「サブカル」という病

ただいま『フライの雑誌』第80号の修羅場ウイークにつき更新ままならず。とはいえちょっと言いたくて。

たけくまメモで1970年代後半から80年代初頭にかけてのアニメ、オタク文化(といっていいのかどうかがまさに問題なのだが)についての同時代人のコメントを掲載している。文中に当時を象徴する時代現象として「1977年にヤマトがヒットし、1978年には月刊アニメージュが創刊」とあるが、それを言うなら1977年創刊の「月刊OUT」を語ってほしいところである。

アニメ雑誌としては「OUT」の方が早いし中身的にも「アニメージュ」のようなコマーシャリズムに浸らず(浸れず)、結局ずぶずぶと時代の流れに埋没し閉鎖的なマニアの常として自己模倣に身をやつしそれでいて休刊は1995年まで引っ張ったという立派さだ。三代目編集長は南原四郎、後にあの「月光」創刊を果たした南原企画のもののふである。隅々まで読んでいたよ。

それにしてもこういう系の話題を振るときにもういいかげん「サブカル」というプチブルチックな表現を持ち出すのは世にも恥ずかしいことだと自覚してほしい。たけくまさんはあれこれいい仕事をしていると思うのだけど、ここらへんの立ち位置がどうもいつまでも中途半端というか安全地帯というか喉の奥がむずむずして咳払いしたくなるというか、高みの見物をきらってるくせに自ら高いところに立ってしまう彼の姿を見ることへのもどかしさがある。

乱文御免。仕事に戻ります。