奥多摩へ取材。青梅線沿いのこのあたりはかつて、オートバイを手に入れるまでの間の学生時分に、定期券と無人駅を徹底活用して釣り歩いた思い出深い水系だ。正直あの頃はまったく釣れなかった。なんであんなに釣れなかったのだろうと、今思いだしても悔しくて地団駄を踏みたくなるくらいに。
取材が終わって、誘われるように近くの小沢へ向かった。多摩川本流に流れ込む支流のまた支流で、昔は苔むした岩が累々と連なっていた印象がある。水はあくまでもどこまでも清冽だった。
林道に車を駐めてしばらく歩き、こわれかけた橋のたもとから入渓。一跨ぎで渡れる水量だ。水の鮮烈さは当時のままだが、苔むした岩がやけに小さく感じる。子どもの頃に住んでいた町を成長してから歩くと、記憶の底の家並みがミニチュア化してガリバー気分になれるのと同じ感覚だ。なにしろ20年ぶりだものな、と呟きつつフライを振り込んだ。
ヤマメはいた。あの頃にわずかに出会えたヤマメたちの、ひひひひひひひひひひ孫というところだろうか。雨上がりの小沢のポイントごとから、型は小さいが美しい無垢なヤマメたちが飛びだしてくれて、私は幸せだった。釣り師でよかった。
この20年間、東北や九州や北海道やアルプスの奥、果ては海外までもマスを追いかけて下品に飛びまわってきた。しかしいくら飛び回ったところで、自分の渓流釣りの原点はやはり電車で行ける東京の奥多摩にあるのだと今さら思い知らされて、切ないながらも愛おしくなった。