最近フライフィッシャーマンの世代論を考える機会が多い。1980年代初頭、フライフィッシングは、釣り、アウトドア(死語)に限らず趣味全般のなかでも先鋭的な位置にあった。オピニオンリーダーたち(これも死語)が魅力的なライフスタイルを表現するための、ひとつのファッションだったと言っていい。「フライフィッシングをやってるんダ」という言辞はそれなりの尖った自己表現として機能したのである。で、それから20年たった現在、かつて20代だったフライフィッシャーマンは40代に、30代は50代になった。本人がいくら否定しても親父は親父である。一方、同時代性の感覚を持った現代の若者は、20年前のようにフライフィッシングへ特別な意味性を見いださない。それがハビタス・メンタリスというものだ(『フライの雑誌』第73号58頁参照)。いま「フライフィッシングをやってるんダ」といくら熱く語っても、沢尻エリカは落とせない(あたりまえだ)。むしろそれで落ちる沢尻エリカならいらないともいえる(そこまで言うか)。しょうこお姉さんならちょっとだけ話を聞いてくれるかもしれないけれど。
釣り場でのライバルは少ない方がいいに決まっているし、周りを見て釣りしてるわけではない。だから釣り人の本来的な価値観で考えれば少子高齢化は大歓迎なのだが、「フライフィッシング=親父の趣味」みたいな定義づけには、やはりいまひとつ納得しかねる。釈然としない。親父としても。