『フライの雑誌』誌上で告知してしまってからもう半年にもなるのに、いまだ入稿の影すら見えない新刊単行本について、失踪をくり返していた著者になるはずの人と、やっと電話がつながった。編集部としては、怯懦で狷介などこかの国のボスをようやく和平交渉の場に引きずり出せた思いである。あるいは、したたか酔っぱらってから入店したために動きが鈍く、コールはガンガン鳴るのにライバルに先に取られてしまって全然話せず、そろそろ夜明けになりそうだという頃にやっとつながったテレクラの、ベニヤで仕切られた湿っぽい小部屋で受話器の向こう側から「モシモシ」というか細い声が聞こえてきた、これはぜったいに逃せないぞ、状況といったところか。
まず、不用意に核心に触れて途中で切られてしまっては困るので、会話の初めは本筋とはぜんぜん関係なく、今年のシロザケの接岸予測の話題を振ってみた。ところが反応してこない。まずい。警戒されているようだ。ならばと、先週スーパーで新物のサンマを見かけました、と話題を変えた(彼はサンマ好きなので)。すると別人のようにすぐさま食いついてきて、今年、自分はもう新サンマを2本も食べたのだ、と自慢を始めた(その素直さが素敵)。それはすごい、産地はどこですか。根室産に決まっている、そもそも東京に入ってくるサンマの大半は根室産であって…、新物なのに1本240円だったから買うのは当然で…、と大演説を始められそうになった。
残念だが、編集部は本当は全くサンマに興味はない。ちょっとかわいそうだったが演説を途中でさえぎった。そして、「予約してくれたショップさんから問合せをもらっているんだけど、あれから単行本の進捗はどうですか!」と、相手が一番触れて欲しくないはずのど真ん中に直球をズバッと投げ込んでやった。とたんに押し黙りモゴモゴ。「…あんまり進んでいないんだけど…」。
「あんまりを正直に言うと、全然進んでないということですか」
「うう。まあ…」
すでにご予約いただいている皆様にはたいへん申し訳ないことですが、カブラー斉藤氏の単行本は、今夏のお届けは無理そうです。ごめんなさい。ただ、本人も死ぬ思いで努力はしています。編集者にはあるまじき考え方ですが、そんなに苦しいなら早く書いてしまって早く楽になればいいのに、と思います。