芦澤一洋『山女魚里の釣り』(1989/山と渓谷社)を久しぶりに読み返した。高原川の項で、ソローの「森の生活」と併べてクロポトキンを引用していることに、これまで気づかなかった。うかつだった。かつてジャクソン・ホールのパブで同席のアメリカ人、日本人と「戦争と暴力と抵抗」について論争になってしまったことがある、と芦澤氏は本の中で書いている。
ふたりとも、私の言葉や態度に、やっぱり業を煮やした。そんなことだったら、お前もお前の家族もみんな殺されてしまう、とふたりは私を責めた。当然そうだと私も思った。しかし私は、私の考えでいいとも思った。
この一文を読んで、去年釣り関係の知人と交わした会話を思い出した。北朝鮮が弾道ミサイルを撃ってすぐのころだった。何かのはずみで話題がそちら方面になってしまった。車のハンドルを握りながら知人は、「日本はなめられているんです。もっと軍隊を強くしないとやられちゃいますよ。」と前を向いたまま言った。渓流釣りと山歩きと生き物が好きで、道端の落ち葉にさえ詩を見いだす繊細な心を持つ彼の言葉とは思えなかった。私は「勇ましいですね。じゃああなたが軍隊へ行ったらどうですか。」と返した。彼は私には答えず「頭の上からテポドンが降ってきたらあなたどうするんですか。」と歌うように言った。
暴力を否定するために必要なのは倫理ではなくて勇気なのだと思う。芦澤氏は無抵抗主義を嫌ったがアナキストと呼ばれることは厭わなかった。そして彼が引用したのはバクーニンではなくてクロポトキンだった。そこらへんがいかにもフライマンのやせがまんっぽくていいと私は思う。
人を殺したり、傷つけたりすることの嫌いな人間が住んでいる国があって、それが原因で、その国は滅びた、となれば、それはそれでいいと、私は思う。 …君は君自身のことに心を傾けたまえ、その間に私も私のことに専念するのだ。(『山女魚里の釣り』より)