一九六四、六五年に一度解散した。しかし、海面はまだ存在しているので自由漁業を営む人々は新たに太田から江戸川区の東京東部まで六つの漁業協同組合を結成し、東京都から法人として認可された。
そして大田区沿岸にはその大田漁業協同組合以外の水面利用者の漁業団体として共同組合がいくつも結成された。今回はその実態をそれらのいくつかの事務所や区内の図書館を訪ねて調べた。
その結果、共同組合について文書として明確に記載されているのは大田区発行の「羽田空港に関する対策の経過」という年次報告書で、昨年三月発行のその(44)には大田区内漁業組合として次のようにあった。
『法人格を有しない任意漁業組合として、羽田雑漁業共同組合、羽田漁船共同組合、椛谷漁業組合、大森東雑漁業共同組合、大森漁業共同組合とに分かれました。─中略─法人格を有しない五つの任意漁業組合は、大田区五か浦漁業共同組合連合会を組織しました。また、この組織とは別に大森漁業共同組合から分かれて独立した大森漁業組合と平成七年四月一日に新たに設立された京浜漁業共同組合があります。』
今回調べたところこれら五つの共同組合のうち実体はともかく形式的に存在しているのは二組合であった。成り立ちは一九六八年頃に、かたまらないと弱いということで結成されたようで、一時期東京都内湾海区漁業調整委員をもこれらの組織から選出していたようである。とはいえ、羽田空港沖合展開やその跡地利用などにからむ交渉団体として結成されてもいる。釣り団体の消長と比べるのも適切ではないが、この場合共同組合といっても何だかなという感じである。
ただ田園調布という住宅地のある大田区も南の沿岸域は羽田空港をめぐって激変の時代を経験していることがわかった。
敗戦後の九月マッカーサー司令部(GHQ)の申し入れにより二一日、海老取川から東側に居住する全住民(羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町)の約一二〇〇世帯、約三〇〇〇人を超える人々に対し四八時間以内に空港島から立ち退けという強制退去命令がだされた。このようにしてGHQに接収された東京飛行場は通称ハネダ・エアベースとなった。今回初めて知った。
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法的な規制もなく、
お上の言うことに従う必要もない。
その代わりに保護はされておらず、
助成や補助の手当もされない
以上、この一四〇年ほどの間に、時代の厳しさに対応して地域の人々が時代を乗り切るために「共同組合」という名の組織をつくってきた。
その形態や内実は多様であるが、共同組合というのはある意味庶民が智恵をしぼった結果としての世の中のしのぎ方ともいえる。何か必死になってつくったもののようにも思えるが実は夢のあるかっこよいものでもある。
そもそも、共同組合というのは上や行政から言われてつくるのではなく、人々(下々)が必要にせまられて勝手につくっている団体といえる。
それゆえ、お上(国や県)の意向とは関係ないので、法的な規制もなくお上の言うことに従う必要もない。その代わりに保護はされておらず助成や補助の手当もされない。
まさに住民の自主的自立組織であり、したたかで役に立つのである。
(了)
水辺のアルバム13
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